玄関のドアが開いた瞬間、息子の声が響き渡った。「腹が減ってるんだ。今すぐ飯を用意しろ。」
私は疲れた体をソファから起こし、笑顔で迎えようとした。でも、続く嫁の言葉で体が固まった。「私、疲れてるから豪華なやつでお願いね。」命令するような口調。感謝の言葉はどこにもない。
「早くしろよ。何ぼっとしてんだ。」息子の苛立った声で、私の顔から笑顔が消えた。心臓がドクドクと激しくなる。その瞬間、私は悟った。これは家族の会話じゃない。まるで使用人に命令するような言葉だ。
五年間の同居生活で、私はいつの間にか下働きのように扱われていた。
私の名前は岡崎美佐、六十八歳。三十年間、事務職として働き続けてきた普通の女性だ。五年前に夫を亡くし、一人暮らしを始めたばかりの時、息子が言ってくれた。「母さん、一人は寂しいでしょう。うちで一緒に暮らそうよ。」その優しい言葉に、私は心から喜んだ。愛する息子とその家族と暮らせる。夢のような話だった。
感謝の気持ちを形にしたいと思った。毎朝五時に起きて朝食の準備。掃除、洗濯、買い物。夕食は息子夫婦の好みに合わせた豪華な料理。家事に費やす時間は一日八時間以上。月々の食費は私が五万円を自腹で追加し、光熱費も私の年金から月三万負担していた。家族のためなら何でもしたい。そう思って、私は笑顔で働き続けた。
でも、いつからだろう。息子の態度が変わり始めたのは。「ありがとう」の言葉が消え、「当たり前」という空気に変わっていった。そして嫁の冷たい視線。「お母さん、家にいるんだから、これくらい当然ですよね。」
最初は小さな文句から始まった。「この味付け薄くない?もっとちゃんと作ってよ。」「私のお母さんの作る料理の方が美味しいわ。」比較されるたびに、心が少しずつ傷ついた。「ごめんなさい。次は気をつけるわ。」私の口から出るのは謝罪ばかりだった。
掃除についても同じだった。「お母さん、ここ誇りが残ってますよ。」「もっとちゃんとやってくれないと困るんだけど。」要求はどんどんエスカレートした。「俺のシャツ、もっとパリっとアイロンかけといてよ。」「買い物はこの店じゃなくてあっちの店で買ってきてください。」「すみません」という言葉が、日に日に増えていった。
やがて文句は人格を否定する言葉に変わった。「お母さん、もう年だから仕方ないんでしょうけど。」「母さん、最近ボケてきてない?」「いや、明らかに昔より動き鈍いよ。」自分の能力を否定されるたびに、自信が削られていった。
「お母さんって家にいるだけで、何もしてませんよ。」「毎日家事って、それって当たり前のことですよね。私たち働いて稼いでるんですよ。」嫁の言葉に、私は反論できなかった。自分の存在価値を否定される痛みは、体の痛みよりも深く刺さった。
それでも私は耐えた。家族のためだと思った。この家に居場所があるなら、それでいいと思おうとした。でも、ある日、決定的な出来事が起きた。
息子夫婦がリビングで話している声が聞こえた。「お袋、そろそろ施設に入れた方がいいんじゃないか。」「そうね。動けなくなる前に。将来のことも考えたら、今がタイミングだと思う。」私はその言葉を聞いて、体中の血が凍る思いがした。
私は三十年間働いて、貯金もある。年金だってある。それなのに、自分たちの都合だけで私を施設に追い出そうとしている。五年間、毎日必死に尽くしてきたこの家から。
その夜、私は自分の部屋で荷物を整理した。机の引き出しから、古い通帳と年金手帳を取り出す。そして、ある書類の存在を思い出した。そう、私は夫が遺してくれた家を売った時、そのお金でこの家の土地を購入していたのだ。登記名義は私のまま。
翌朝、私は息子夫婦の前で、その書類を広げて言った。「この家の持ち主は私よ。あなたたちに出て行ってもらうわ。」
息子の顔が真っ青になった。「何言ってるんだよ、母さん!」「お母さん、正気ですか?」嫁が叫んだ。でも、私はもう決めていた。ここで甘えていては、私は本当に施設送りにされる。それどころか、この家まで奪われる。
私は弁護士に相談に行った。そして、息子夫婦に対して、立ち退きを求める書類を送った。しばらくして、彼らは新しいアパートを探し始めた。出て行く日、息子が最後に言った。「母さん、本気で後悔しないんだな。」
私は答えなかった。ただ、静かにドアを閉めた。それから私は、この家をリフォームして、一人で穏やかに暮らし始めた。時々、近所の友達が遊びに来る。誰かに命令されることも、感謝されない家事を押し付けられることもない。
私は今、初めて自分の人生を自分で生きている。六十八歳からの新しいスタート。誰のためでもなく、自分のために。



