七五三の祝いで親戚が集まった日、夫が突然「いつか自分の息子に『お父さん』って呼ばれるのが夢なんですよ」と言い出した。結婚して二年、仕事ばかりで私との将来の話なんて一度もしたことがないくせに。その場でいい顔をしたいだけの夫に苛立ちながら愛想笑いをしていた、まさにその瞬間だった。姉の息子が夫のズボンを引っ張り、無邪気にこう言った。「あれ?…

七五三の祝いで親戚が集まった日、夫が突然「いつか自分の息子に『お父さん』って呼ばれるのが夢なんですよ」と言い出した。結婚して二年、仕事ばかりで私との将来の話なんて一度もしたことがないくせに。その場でいい顔をしたいだけの夫に苛立ちながら愛想笑いをしていた、まさにその瞬間だった。姉の息子が夫のズボンを引っ張り、無邪気にこう言った。「あれ?...

「いつか自分の息子に『お父さん』って呼ばれるのが夢なんですよ」

七五三のお祝いで親戚が大勢集まる中、夫がそんなことを言い出した。私は心の中で吐き捨てた。どの口が言っているのか、と。

夫は結婚してからも仕事、仕事と言い、ほとんど家にいなかった。百歩譲って仕事が忙しいのだとしても、態度は結婚当初から冷たかった。いや、冷たいというより無関心に近かったかもしれない。私のことはどうでもいいというか、二人の将来について話し合う気があるようには感じられなかった。

「僕たちもそろそろ子供が欲しいと思っているんですよ」

私との会話で、そんなことを一度も言ったことがないのに。夫は親戚の前でいい顔をすることに必死だった。私はいつもの夫とは思えない言動に戸惑いを隠せなかった。この男が本心からそう言っているとは到底思えなかった。

その時だった。夫の言葉に反応した姉の息子が、口を開いた。

「あれ? 僕の本当のお父さんって、おじさんなんでしょう?」

その場の時間が止まった。可愛らしくも不穏な言葉に、全員が凍りついた。特に隣に立つ夫は、さっきまでの笑顔のまま固まっていた。ただ私だけが、このことを知っていたかのように姉にゆっくりと微笑みかけた。

「じゃあ、行ってくるわ」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

スーツを羽織る夫に返事をしながら、私も髪を結んで家を出る準備をする。

「お、こんな時間。早く出ないと」

時計の針は朝の七時半を指していた。いつもと変わらない光景。私はマキ、三十五歳。夫と結婚してもうすぐ二年が経つ。紹介で知り合い、交際を経て結婚した、どこにでもいる普通の夫婦だ。

夫は営業マンとして第一線で働き続けており、日付を超える残業や土日の出勤も珍しくない。夫婦としての時間が取れているかと言われると、正直微妙だった。同棲していた時と大きな変化はない気がしていた。

出社してデスクに座ると、後輩がすぐに話しかけてきた。

「おはようございます。ねえねえ、先輩、聞きました?」

また噂話か。そう思いながらも、私は適当に相槌を打つ。

「今回のは結構衝撃的ですよ。去年経理課に入ってきた若い子いるじゃないですか」

「ああ、課長が美人が来たぞって騒いでいた子ね」

「そうそう。その子、実は不倫しているらしいんです」

この後輩が持ち込む噂話は根拠がないことが多く、いつも適当に流していた。

「結婚していても諦められないっていう、究極の愛なんですかね」

「そうなのかしらね」

「そういえば先輩のとこはまだお子さんいらっしゃらないんですよね。子供がいない方がラブラブで不倫しないって言うじゃないですか」

恋人ねえ。私と夫はどうなのだろう。付き合っていた頃から、夫とは結婚したら子供が欲しいと話していた。私は家族への憧れが人一倍強い。幼い頃に両親を事故で亡くし、二つ上の姉とずっと暮らしてきたからだ。

姉はたった一人の家族であり、親友のような存在だった。嬉しいことも悲しいことも、何でも分かち合ってきた。当時地方に住んでいた私たちは、親戚や近所の人たちの協力もあって、何とか成人することができた。だからこそ、自分で温かい家庭を築きたい。その思いが強くなったのだ。

夫と結婚してから義両親との関係は良好で、特にお義母さんは自分の娘のように接してくれていた。それなのに、夫が忙しすぎる。それどころではない状況だった。

「仕事、やめるしかないのかな」

「ん? 先輩、何か言いました?」

「うん。別に。ほら、早く仕事しなさいよ」

一度、夫とちゃんと話してみよう。そう決意して、私は仕事を再開した。

「だから前から言ってるだろう。今が頑張り時なんだよ」

帰ってきた夫に、もう少し二人の時間が欲しいと話した。予想通りの返事だった。

「ここで頑張るかどうかで、昇進できるかどうかが決まるんだよ」

「でも私ももう三十五歳だし」

「分かってるって。子供ができたら、今まで以上に金が必要になるだろう」

「お前はいいよな。出世争いとか無縁だもんな。もうこの話は終わり。俺だって疲れてるんだよ」

大きな音を立てて扉を閉め、夫は風呂場へ向かって行った。仕事が忙しいのもあると思うが、最近の夫は冷たい。冷たいというより、無関心に近かった。

夫のシャワーの音を確認して、私は姉に電話をかけた。

「もしもし。マキ、どうしたの?」

「突然電話してごめん。今大丈夫?」

「いつも突然じゃない。今更よ」

姉の明るい笑い声を聞いて、少し安心した。付き合っていた頃から、夫のことで悩むたびに姉に相談していた。

「実は……」と切り出し、夫とのすれ違いや、子供の話し合いをしてくれないことを話した。

「そうね。旦那さん、仕事で忙しいとは思うけど、二人の問題なんだからもう少し向き合ってほしいよね」

「そうなの。私もいい年なのに、私ばっかり焦ってる気がして」

「きっと余裕がないのね。話を聞いてる限り、家族のために仕事を頑張ってくれているみたいだから、まずはそこにもっと感謝を伝えること。確かに最近、ありがとうって言ってないかも」

「そういうの、男の人って結構気にするのよ。あとは話すタイミングを見計らうこと。少なくとも仕事終わりは絶対にダメね」

「うう……反省します」

姉は恋愛経験が豊富で、昔から的確なアドバイスをくれた。私はその言葉に従い、夫と向き合う決意をした。だが、いくら感謝を伝えても、タイミングを変えても、夫が私と話し合おうとすることはなかった。いつものらりくらりとかわされ、何も進展しないまま時間だけが過ぎていった。

それから数ヶ月後、姉から一本の電話が来た。息子のハルト君が五歳の誕生日を迎え、七五三のお祝いをするから夫婦で来てほしいとのことだった。

夫に伝えると、意外なほどあっさりと返事が返ってきた。

「お、おめでたいな。もちろん行くって返事しておいて」

いつも出かける誘いを断る夫なのに。ハルト君を可愛がっているから、楽しみなのだろう。そう思うことにした。

七五三当日。神社には親戚が大勢集まっていた。姉とハルト君を見るなり、夫は私を置いて二人の元へ駆け寄った。いつもの無気力さはどこへ行ったのか、ハルト君を可愛い可愛いと連呼している。

「来てくれてありがとうね。みんな集まってくれて嬉しい限りよ」

「本当に仲がいいね。うちの親戚は」

親戚のおじさんが私に話しかけてきた。

「まきちゃんも久しぶりだね。やっぱり子供は可愛いね。まきちゃんのところもそろそろだろう」

やはりその話題か。言葉に詰まる私の横に、夫がすっと入ってきた。

「お久しぶりです。あ、僕たちもそろそろ子供が欲しいと思っているんですよ」

思わず頷く私。そうかそうかと満足そうに笑う親戚。子供が欲しい。そんなこと、私との会話で一度も言ったことがないのに。

その後も夫は親戚からの質問に気さくに答えていた。

「仕事が忙しいが、なんとか週末の二人の時間は作るようにしているんです」

「やっぱりいつかは自分の子供が欲しいですね。お父さんって呼ばれるのが夢なんです」

親戚たちは「いい旦那さんと一緒になったなあ」と言う。夫は親戚にいい顔をしたいのだろう。あまりにもいつもと違う態度に、苛立ちがこみ上げてくる。私は笑顔を作り直した。

その時だった。

「あれ、僕の本当のお父さんって、おじさんなんでしょう?」

夫のズボンを引っ張りながら、ハルト君は無邪気な顔で夫を見上げていた。

「何よ、急に。たくさん話しているから、本当のお父さんだと勘違いしちゃったのかな」

そう言いながら、姉は震える手でハルト君の頭を撫でた。手も声も震えていて、動揺しているのは明らかだった。

「勘違いじゃないよ」ハルト君は続けた。「だって僕、聞いたもん。おじさんとママが話してるところ」

その言葉を聞くと、姉の顔から一気に血の気が引いていった。

「ちょっと、こっちで遊ぼうか」

急いで息子を連れて行こうとする姉。私は姉の腕を掴み、ハルト君に話しかけた。

「ハルト君、どんなお話を聞いたのか、おばさんにも教えてほしいな」

「いいよ。あのね、いつも僕が寝た後、おじさんが僕のお家に来るんだよ」

「え、そうなんだ」

「でもね、僕、お布団に入った後にトイレに行きたくなることがあって。それでこの間、おじさんとママの話を聞いちゃったんだ」

「そっか。どんなお話をしていたの?」

「僕の本当のパパは、おじさんなんだって。だからもっとママにも会いたいって」

ハルト君は無邪気に笑った。大勢の人がいるというのに、静まり返り、誰も言葉を発しようとしない。

「寝ぼけてたのよね。急に変なこと言わないでよ」

「そ、そうだ。いつもおじさんの家に来る時も、お昼寝大好きだもんな」

なんとか言い訳しようとする二人。私は鞄から封筒を取り出した。

「ハルト君、お話してくれてありがとう。次はおばさんが少し話してもいいかな?」

「うん、いいよ」

私は封筒から書類を出して、二人の前に突きつけた。

「これ、何か分かる? DNA鑑定よ。ここに何て書いてあるか読んでみて。読めないなら、私が代わりに読むわ。ハルト君は、あなたと姉さんの子供。99パーセント、あなたたちの子供だってことが書いてある」

親戚たちがざわつき始めた。

あの日のことを思い出す。数ヶ月前、私は最寄り駅のトイレにスマホを置き忘れた。駅に戻ると親切な人が届けてくれていて、受け取ることができた。そのまま自宅に戻ろうとした時、ちょうど電車が着いたのか、多くの人が改札から出てきた。その中に夫の姿があった。

珍しく早いんだ。偶然会うなんて。そう思い、声をかけようとした瞬間、夫は自宅とは別の方向に歩みを進めた。不思議に思いながら後をつけると、夫はタクシー乗り場で停まり、タクシーに乗っていった。

嫌な予感がした。私もタクシーに飛び乗り、運転手に頼んだ。

「前のタクシーを追ってください」

夫が乗ったタクシーは五分ほど走った後、姉の家に着いた。

なぜ姉の家に? 私に秘密で二人で会っている。そう思うと、胸がザワザワした。その場を離れて自宅に引き返し、夫が寝た後にスマホを確認した。パスコードは、普段触っている指の角度から分かっていたのですぐにロックを外せた。そして、姉と夫が密かにメッセージをやり取りしていることが分かった。

「私には言えない相談とかがあったのかも」

そんな淡い期待は、あるメッセージですぐに砕かれた。

「次はいつ会う? ハルトも会いたいって何度も言ってるよ」

「じゃあ次の休みは遊園地に行くか。なんてったって、本当のパパだからな。たくさん遊んでやらないと」

「息子思いの優しいパパね。いつもありがとう」

文字を何度も読み返し、状況を理解すると吐き気がこみ上げてきた。ハルト君は姉と夫の間に生まれた子供。たった一人の家族である姉と、生涯一緒にいることを誓った夫が不倫をしていた。それだけではなく、可愛がっていたハルト君が二人の子供だというのだ。

さらに遡ると、夫は姉が結婚した時から不倫をしており、妹と結婚すればお互いそばにいられるという計画のもと、私に近づいて結婚したことが分かった。二人して私を騙して楽しんでいたのか。許せない。

そこからは簡単だった。姉とハルト君が遊びに来た時に落ちた髪の毛と、夫の髪の毛をDNA鑑定に出したのだ。そして、親戚が集まるこの日を選んで、二人の悪事を暴くことを決意した。

状況を把握した親戚たちが、一斉に姉と夫を責めた。

「ふざけるな。お前たち、何をしたのか分かっているのか」

確固たる証拠がある以上、二人は言い逃れできず、黙ったままだった。立ち尽くす夫に、私は声をかけた。

「はい、これ。離婚届。後で弁護士から慰謝料について郵便が届くから、受け取ってください」

そう言って、夫の胸に離婚届を叩きつけた。責められ続ける二人をその場に残し、私はその場を後にした。

それからしばらくが経った。離婚は成立し、夫はすぐに家から出ていった。その後、夫がどうなったかは知らないし、知りたいとも思わない。ただ気がかりだったのは、姉とハルト君のことだった。まだ小さな子供だ。大人の事情に巻き込んで申し訳なかったと思っている。姉のことも、どこかで恨みきれない自分がいた。裏切られたとはいえ、たった一人の家族だ。だが、二人の状況を知る権利は私にはない。どうか元気でいてくれることを願っていた。

ある日の仕事中、後輩が私を呼んだ。

「先輩、スマホ、さっきから鳴ってますよ」

見ると、画面には「姉」という文字が光っていた。途端に心臓の音が速くなる。

「ちょっと電話してくるね」

「はい。お姉さんですか? 本当に仲がいいですよね」

事情を知らない後輩は笑顔で送り出した。私はうまく顔を作れていただろうか。

「もしもし。今、仕事中なんだけど」

「何よ、怖い。あんただっていつも突然かけてきてたじゃない」

今までの姉とは思えない冷たい声。私が大好きだった姉は、もうそこにはいなかった。

「今更何かようってこともないんだけど、一言伝えておかないと納得できなくてね」

「どういうこと?」

電話越しに、姉の乾いた笑い声が聞こえてきた。

「私ね、昔からあんたのこと、嫌いだったのよ」

「え……?」

「あんたの方が小さいからってちやほやされて。私はお姉ちゃんだからしっかりしろって言われるばかり。なんで私があんたの面倒を見ないといけないのか、ずっと納得してなかったわ」

そんな風に思っていたなんて。言葉につまる私をよそに、姉はどんどん言葉を並べていく。

「何かあればすぐに、お姉ちゃんお姉ちゃんって。うるさくて仕方なかったわ。そんなにあんな親戚たちと仲良くするのもうたくさん。狭い世界でしか生きていけない人たちよね」

「お父さんとお母さんがいなくなった小さな私たちを、あんなに懸命に面倒見てくれたんだよ。そんな言い方。親戚の人たちがいなければ、私たちはすぐに施設に入れられていただろう。本当の娘のように大切に育ててくれたのに」

感謝など感じられない姉の言葉に、怒りが抑えきれなくなっていた。

「はあ。そういうところが嫌いなのよ。私はあんな人たちとはもう関わらないから。あと、あんた。私、あんたともう赤の他人だから。二度と連絡してこないでよね」

突然の絶縁宣言に、息が詰まる。今までのように連絡を取ることはもうないだろうとは思っていたが、絶縁なんて。ショックを受けている私を嘲笑うかのように、姉は言葉を続けた。

「いいこと教えてあげる。これから私とあんたの元夫は一緒に暮らすから」

あの後、連絡を取っていたのね。とにかく、まとめてやられたのは私の方だったのだ。

「あんたは悲劇のヒロインとして生きていけば、きっとまた親戚たちが可愛がってくれるわよ」

「言いたいことはそれだけ?」

「そうよ。じゃあ、連絡先消しておいたから」

姉が言い終わるかどうかのうちに、電話は切れた。ツーッという音だけが耳元で響く。

何なのよ。そう思うと、絶縁を宣言されたショックよりも、姉に対する憎しみがどんどん湧いてきた。まだ小さな息子もいるし、と姉を心配していた自分が馬鹿らしくなってきた。

徹底的に復讐してやる。私は連絡先を開き、ある人に電話をかけた。

それから一週間後、突然電話が鳴り響き、直感で姉だと分かった私は電話に出た。

「もしもし。ちょっと、一体どういうことなのよ」

「どういうことって、何が?」

「知らないふりしてるんじゃないわよ。上司から『契約先から外すから、来月から来なくていい』って言われたの。どうせあんたが全部仕組んだことなんでしょう」

電話口の姉は怒りで自分を制御できていないようだった。予想通りの展開に、私の頭は冷静だった。

一週間前、姉から絶縁宣言をされた私が電話をかけたのは、姉の元旦那であるトオヤさんだった。

「もしもし。お久しぶりです。姉の妹のマキです」

「ああ、覚えてるよ。久しぶり」

トオヤさんは、浮気をするとは到底思えない優しい声をしていた。

「お忙しいところすみません。私なのですが、先日離婚しまして」

「そうだったのか。でも、なんで僕に電話を?」

「実は、姉の息子が元夫との子供だったこと。その関係は姉が結婚している時から続いていたこと。DNA鑑定を突きつけて離婚した後、姉から絶縁宣言をされたことを話しました」

「そんなことが……」

「トオヤさんにとっても辛い話になってしまい、すみません」

するとトオヤさんは「そういうことだったのか」と小さく呟き、言葉を続けた。

「信じてもらえないかもしれないが、実は私たちの離婚は俺の浮気が原因じゃないんだ」

「え、どういうことですか?」

「妻の浮気が原因なんだ。罪をすりつけられたと言ったらいいのかな」彼は力なく笑った。「君が妻のことを知っているのは知っていたから、あまり伝えない方がいいと思っていたんだ。仕事が忙しかったこともあって、俺もだんだん精神的に参ってきてしまって。帰りが遅くなるたびに浮気をしているんじゃないかと繰り返し言われる毎日だった。いつの間にか彼女の中で、俺が浮気していることが事実になってしまったんだ」

そうだったのか。前の私なら、そんな姉の姿を想像もできなかっただろう。もしかしたらトオヤさんを嘘つき呼ばわりしていたかもしれない。でも今なら、その姿を容易に想像できる。

「ついに俺が限界を迎えてしまってね。俺の浮気が原因ということでいいから離婚することにしたんだ。そうだったんですね」

「仕事で忙しかったから親権はあちらに渡してしまった。でも、まさか俺の子供ですらなかったのか」

返す言葉が浮かばなかった。姉はどれだけ多くの人を傷つければ気が済むのだろう。

「今日電話したのは、どうしても姉のことが許せなくて」

「ああ、俺も許せないな。俺だけ我慢すればそれでいいと思っていたが、唯一の家族である妹の君にまでそんなことをしているのなら、話は別だ」

「ありがとうございます」

「あとはこっちでやっておくから」

そう言ってくれて、私は電話を切った。

「トオヤさんに、ありのままを伝えただけよ」

電話越しに姉が絶望していくのが伝わってくる。トオヤさんは、姉が働いている会社の取引先の部長だった。二人は職場を通じて知り合い、姉のアプローチで交際を開始したのだ。トオヤさんは、そのままの話をしたらこう言ってくれたらしい。

「不倫して、しかも子供を授かるような人だとは思わなかったって。そのことを姉さんの会社の部長さんとも話したみたい」

「姉さん、離婚した理由をいろんな人に言いふらしてたんでしょ。でもそうじゃなかった。誤解していた弊社の従業員が大変失礼なことをして申し訳なかった。それなりの処分をするって言ってくれたらしいわ」

黙り込む姉。まさか仕事まで失うとは思っていなかったのだろう。

「謝るから、謝るからどうにかしてよ。首になんてなったら、生活していけないじゃない」

呆れて何も言えなかった。どこまでこの人は自分のことしか考えていないのだろう。

「もう決まったことみたいだし。そもそも私にはどうにもできないわよ」

「そ、そんな。それに私は赤の他人だから、もう連絡してこないでよね」

電話の向こうで姉が何か言いかけていたが、私は電話を切った。

その後、トオヤさんから謝罪と近況報告のメールが送られてきた。自分が当時ちゃんと向き合わなかったせいで私に迷惑をかけてしまい申し訳なかったということ。姉から連絡が来ても無視してほしいとのことだった。どうやら私と電話をした後、姉はトオヤさんにもしつこく連絡しており、どうにかトオヤさんのコネで再就職できないかとゴネているようだった。

しばらくして、後輩がまたビッグニュースを持ってきた。

「先輩、ビッグニュース。杉本商事ってあるじゃないですか。そこの営業マネージャー、首になったらしいんですよ」

杉本商事。元夫の会社だ。動揺を隠して後輩に相槌を打った。

「どうやらそこのマネージャー、不倫相手と子供を作っちゃったみたいで、出世コースから外されて来月から地方に飛ばされるらしいです」

「なんでそんなに詳しいの?」

「私の彼がそこの営業なんですよ」

間違いなく元夫のことだ。そうなっているとは知らなかったが、どうでもいいと感じている冷静な自分がいた。

そしてしばらくして、元夫の母親からも連絡が来た。姉も仕事を失い、元夫も地方に転勤になってしまったため、元夫の母親がハルト君の面倒を見ることになったらしい。

あのお母さんなら安心ね。二人も育てているし、きっとしっかりしてくれる。唯一の心残りだったハルト君が無事に引き取られたと分かり、私は安心している自分に気づいた。

全てが過去になって、ハルト君に会いに行ける日が来たらいいな。そんなことを思いながら、今日も私は会社に向かう。あ、気になっていたコスメの新作、今日発売だ。帰りに寄って帰ろう。

いつか笑い話にできる日が来るまで、自分の人生を精一杯楽しもう。そう誓ったのだった。

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