ある日、大学時代の友人2人と飲んでいた時のことだ。普段から仲の良い連中と、いつもの居酒屋で他愛もない話に興じていた。店に入ってすぐの座敷に座り、1時間ほど経った頃だったろうか。新しいグループが店に入ってきたのだが、その中に見覚えのある女性の姿が見えた。
杉山さん。会社の同期で、いつもお世話になっている仕事のできる女性だ。俺は驚いて、思わず目を疑った。男女3人ずつのグループで来ているということは、合コンの可能性が高い。職場の人間がプライベートに踏み込むのはどうかと思い、俺は気づかないふりをすることにした。恋愛が絡むかもしれない場面で、無粋な真似はできない。
友人たちとの会話に戻ろうとしたが、なぜか気になって仕方ない。杉山さんの方を見ないようにしながらも、耳は自然とあちらのグループの動きを追ってしまう。すると、よく通る女性の声が聞こえてきた。どうやら杉山さんをからかっているようだ。
「この子、大学時代から彼氏いないんだって。信じられないでしょ」
「今も彼氏がいないって言うから、このままじゃ可哀想だと思って誘ってあげたの」
「私たちが面倒見てあげないと、全然ダメなのよね」
杉山さんのことを下げて、自分たちの価値を上げようとしているのがありありと分かった。大きな声だから、俺たち以外の客にも聞こえているようで、周りの客も微妙な表情で聞いている。向かい側に座っている男性たちは笑いながら聞いているが、杉山さんは俯いて、困ったように笑っているだけだった。
友人たちの表情も強張っていく。
「ひでぇ言われようだな、あれ」
友人の一人が、太が低い声で呟いた。俺も同感だった。杉山さんは入社当時からおとなしくて控えめで、見た目もそんな感じだったから、職場でも目立つ存在ではなかった。でも朝は誰よりも早く来て掃除をしているし、進んで人の手伝いをする。後輩の面倒見もいいし、困っている人を放っておけない人だ。仕事熱心で、信用できる、一目置いている同僚だった。
俺は怒りを抑えながら、まだ様子を見ていた。杉山さんが気まずくなるかもしれないと思ったからだ。だが、女性たちの言葉はエスカレートしていく。ついに我慢の限界を超えた。
「ごめん、俺ちょっと行ってくるわ」
席を立ちかけた俺に、友人の一人が声をかける。
「おい、テル、急にどうしたんだ?」
「あの子、俺の会社の同僚なんだよ」
「だったら早く行って助けてやれよ」
友人2人の後押しを受け、俺は杉山さんたちの座敷へと近づいた。杉山さんはまだ俯いたままだ。女性たちは相変わらず下品な笑い声を上げている。俺は深呼吸を一つして、できるだけ明るい声を出した。
「杉山さん、こんばんは。俺、友達と一緒に来てるんだけど、よかったら向こうで一緒に飲まない? こっちは楽しくなさそうだもんね」
突然の俺の登場に、杉山さんは目を見開いて驚いている。それまで好き勝手言っていた女性たちも、男性たちも、一斉に口を閉じて俺を見ていた。一瞬の静寂が流れる。
「は? あんた、何なの?」
一人の女性が、憎々しげに睨みつけてくる。
「そうよ。楽しんでる私たちの邪魔しないでよ」
「楽しんでるのは君たちだけでしょう。君たちがさっきから一人の女性を落として、自分たちを挙げようとする最低な言葉が聞こえてきて、気分が悪くて楽しい酒が飲めないんだよ」
俺が冷たく言い放つと、女性たちは一瞬言葉を失った。男性の一人が何やら文句を言ってきたが、俺は構わず続けた。
「この人たちの言葉に一緒になって笑ってるあんたらも、最低な人種だよ」
そう言って黙らせると、俺は杉山さんの方に向き直り、手を差し出した。
「ほら、行こう。どうせ飲むなら楽しまないと」
杉山さんは一瞬躊躇したが、ゆっくりと立ち上がった。俺は、杉山さんの手を取って、自分の席へと誘導した。友人たちも、俺たちの状況を察したのか、立ち上がって杉山さんを歓迎してくれた。
「ごめんね、聞くつもりはなかったんだけど、聞こえてきちゃってさ」
俺が謝ると、杉山さんは申し訳なさそうに首を振った。
「そんな、謝らないでください。最初は驚きましたけど、長谷川さんが私のために行動してくれて嬉しかったです。助けてくれてありがとうございました」
「杉山さんの助けになれたのなら、良かったよ」
杉山さんは、ほっとしたように微笑んだ。しかし、すぐに何かを思い出したように、不安そうな顔をした。
「でも、せっかくお友達と飲んでたのに、私が入ったら迷惑じゃないですか?」
「何言ってるんですか、むしろ大歓迎ですよ。さあ、テル、注文しようぜ。杉山さんは何がいい?」
友人の一人が、明るく話を振った。杉山さんは、その言葉に少し照れながらも、注文を始めた。俺は、そんな杉山さんを見て安心した。
それからは、杉山さんを交えての楽しい時間が始まった。友人たちも杉山さんの人柄にすぐに打ち解けたようだ。杉山さんも、最初は緊張していたようだが、次第に笑顔を見せるようになった。
「そういえばさ、テル。杉山さんと同期だって話だったっけ? 仕事はできるの?」
友人の一人が、興味津々そうに聞いてくる。
「ああ、もう、すごいんだよ。作業が速くて、なんでも任せられるんだ。急ぎの仕事の時は、本当に助かってるんだよ」
「うちの会社もお世話になってるんですよ。長谷川さんは、いつも営業で当たりが強いから、こちらも力が入ります」
「本当に助かってるんだよ。杉山さんには足を向けて寝られないよ」
「へえ、そりゃすごいな。じゃあ、その杉山さんに一発おごらないと、テル」
友人がニヤニヤしながら言うと、杉山さんは笑って手を振った。
「そんな、今日はもう十分飲ませてもらったので大丈夫です。それに、たまには飲みに付き合ってくださいって言われたので、今度は後輩たちと飲みに行く約束をしてしまいました」
「あら、そうなの? それはいいですね」
「そうなんですよ。断ったら、『それじゃあ、今度は僕たちと飲みましょうよ』って、かわいい後輩たちに詰め寄られちゃいまして」
杉山さんは、いたずらっぽく笑った。俺は、そんな杉山さんを見て、なんだか嬉しくなった。彼女が自分の職場のことに悩んでいたことを知っていたからだ。
そういえば、杉山さんが以前こぼしていたことがある。自分の仕事の評価が低いだの、わかってもらえないだのという話を。俺は、杉山さんは仕事ができるし、会社に必要な人だと思っていた。でも、本人はそれを実感できないでいるのかもしれない。
「ねえ、杉山さん。一つ聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「最近、仕事は楽しいですか?」
杉山さんは、突然の質問にきょとんとした顔をした。だが、すぐに何かを考え込むように、少しだけ目を伏せた。
「そうですね……大変なこともありますけど、今は楽しく働けていますよ」
「以前は、会社にいづらいって話を聞いたことがあったんで」
「ああ……あの時は、ちょっといろいろとありまして。でも、今は色んな人に恵まれて、仕事を頑張ろうって思えてます」
「そっか。それならいいんだけど」
「長谷川さんには、いつも助けられています。仕事の面でも、こうして飲みの席でも。今日みたいに、守ってもらうこともありますしね」
「俺の方こそ、杉山さんに仕事を任せきりで。すみません」
「そんなことないですよ。心配してくれてありがとうございます。長谷川さんがいてくれるだけで、私、頑張れますから」
杉山さんは、そう言って微笑んだ。料理も酒も進み、会話も弾む。友人たちも、杉山さんの人柄を気に入ったようだ。自然と話も弾み、楽しい夜は更けていった。
「今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」
店を出て、杉山さんがぽつりと呟いた。すっかり夜景の見える場所に出てきた。
「こちらこそ。杉山さんこそ、あそこから引っ張り出してしまって、嫌な思いをさせてしまったのでは?」
「とんでもないです。あのままいたら、多分、泣いてたと思います。長谷川さん達と飲めて、本当に楽しかったです。心配をかけてしまいましたが、でも、こうして気にかけてくれて、私こそ嬉しかったです」
「そっか。なら良かった」
「ええ。今日みたいな日もあるのに、仕事が嫌になっちゃいけないですよね。長谷川さんのおかげで、また明日から頑張れます」
「それは良かった。でも、杉山さんには本当にいつも助けられてるから。何か困ったことがあったら、いつでも言ってほしいんだ」
「ありがとうございます。そうさせてもらわないといけないですね」
「あ、そうだ。杉山さん、今度また機会があったらだけど、別の日にちゃんと飲みに行きませんか? 落ち着いて話せる場所でさ」
思い切って言ってみると、杉山さんは目を丸くして、一瞬止まった。しまった、急すぎたか。そう思ったのも束の間、杉山さんは柔らかく微笑んだ。
「……はい、ぜひ。私も、ご一緒させてください」
そう言って、杉山さんは恥ずかしそうにうつむいた。俺は、こっちまで顔が熱くなってしまうのを感じた。友人たちが隣でニヤニヤしているのが視界の端に見えたが、無視を決め込んだ。
まさか、あの合コンからの出来事がこんな風に発展するとは思っていなかった。俺と杉山さんとの間には、今までにない新しい何かが生まれようとしていた。
