銀行で融資を断られた瞬間、担当の公引が冷たい目で俺を見て言った。「何度言っても無駄です。うちの判断は変わりません。」俺は32歳の小さな工場の社長だ。親父が急に亡くなって、工場を継いでわずか2ヶ月。大手メーカーから新型部品の量産を依頼されたのに、最新設備の資金が用意できない。地方銀行とは20年の付き合いなのに、担当は俺の話を聞こうともしない。だが、あいつは知らない。親父が遺してくれたものは工場…

銀行で融資を断られた瞬間、担当の公引が冷たい目で俺を見て言った。「何度言っても無駄です。うちの判断は変わりません。」俺は32歳の小さな工場の社長だ。親父が急に亡くなって、工場を継いでわずか2ヶ月。大手メーカーから新型部品の量産を依頼されたのに、最新設備の資金が用意できない。地方銀行とは20年の付き合いなのに、担当は俺の話を聞こうともしない。だが、あいつは知らない。親父が遺してくれたものは工場...

取引銀行に追加融資を申し込んだ。しかし、担当の公引は何度も頭を下げるだけで、融資は無理だと言い続けた。

俺はさえ草。32歳。親父が創業した金属プレス加工の工場を継いで2代目の社長になった。親父は3ヶ月前に急に倒れて、そのまま帰らぬ人となった。高校を卒業してからすぐこの工場で働き始め、口数の少ない親父から技術を叩き込まれた。

親父の葬儀には、この地域の27の工場が集まって結成した共同組合の社長たちが全員集まった。その組合をまとめていたのが親父だった。古川さんという金型製造業の社長が俺の肩を叩いて言った。

「親父さんは、俺が資金繰りに困った時、夜遅くまで組合のみんなに頭を下げて回って助けてくれた。今度は俺が恩返しする番だ。何かあったら遠慮なく言ってこい。」

俺が社長を継いでから2ヶ月目に、大きなチャンスが舞い込んだ。大手メーカーから新型エンジン部品の量産を依頼されたのだ。ただし、最新の設備投資が必要になる。そこで、すでに5億円の融資を受けている地方銀行に追加融資を相談することにした。

この地方銀行とは20年の付き合いがある。担当の公引はベテラン行員で、俺が追加の事業計画書を渡すと、丁寧に目を通してくれた。

「さえ草さんのところなら問題ない。審議にかけてみます。」

そう言われて少し安心したが、翌日、公引から電話がかかってきた。

「申し訳ありません。本店の審査で、融資は難しいとの判断になりました。」

理由を聞くと、返済計画に不安があると言う。俺は必死に説明したが、公引は決して聞く耳を持たなかった。

「何度言っても無駄です。うちの判断は変わりません。」

冷たい口調でそう言われ、俺は頭にきた。だが、ここで諦めるわけにはいかない。俺には27の工場の仲間たちがいる。親父が残してくれた仲間がいる。

俺はすぐに組合の仲間たちに連絡を取った。すると、全員が俺の話を聞いてくれた。古川さんが言った。

「ここで支え合わなきゃ、親父さんに顔向けできない。」

そして、翌朝、俺は銀行に再び向かった。公引の机の前に、組合の27社の社長たちが並んでいた。

「お前、これはどういうことだ?」

公引が顔を真っ赤にして怒鳴った。俺は冷静に言った。

「俺の工場だけじゃない。組合全体として、融資を求める。」

その場にいた組合の社長たちが一斉に頭を下げた。公引は慌てて本店に電話をかけ始めた。数時間後、本店の支店長が直接工場にやってきた。

「さえ草さん、今回の件は我々の判断ミスでした。融資を承認します。」

そう言われた時、俺は親父の言葉を思い出していた。親父の遺したノートに、こう書いてあったのだ。

「一人では何もできない。だが、仲間がいれば山も動かせる。」

あの日、親父は仲間の技術を誰よりも理解し、その強みを把握していた。古川さんの金型技術は誤差1/1000ミクロン以下で国内トップクラス。山田さんのバネは航空機部品にも採用されている。親父の仲間たちが、俺の力を支えてくれたのだ。

融資が承認された後、俺は工場の設備を最新のものに更新した。新型エンジン部品の量産は順調に進み、初めての納品日、俺は初めて親父の工場を継いで、親父の仲間の技術力で、一つの山を動かせた。

その夜、組合の仲間たちと祝いの席を設けた。古川さんが俺の肩を叩いて言った。

「親父さんの息子で良かった。これからもよろしく頼むぞ。」

俺は胸が熱くなった。親父が遺してくれたものは、工場だけじゃなかった。仲間たちとの絆、そして「一人では何もできない」という教え。それを胸に、俺はこれからも工場を守り続ける。

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