腰に痛みを抱えて布団の中でうずくまっていると、玄関の扉が開く音がした。時計を確認すると朝の八時を回ったところだ。おそらく義母だろう。案の定、足音が近づいてきて、寝室の扉が遠慮なく開けられた。
「あら、大はもう仕事に行ったの? 朝早くから偉いわね。あんたはこんな時間までまだパジャマで何してるのよ」
「すみません。腰の調子が悪くて、今日は少しお休みしようと思って」
「ふん。腰が痛いぐらいで仕事休んでたら、やっていけないわよ。大は昔から何度も言ってたけど、あんたみたいな嫁は本当にどうしようもないわね。子供もできないし、仕事ばかりしてるからそうなるんだわ」
義母の言葉に反論したい気持ちは山々だったが、腰の痛みでそれどころではなかった。何とか愛想笑いを返すだけで精一杯だった。
義母はそれでも言葉を続ける。
「大はね、専業主婦の女性と結婚すべきだったのよ。あの子は仕事もできるし、家事も完璧な女の人がふさわしかったんだわ。あんたみたいに働いてばかりの女じゃなくてね。私だって昔はクリーニング店で働いてたけど、家事は完璧にやってたわ。大が言ってたけど、あんたは生活費もきっちり入れないんでしょ? 」
「いえ、それはちゃんと……」
「あんたの給料なんて雀の涙ほどでしょう。そんなんでよく大と釣り合う結婚ができたわね」
義母はそう言い残すと、「もういいわ。あんたといても嫌な気持ちになるだけだから帰るわ」と踵を返した。
「では、また来週」
そう言って義母を送り出すのがやっとだった。玄関の扉が閉まった瞬間、私は深く息を吐いた。居たのは十分足らずだったが、腰が痛いのも相まってどっと疲れが出た。
しばらく布団で休んだ後、病院へ行くと、腰の状態はかなり悪いと言われた。しばらく通院が必要だという。「このままだと休職も検討したほうがいいかもしれない」という医師の言葉に、私はようやく現実を直視しなければならなくなった。
私と夫の大は、二十代の頃に知り合った。よく行く居酒屋が一緒で、何度か顔を合わせるうちに私の中で気になる存在になっていった。酔った勢いで店長にその話をすると、なんと店長が飲み会の機会を作ってくれたのだ。数回一緒に飲むうちに自然と付き合うことになった。
当時の大はクールで紳士的で、私のどうしようもない悩みでも嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた。私のことを一番に考えてくれているのが伝わってきた。結婚を決めた時も「ずっと大切にする」と言ってくれた。
しかし結婚してから、大は私に無関心になっていった。原因はおそらく、私がパティシエの仕事を続けることを選んだからだと思う。
「結婚したら仕事をやめて家にいてほしい」
大はそう言った。もっと家にいる時間が取れる仕事に転職してほしいとも言われた。でも私はどうしても大好きな仕事をやめることができなかった。
パティシエという仕事は立ち仕事で、朝から夜まで長時間立ちっぱなし、重い鍋や生地を扱うことも多く、かなりの重労働だ。三年前から腰の状態が悪くなり、最近は特に調子が良くない。立ち上がることもきつく、休みを取らざるを得ない日もある。チーフを任されている以上、休めば後輩たちに迷惑をかけてしまう。
「先輩、無理しないでください。私がやりますから」
後輩たちは本当にいい子ばかりで、仕事のフォローをしてくれる。その度に申し訳なく思う一方で、頑張らなきゃという気持ちが強くなっていく。でも、家に帰れば夫は冷たかった。
「朝ごはんまだなの? 遅刻するじゃないか」
「ごめん。腰が痛くて起き上がれなくて……」
「はぁ。じゃあコンビニで買ってくるよ」
そう言って夫はため息をつきながら出勤していった。私を心配する言葉も、助けようとする気配もない。わざわざベッドまで来て、朝ごはんの準備を催促するために呼びに来たのだ。
クリスマスやお正月など忙しい時期は特に仕事が忙しく、家事がおろそかになってしまった。家が散らかっていると、夫は決まって言う。
「家がこんなに荒れても平気なの?

」
「仕事が忙しくて……」
「給料も安いみたいだし、そこまでしてやりたい仕事なのか? 」
「好きだから続けたいの。何度も言ってるじゃん」
普段は滅多に言い返さない私も、仕事のことになると意地を張ってしまう。大は私が作ったケーキを一度だって食べてくれたことがない。何度か食事の後に出してみたこともあるが、一切手を付けようとしなかった。
義母も大と同じことを言う。夫の実家は車で五分ほどの距離にあり、義母はウォーキングの途中でほぼ毎日のように我が家に立ち寄る。旦那と同じで、私が仕事をしていることにも反対だった。そして私との間になかなか子供ができないことも、何かと口うるさく言ってくる。
「あんたの年齢もあるし、早く孫の顔が見たいわね。まさか仕事優先にしてるとかないでしょうね? 」
「そんなことは……」
「嫁いだら家事と子供が大事なのが分かってないんじゃない? 」
会うたびに嫌みを言われるので、正直なところ義母が苦手だった。夫がいる時は夫と言葉を交わしているので、私が義母と話すことは極力避けていた。それでも朝に一人でいるところを捕まると、必ず何か言われる。
実のところ、私は子供が欲しくなかったわけではない。働きながら数年にも渡って不妊治療をしていた。しかし結局、授かることはなかった。それを義母は「あんたの仕事のせいだ」と決めつけてくるのだ。
「仕事ばかりしてるから身体に悪いのよ。不規則な生活してたら子供なんてできるわけないわ」
「仕事をやめるつもりはありません」
「あんたねえ、女の幸せって結婚して子供を産んで家庭を守ることでしょうが」
その日も延々とそう言われ続けて、私はとうとう何も言えなくなってしまった。義母の言い分がすべて正しいとは思わないが、反論する気力もなかった。
私は周りの人たちにも相談してみた。友人には「仕事を続けたいなら続ければいいじゃない」と言われるが、家庭との両立の難しさは、実際に経験している人にしか分からない。
転職活動を考えたこともあった。でもパティシエの仕事以外に、私がやりたい仕事が見つからない。ましてやこの年齢になって、未経験の仕事に挑戦するのは現実的ではない。
事態が動いたのは、それから間もなくのことだった。
「今日、大のお母さんから電話があったんだ」
夕食の席で大が唐突にそう言った。義母から直接連絡が来ることはほとんどないので、私は意外に思った。
「何の用だったの?
」
「それが……」 大は言いにくそうに口を開いた。「義母が再婚することになったんだって」
「え? 」
「相手はね、若い頃に付き合ってた人らしいんだ。今は妻と別れて独身に戻ったとかで……」
私はしばらく言葉を失った。てっきり義母は私たち夫婦のことを何よりも気にかけているのだと思っていた。その義母が、まさか再婚を考えているなんて。それも、自分の息子である夫に「お前の結婚は間違っている」と言い続けていたその人が、たった一人で新しい人生を歩もうとしている。
「それで、どうするつもりなの? 」
「どうするって……祝うしかないだろ。実の母なんだから」
「でも、相手が誰か知ってるの? ちゃんと考えないと」
「余計なこと言わないでくれないか」
大の声が急に強くなった。
「俺たち夫婦のことに口出しされたくないんだよ。母にはこれまで散々言われてきたけど、じゃあお前はどうなんだ?
」
「何で私が責められるの? 」
「だってお前、母のことを嫌ってるだろ。会うたびに嫌な顔して」
「それは……向こうから一方的に……」
話にならない。私は皿を下げて台所へ立った。夫は夫で、義母は義母で、私の気持ちを理解しようとしてくれない。
数週間後、義母から結婚式の招待状が届いた。私の住所までちゃんと調べてきたのだろう、私宛てにきちんと宛名が書かれていた。封を開けると、そこには義母と名義人のツーショット写真が入った招待状があった。披露宴までのしきたりを綴った文章の横に、こう書いてある。
「これまでお世話になりました。新しい人生を歩むことにしました」
私は複雑な気持ちになった。家庭を顧みず仕事に打ち込んできた私が悪いのか、それとも義母の言い分を聞きすぎたのか。いや、そもそも私が子供を産めなかったから、こんなことになったのだろうか。
友人にLINEで相談した。
「ねえ、義母が再婚するんだって」
「え? うそ。あの人が? 」
「そう。しかも相手は若い頃の恋人らしい」
「それって……まさか、昔からずっと引き合いに出してた『あのお姑さん』を否定してるってことじゃない?
」
「どういうこと? 」
「だって、姑さんはあんなに『嫁は家庭に入るべき』って言い続けてたのに、自分は散々自由に生きた挙句に晩婚でしょ。もう開いた口が塞がらないって感じじゃん」
友人の言葉に、はっとした。そうか、義母は自分のことを棚に上げて、あれだけ私に文句を言っていたのか。孫が欲しい、息子に早く子供を産ませたいと言いながら、自分はやりたい放題。
失礼だとは思いつつも、何だか滑稽な気持ちになった。
結婚式の日、私は参列した。義母は晴れやかな顔で、若い頃に原型があるのかと思うほど新郎に寄り添っていた。式の間中、新郎新婦を祝福する拍手が聞こえる中、私は一人、その光景を静かに見つめていた。
祝辞を述べる親族の話によると、義母も新郎もそれぞれ自分の人生を悩みながら歩んできた結果、縁があって一緒になることを決めたということだった。
「人生は一度きり。失敗を恐れず、残りの人生を大切に生きていきたいと思います」
義母はそう言って、静かに頭を下げた。私はなぜだか涙が出た。悔しいのか悲しいのか、よく分からない。ただ、長年私を縛っていたものの重荷が、ふっと軽くなったような気がした。
披露宴の途中、お手洗いに立った時、廊下で義母と目が合った。と思ったら、義母の方が近づいてきた。
「まなみさん、来てくれたのね」
「はい、おめでとうございます」
「ありがとう。……ねえ、一つだけ言わせて」
義母の目が真剣になった。
「私はあなたのことを嫌っていたわけじゃないの。ただ、自分が我慢してきたことをあなたにも強いてしまったんだと思う。あなたの人生、しっかり生きなさい。誰かのために生きるのは、もうやめなさい」
そう言って義母は、私の手をそっと握ると、佐賀の席へ戻っていった。
数日後、私は大にこう伝えた。
「私、パティシエを続けるわ。腰の治療をしながら、できる限り仕事は諦めないつもり」
「なんでだよ。母がいなくなったからって調子に乗るなよ」
「義母さんが言ってくれたの。自分の人生をしっかり生きなさいって」
「はあ? 」
「私はパティシエを辞めたくない。大好きな仕事なんだ。あなたに仕事を辞めてほしいとずっと言われ続けてきたけど、これからは私の好きなようにやらせてほしい」
「ふざけるなよ」
大はそう吐き捨てると、リビングを出ていった。背中が怒りに震えているように見えた。私はしばらくその場に立ったまま、動けずにいた。
その夜、布団に入って天井を見上げながら思った。
―――私は間違っていない。仕事を続けることを選んだのは、私自身だ。子供ができなかったことを責め続けられても、ずっと耐えてきた。でも、もう耐えなくていいんだ。
隣では大が背を向けて寝ている。音のない部屋に、時計の音だけが響いていた。
数週間後、私はこの家を出ていくことを決めた。大に言ったら、何も言わずに「ああ」とだけ返ってきた。
「しばらく実家に戻る。一人になりたいの」
「そうか」
それだけのやりとりだった。冷めた夫婦という言葉がよく似合う。私がスーツケースを転がしながら玄関を出ようとすると、思い出したように大が口を開いた。
「母が……何か言ってたのか?
」
「“誰かのために生きるのは、もうやめなさい”って」
大は何も言わなかった。私はインターホンを押して、家の扉を閉めた。閉めた瞬間に、涙が止まらなくなった。ここで私の長い12年間が終わった。
しばらく実家で療養しながら、私はケーキ屋でパートを始めた。腰の調子を考えてフルタイムではなく、午後の数時間だけ。たとえ小さい規模でも、お菓子を作る仕事から離れなければ、何かが見つかる気がした。
最初の週末、地元の商店街を歩いていると、小さなケーキ屋の前に張り紙が出ているのを見つけた。「パティシエ募集 経験者歓迎」——私は迷わず店の扉を開けた。
「すみません、募集を見たんですけど」
「ああ、よかったら中へどうぞ」
店主は年配の女性で、私の話を一通り聞くと、ニッコリと笑ってくれた。
「じゃあ、来週からここで働いてもらえるかしら。趣味でやってるような小さな店ですけど、腰を大事にしながら無理せず働ける時間で大丈夫よ」
「ありがとうございます。頑張ります」
私は深く頭を下げた。この小さな店で、どんな再出発が待っているのだろう。大と義母との日々を思い返しながら、私は新しく始まる人生の一歩を踏み出していた。