「あとは任せろ。俺が契約を取り付ける」――課長は、俺が必死に掴みかけた契約を横取りすると言い放った。高卒だと見下してきた男が、俺の設計で取れた契約を自分の手柄にしようとしている。俺は何も言い返せず、辞表を書いて会社を去った。だが、それから数週間後、前の職場の社員から信じられない知らせが届く。課長は契約先で設計の質問に答えられず、先方から「片山さんでなければ契約しません」と言われてしまったとい…

「あとは任せろ。俺が契約を取り付ける」――課長は、俺が必死に掴みかけた契約を横取りすると言い放った。高卒だと見下してきた男が、俺の設計で取れた契約を自分の手柄にしようとしている。俺は何も言い返せず、辞表を書いて会社を去った。だが、それから数週間後、前の職場の社員から信じられない知らせが届く。課長は契約先で設計の質問に答えられず、先方から「片山さんでなければ契約しません」と言われてしまったとい...

「あとは任せろ。俺が契約を取り付ける」

課長はそう言った。しかも「俺が行った方がいいに決まっている」とまで言い放った。あの人は、俺が必死に掴みかけた契約を横取りしようとしている。

俺はなぜこんな目に遭わなければならないのか。

俺の名前は片山孝太。45歳。少し貧しい家庭に生まれ、男二人兄弟の次男として育った。地元の図書館が名の知れた建築家の設計だと知り、俺は建築に興味を持った。地元の高校の建築科に進学し、中学から続けていたバスケットボールにも熱心に取り組んだ。

本当は大学にも行きたかったが、経済的な事情で進学は断念した。そこで設計事務所でアルバイトをしながらCADを独学で学び、23歳の頃に建設会社へ就職した。最初は建築士の補佐をしていたが、やがて設計も任されるようになった。2級建築士の資格を持っていたが、就職後も勉強を続け、一級建築士も取得した。

それから同じ仕事を続けてきたが、なぜか営業部に異動となった。営業の人員が足りず、新しいスタッフがなかなか見つからないのが理由だという。俺は社長の指示で建築関係の業務も続けながら営業も担当することになった。正直、業務的な負担は大きかった。慣れない営業の仕事には戸惑いもあったが、与えられた以上は責任を持って全うしなければと思った。

突然異動してきた俺を、営業部の連中はよそ者を見るような目で見た。それは仕方ないかもしれない。そして課長は、俺が高卒だと知ると、早速見下すような態度を取り始めた。

「君、高卒なんだってな。それでよくうちに務めていられるな」

営業に来て間もないのに、なぜそんなことを言われなければならないのか。意味を問うと、課長はこう言った。

「俺は有名国立大を出てるんだよ。高卒なんかで営業ができるのか」

「確かにこれまでは違う仕事をしてきたので、慣れるまでは苦労しています。でも俺なりに頑張っているつもりです」

「ふん。君、営業以外の仕事もしているそうだね。社長から聞いたけれど」

課長は疑いの目で見てくる。

「はい。設計の方も続けて担って欲しいと言われたので」

「両方やるのは大変だろう。どちらも中途半端になっちゃ困るんだよね」

確かにその通りだ。部署の本来の仕事である営業以外の業務を行っているのは、課長にとっては好ましくないのかもしれない。だから俺は「両方ともおろそかにならないように取り組みます」と答えた。すると課長は「高卒の脳でできるのかね」と言った。

「あまり高卒であることを馬鹿にしないでいただけますか?」

「おっと、悪かったな。だって低学歴なのは確かだろう」

課長はそう言って笑った。

またある時、営業の仕事に関して課長の説明を理解できない部分があった。聞き返すと、課長はこう言った。

「え、そんなことも分からないのか?これだから高卒は」

腹が立ったが、俺は感情を抑えた。

「すみません。勉強不足でした」

「力が小中学生並みじゃないか。だから高卒は嫌なんだよな」

腹が立ったが、俺はもっと営業について勉強して役に立てるようになろうと思った。この部署にいる意味があるのだから、今いる環境で頑張らなければならない。

そんなある日、社長からとあるプロジェクトの話を持ちかけられた。それは設計と営業の両方に関わる仕事だ。ある企業のビルを設計する案件がうちの会社に舞い込んだという。その設計に俺も携わって欲しいと言われた。それだけでなく、営業も行って欲しいらしい。俺にとってはまたとないチャンスだが、かなり重大な仕事となるはずだ。

俺は悩んだ末に、社長からの依頼を受けることにした。社長は課長に俺がプロジェクトに加わることを話してくれたようだ。課長は「どうせ俺には大した仕事ができないだろう」と高をくくっていたようだ。

俺はそんな課長を見返したかったので、入念に準備をして商談に臨んだ。すると、思いのほか商談はスムーズに進んだ。先方の担当者には「見事な設計ですね」とまで言ってもらえた。俺の説明も真剣に聞いてもらえて、契約をしてもいいという回答を得ることができた。契約は正式な書類を作成してから後日交わすことになる。

契約にこぎつけることができ、俺はほっとした。これで課長も俺のことを認めてくれるだろうかと思った。しかし、そんな淡い期待はあっけなく裏切られることになる。

俺が先方と契約してもらえることになったと報告すると、課長はこう言った。

「君が契約を取り付けたって?そんなのありえない。一体どんな手を使ったんだ?」

「いえ、特に何もしていません。ただ建物の設計について準備をして臨んだだけです」

「ふうん。君の準備したものでよく契約すると言ってもらえたものだな。あとは任せろ」

俺は目が点になる。「あとは任せろ」とはどういう意味だろうか。

「君じゃ先方も頼りないと思うだろう。だから俺が代わりに行ってやるって言っているんだ」

課長によると、自分が行った方が先方も納得するだろうということだ。

「え、いえ、俺が設計したものですし、俺に行かせてください」

「だめだな。俺が行った方がいいに決まっている」

何度言っても課長は自分が行くと言って聞かない。俺はこう言うしかなかった。

「わかりました」

俺は自分の席に戻ると辞表を書いた。その辞表を課長に提出したが、特段引き止められることもなかった。「おお、そうか」と言われたくらいだった。最初から、この部署での俺の扱いなどその程度なのだと思い知った。俺はそれでもいいと思ったし、これで清々しく転職ができるだろう。頑張ろうという意欲を持っていたが、それも今では消え失せてしまっている。

課長に対して頭に来た俺は、例の契約について引き継ぎをすることもなく退職した。俺から「引き継ぎをしますか」と言わなかったが、課長からも言われなかったのだ。正直、引き継ぎなしで契約ができるならやってみればいいという心境だった。

投げやりな気分になった俺は、すぐに帰宅した。

その翌日、高校時代のバスケ部の先輩だった鏡先輩から電話がかかってきた。俺も気晴らしをしたい気分だったので、鏡先輩と久しぶりに飲むことにする。鏡先輩に「最近どうしてるんだ」と聞かれたので、俺は仕事を辞めたことを正直に話した。すると鏡先輩は俺にこう言った。

「お前も建築会社だったよな。なら俺のところに来ないか」

鏡先輩は俺のいた会社のライバル会社に長く勤務していて、設計を担当しているという。鏡先輩の会社も一人欠けたばかりだと言い、俺のことを社長に話してくれるというのだ。俺は喜んでその提案を受け入れることにした。

翌日、俺は履歴書を作成して鏡先輩の会社に提出した。するとすぐに連絡が来て、面接をしてもらえることになる。面接は社長が直接行ってくれたが、和やかな雰囲気の中で行われた。数日後には、俺の鏡先輩の会社への転職が決定した。俺は一級建築士として設計の仕事を主に担い始めた。営業の業務がないので、仕事面での負担が軽減されるのはありがたい。

新しい職場で再出発したばかりの頃、前の職場の社員から連絡があった。課長は俺から契約を横取りした後に、契約のため先方に出向いたという。課長である自分なら何の問題もなく契約ができると思っていたのだろう。しかし、そうはいかなかったらしい。設計の件で先方の担当者に質問されたが、知識がなく完璧に答えられなかったのだ。課長は設計に関しては長く携わっていなかったから無理もない。課長も建築の知識はあるというが、直接的に設計に関わる部署からは遠ざかって久しいのだ。出世すれば技術的な仕事からは遠ざかることもあるもの。それでも商談としては、契約に来た人間がそんなことも分からないようでは困るといったところか。

この話は課長が自分で話したわけではないが、どこからか伝わってきたのかもしれない。結局、課長は先方から「片山さんでなければ契約しません」と言われてしまったそうだ。

連絡をくれた社員によると、課長から俺に電話がかかってくるかもしれないとのこと。課長と話なんてしたくないため、電話の電源を切っておこうかと思っていたが、電話を切った30分ほど後に、社員の言った通り今度は課長から電話がかかってきた。仕方なく電話に出ると、課長の怒声が耳に飛び込んでくる。

「お前、なんで引き継ぎしないで退職したんだ?」

「なんでって、課長が何も言いませんでしたし、なしでも大丈夫なんだろうなと思ったんです」

「自分のやっていたことはちゃんと引き継いでからやめろ」

俺がやめる時には特に何も言っていなかったくせに。俺は不機嫌になりながら「それはすみませんでした」と言った。

「せっかくこの俺が契約に行ったのに、お前じゃないとダメだと言われたんだぞ」

「それは課長がしっかりと内容を把握していかなかったのがいけないですよね」

「だからお前が引き継いでいかなかったせいだ」

俺のせいにばかりされても困る。

「契約ができなかったせいで損失を出してしまったじゃないか」

課長の言葉に、俺は「俺はもう部外者なので」と返した。すでに退職してしまっているので、前の職場については触れることはできないだろう。

「お前、一級建築士の資格持っているんだってな。しかもスキルが高いらしいじゃないか」

課長によると、俺がやめた後に他の社員から俺のことを聞いたらしい。俺は課長に高校の建築科で学んだことや独学をしたことを伝えた。

「そういうことだったのか。単なる高卒じゃなかったのか」

今更そんなことを知ったって遅いだろう。俺は「それがどうしたんですか」とそっけなく答えた。

「それがどうしたじゃない。なぜそれをもっと早く言わなかったんだ?俺はお前が前にどんな仕事をしていたかなんて知らなかったんだ」

「俺自身、営業の仕事を覚えるのにも大変でしたし、課長は俺に関心がないようでしたから」

「俺はお前をただの脳なしだと思っていたんだぞ」

そんなことをこのタイミングで言わないでほしい。それに今更俺に電話をしてきてどうしようというのだろうか。

「お前ほどの設計ができるスタッフがいないんだよ。お前を呼び戻すと社長からもきつく言われたんだ」

課長は俺のせいで社長に怒られたという。

「それは俺に会社に戻れということですか?俺、すでに転職先が決まってるんで」

俺がそう言うと、課長は「なんだ」と驚いた。そして俺は「そちらの会社にはもうお力添えできません」ときっぱりと断った。課長は「そこをなんとか」と言っていたが、俺に許す気などない。せっかくの俺の契約を横取りしたのだから、課長に恩情をかけるつもりはないのだ。

「俺は今後も関わることもありませんから」と言って、俺は電話を切った。

少しだけモヤモヤとした気分になったが、転職に向けて心の準備をしようと思った。転職については緊張よりも期待感の方が大きいかもしれない。そして俺は、新しい職場で働き始めた。

鏡先輩は新入りの俺に対してとてもよくしてくれる。それもあり、俺としても働きやすいと感じた。業務に関しても設計に専念できる環境となっているためありがたい。

前の職場では、俺がいなくなったため契約が打ち切りになっているそうだ。それに断られてしまうケースも相次いでいるという。契約がほぼない状況となってしまい、業績が急激に悪化してしまっているのだ。課長が俺にしたことが業界内で噂になってしまったこともあるかもしれない。一体誰が噂を流したのかは分からないが、噂というのはあっという間に広まってしまうもの。一度流れた噂はなかなか引くこともなく、イメージダウンとなってしまうだろう。おまけに従業員も次々と辞めていってしまったらしい。前の職場は破綻状態になっているのだ。

会社自体や社長には恨みがあったわけではないため、そこまで行くと俺も罪悪感が湧いてくる。しかし俺も再スタートを切ってしまっているので仕方ない。

また課長はと言うと、多大なる損失の責任を取る形で左遷されたという。課長の座を追われて、総務部の一般社員に格下げとなったのだ。

もしかしたら俺があの時に我慢をして会社に残っていれば、前の職場である会社は危機に陥らなかったかもしれない。そう考えるとやはり胸が痛くなるのは確かだ。しかし、前の職場の社長は自身も大変であろう時期に俺に電話をくれた。社長は俺を責めるわけでもなく、「今どうしている」と気遣ってくれたのだ。社長の優しさに胸が締めつけられそうになる。俺は「突然辞めてしまい、申し訳ありません」と謝った。そんな俺に社長は「気にするな」と言ってくれる。「もう戻る気はないか」とも言ってくれたが、俺は丁重にお断りした。それはやはり、あの課長が社内にいるのなら顔を合わせることもあるかもしれないから。正直言うともう課長の顔は見たくない。だから社長には悪いが、俺は新しい環境に目を向けることにしたのだ。

それからしばらくして、俺は所用のために道を歩いていた。するとそこで思いもよらぬ人とばったり会ってしまったのだ。それはどこか覇気をなくしたような印象の課長だった。

目が合ってしまったので、無視するのも変な気がする。俺が「お久しぶりです」と声をかけると、課長は目を見開いた後にすごんだ。

「なんでお前がここにいるんだ?」

「俺は仕事で建設予定地の現地調査に来たんですよ」

俺はすぐそばの目的地である空き地を指さした。他の建築士が現地調査をしているかは分からないが、こうして予定地に足を運ぶことが俺の流儀なのだ。

「ところで課長こそ、ここで何をしてるんです?」

すると課長は「課長と呼ぶな。俺はもうお前の上司でも何でもない」と吠えた。それはそうだ。しかし以前は課長と呼んでいたのだし、突然「村山さん」などと呼べないだろう。そんなことを考えながら辺りに目をやると、通りの少し先にハローワークの看板が見えた。そういえばこの辺りにはハローワークがあったことをすっかり忘れていた。

実を言うと、課長はつい最近、前の職場を辞めてしまったらしい。課長の座を失ったことがショックだったらしく、一般社員に戻るのはプライドが許さなかったのだろうか。課長はいずれ部長になりたいと考えていたそうだし、彼の自尊心は深く傷ついたのかもしれない。どうやら課長は新しい職場を探しにハローワークを訪れようとしているようだ。

けれど、あのことに触れないでおく。いちいち本人に聞いたりするものではないと思うから。

「そうだ。社長から契約を横取りした件について、謝罪していただいておりませんが」

「なんだと?俺に謝れというのか?」

少しだけ惨めな印象の課長を見て、俺も多少は溜飲が下がる思いだが、きちんと謝罪をしてほしい。俺は部下だった立場だが、こうなった原因は課長にあるのだから。

「うるさい。俺にそんなことできるはずがないだろう」

「そうですか」と言って、俺はため息をついた。

「課長、後悔先に立たずですよ」

俺はそう言い残して、その場を立ち去った。人に謝罪もできないとは哀れな人だと俺は思う。正直言って、あのような人間にはなりたくないものだ。

その後の俺は、前の職場で取引をしていた企業との契約を取り付けた。俺の設計において、営業の社員が契約を取ってきてくれたということだ。俺が設計したと知った先方は「是非頼みたい」と言ってくれたという。そう言ってもらえるのは建築士として冥利に尽きるだろう。

数年後には、俺の設計した建物が町に建てられる予定となる。自分が設計した建物を自分の目で見ることは、仕事をやっていて良かったと思える瞬間だ。新たな職場での仕事は順調そのものだ。今度はとある地域の図書館の設計を担当させてもらえることになった。

俺が転職をした会社では、俺が設計の仕事に専念していることもあり契約数が増加していたようだ。それは俺が転職したという噂が広まったためらしい。いつの間にか俺は業界において少しは知られるようになったようだ。会社は業績がアップし、どんどん大きな仕事が舞い込んでくる。今いるスタッフでは業務が追いつかないほどになり、事務所の拡大も視野に入れているという。一緒に働いている鏡先輩からは「お前をうちの会社に誘ってよかったよ」と言ってもらえている。そう言ってもらえたからには、俺はこれからも頑張っていかなければならない。

いつかは国内に名を残せるような建築家になりたいと思っている。

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