私は六十五歳。スーパーでパートをしながら暮らしている。夫は七十歳で、定年後は嘱託社員として働き続けている。息子は三十七歳、独身だ。地元の大学を卒業して戻ってきたものの、一人暮らしをしていて、家には夫婦二人だけが暮らしている。息子は私には頻繁に連絡をくれ、顔を見に来ることもある。しかし、夫とは距離を置きたがる。夫が長年にわたってモラハラやDVを繰り返してきたのだから、当然のことだった。
私たち家族が夫と衝突した回数は数え切れない。だが、息子が幼い頃はいつも私がそばにいたおかげで、息子が直接の被害に遭うことはほとんどなかった。もちろん、目の前で母親が罵倒されたり、物を投げつけられたりするのを見てきたのだから、怖かっただろう。それでも、息子が初めて夫と一対一で向き合い、罵倒されたのは幼稚園の頃のことだ。
あの日、親戚が訪ねてくる予定があり、私は料理の準備で忙しくしていた。夫は家事も育児も一切しない人間で、自分の客が来る日でも何ひとつ手伝おうとしない。ところが、その日は珍しく「約束の時間まで暇だから、息子を公園に連れて行く」と言い出した。息子が行きたいと言ったらしい。少し不安はあったが、手が離せなかった私は、息子を夫に任せることにした。公園は自宅からすぐだし、近所の目がある場所なら、さすがの夫も問題を起こさないだろうと思ったのだ。
だが、二人が出かけてから三十分も経たないうちに、息子だけが帰ってきた。インターホンが鳴る前に、泣き声で気づいたほど、息子は大泣きしていた。
「どうしたの? 大丈夫? 怪我したの?」
「お父さんが……お父さんが……」
泣きじゃくって言葉にならない。私は息子の背中をさすりながらなだめた。幸い、怪我はしていないようでほっとした。夫はまだ帰らない。一体どこへ行ったのか。息子が落ち着くのを待って話を聞いていると、バタンと大きな音がして夫が帰宅した。近所迷惑になるから静かにしてくれと何度言っても、夫には通じない。夫はほとんど身体的暴力は振るわなかったが、その分、暴言がひどく、物にも当たった。きっかけはいつも些細なことばかりだった。
その日、息子が叱られた理由も、大したことではなかった。ブランコが大好きな息子は、最初は夫に背中を押してもらっていたらしい。だが、夫はすぐに飽きてベンチに座ろうとした。すると、夢中でブランコをこいでいた息子の靴が脱げて飛び、運悪く夫の肩に直撃。お気に入りのシャツを汚してしまったという。息子が気づかず遊び続けて謝らなかったわけではない。ちゃんと謝ったのに、夫は大きな声で何度も怒鳴りつけ、その場に置き去りにしたのだ。泣きながら帰ってきた息子を見て、私は頭に血が上った。
夫がこもる部屋のドアを勢いよく開けた。
「小さな子を置き去りにするなんて。もし何かあったらどうするつもり?」
「バカが。公園から家は見えているだろう。何があるって言うんだ」
息子が謝っているのに許さず怒鳴り続けたことにも追求したが、夫は聞く耳を持たない。しまいには、息子を「バカ」呼ばわりし、私の質が悪いからこんな人間に育つんだとまで言い放った。不肖のバカ息子、母親失格、そんな言葉が飛び出してきた。私が睨みつけていると、夫は「何だその目は?」と手当たり次第に物を投げつけてきた。筆記具が散らばり、コップが壁に当たって砕け散る。私も負けじと、飛んできたものを投げ返した。やがて投げやすい小物がなくなり、夫の手が止まる。最後に脱ぎ捨ててあったシャツを掴んで投げつけながら、夫は怒鳴った。
「さっさと洗え。綺麗にならなかったら許さんからな。分かったら出ていけ」
私は無言でドアを閉めた。バカはどっちだろう。子供と公園に行くのに、汚れて困る服を着る方がおかしい。普段、子供と遊ばなくても想像できることだろう。自分の失敗を棚に上げて逆切れか。部屋を出ると、息子が縮こまって様子を伺っていた。
「お母さん、大丈夫?」
「大丈夫よ。ごめんね、びっくりしたね」
「あ、血が出てる」
避けてはいたが、傷や痣がいくつかできていた。手の切り傷は、割れたコップの破片に触れたせいだろう。以前は標的が私だけだったが、この日を境に、息子も巻き込まれるようになった。息子は口に出しては言わないが、幼い頃に受けた心の傷は、今も時折彼を苦しめているのではないかと思う。母親として申し訳ない限りだが、息子が優しくまっすぐに育ってくれたことだけは救いだった。
実は、息子が思春期を迎える頃から、夫との間で取り返しのつかない衝突が起きるのではないかと恐れていた。テレビで悲惨なニュースを見聞きするたびに、他人事ではないと怯える日々だった。幸い、息子は夫と違って理性的だったため、最悪の事態は免れた。息子が成長するにつれて、私を夫の攻撃からさりげなく逃してくれたり、間に入って夫をいさめてくれるようになった。夫の攻撃の頻度は次第に減っていった。力では息子に敵わないと分かっているからだろう。私がスーパーでのパートを始めて土日祝日にも出勤するようになり、家で過ごす時間が減ったせいもあって、数年は物を投げつけられることもなかった。言葉の暴力はひどかったけれど。
息子が大学への進学を決めた時も、地元で就職して実家に戻らない選択をした時も、私は迷う彼の背中を押した。
「お母さんは大丈夫だから。暴力を振るわれることはないと思うし、でも、いつもやり返してるでしょ。だから平気よ。あなたは選んだ道を進んで。それがお母さんの希望なの」
息子にはそう伝えたものの、夫婦二人の生活になると、予想通り夫の攻撃は激しくなった。身を守るため、理不尽なことで怒鳴られれば言い返し、物をぶつけられればぶつけ返した。負けるものか。
ある日、何気なくテレビを見ていると、モラハラ夫についての特集が放送されていた。私ははっとした。このモラハラ夫とは、私の夫そのものではないか。必要な人格攻撃をして追い詰めようとする。些細な理由で罵倒し続ける。当てはまることばかりだった。モラハラはDVと切り離せない場合が多く、大声や態度で威圧するのも、物を投げつけるのもDVなのだと知った。気に入らないことがあると生活費を渡さないのも、そういうことなのか。時代は変わったのだと実感した。昔は、直接体を攻撃されない限り、暴力だとは認めてもらえなかった。暴力を振るわれてなお、泣き寝入りする人も多かった。
モラハラをする者の多くが外面がいいという事実にも納得がいった。夫も昔から外面が極めて良い。少なくとも、夫の職場の人たちは、夫がモラハラやDVをしているとは気づいていないだろう。近所には怒鳴り声で怪しんでいる人もいるかもしれないが、夫のことだから、単なる夫婦喧嘩だとごまかしているはずだ。そして、夫の激しい攻撃は私と息子だけに向けられており、決してよその人を攻撃するわけではない。だから、皆騙されているのだろうな。
この日を境に、私は離婚に向けて準備を始めた。まずはお金を貯めることだ。数年前からパートの給料を生活費の足しにするのをやめていたため、新しい生活を始めるには十分な額が貯まっていた。幸い、夫はまだ気づいていない。私の予想では、夫は財産分与に応じようとはしないはずだ。全く受け取れない場合に備えて、少しでも多く貯めておかなければならない。次に、離婚そのものにも応じないだろうから、離婚原因に当たると認めさせるために、客観的な証拠を集めることにした。協議離婚に夫が応じなければ、調停、それでもダメなら裁判になる。証拠は重要になる。少しでも有利な条件で、そして早く離婚するために頑張ろう。
今度は息子が私の独立を後押しすると言ってくれている。離婚の意思を固めたきっかけについても、包み隠さず息子に伝えた。風の噂で、遠くに住む友人Dが熟年離婚をしたと聞いたのだ。その友人は都会に出て裕福な男性と結婚し、子供を立派に育て上げ、今では孫もいる。幸せを絵に書いたようだと皆に羨ましがられていたのに。そのことを教えてくれたのは、地元に住む別の友人だった。彼女の一言が私の胸に刺さった。
「ずっと旦那さんの浮気やモラハラに耐えてたらしいわよ。そんなに幸せそうに見えても、分からないわよね」
この時、私は意外だと思うよりも、「浮気」と「モラハラ」という言葉に反応してしまった。夫と同じだから。そして、少し前に、私も夫の浮気に気づいてしまっていたのだ。
夫は大胆にも、自宅付近に住む女性と浮気をしていた。相手の女性は早くにご主人を亡くされ、一人暮らしをしている。パート帰りに、夫がその家に入っていくのを目撃したのだ。まるでドラマのような光景だった。すぐに夫が出てきたので、慌てて隠れた。幸い、こちらには歩いてこず、二人でそこのコンビニへ向かった。どうしよう。思わず息子にメールを送ると、すぐに返事が来た。
「父さんが家に出入りする写真、撮っておいて。シャッター音が聞こえそうなら動画でもいいよ」
分かった。田舎の夕暮れ時だから、身を隠すのは難しくない。シャッター音もそれほど気にしなくていいだろう。だが、スマホの明るい画面で気づかれる恐れがあるため、必死に隠しながら撮影した。夫と女性は二人の世界にいるようで、撮影は簡単だった。コンビニから買い物袋を手にして出てきて、女性の家に入る。一階の部屋の明かりがついた。夕食だろうか。三十分もしないうちに一階の明かりが消え、二階の窓が明るくなる。しばらくすると、それも消えた。
結局、最初に見つけてから一時間半ほどで、夫は女性の家を後にした。玄関から出てきた夫を撮影し、私は急いで自宅へ帰った。二人は名残りを惜しんでいるようだった。その後、息子と相談し、弁護士に依頼することにした。弁護士の助言に従い、浮気とモラハラDVの証拠となる画像や動画、音声を集めた。いつでも家を出られるように、荷物の整理も始めた。
そして、いよいよ準備が整い、夫に離婚を切り出す日が来た。昨夜はほとんど眠れなかったが、眠くはなかった。息子が心配して、自分が休みの週末に話し合いをするよう勧めてくれた。家の前に車を止めて待機すると言ってくれたのだ。息子にメールを送ってから、夫に切り出した。
「話があるんだけど」
「なんだ?」
「離婚したいの」
「離婚だと? ふざけるな。絶対に許さん。何の不満があると言うんだ」
その大声が、かつての日常を思い出させる。私は当日伝えるべきことを言った。モラハラ、DV、浮気について、証拠を揃えてあること。私はすぐにでも出ていくから、後の話し合いは弁護士を通して欲しいこと。夫はそれを聞いて逆上した。
「弁護士だとな? なぜ他人任せにするんだ。家族の問題に、他人が関わることなど許せるか」
怒鳴りながら物を壊し、威嚇し続ける夫。私が平然としているのが気に食わないらしく、手当たり次第に物を投げてくる。ぎゃあ。部屋に響き渡る音と、夫の悲鳴。夫が投げたものが当たって、昨日手入れをしていた釣り竿が床に倒れた。夫に踏まれて釣り竿は折れ、踏んだ夫も足を滑らせて尻餅をついた。私はあっけに取られてしまった。
「何やってんだ、このバカが。ぼさっとしてないで、救急車を呼べ!」
このまま出て行こうかとも思ったが、冷静に観察すると、本当に立ち上がれないようだ。しばらく考えて、救急車を呼び、息子にも知らせた。数分後、救急車が到着し、夫は運び出された。車から出ようとしない私に、救急隊員が声をかけた。
「奥様も、救急車にご一緒にお乗りください」
突然のことで混乱して動けないのだと勘違いしたらしい。
「いえ、このまま出発してください。私は一緒には行きません。離婚するので、もう関係ないんです」
夫は一人寂しく、救急搬送されていった。結果、夫は尾底骨が折れ、骨盤にヒビが入っていた。何度も電話がかかってきて、あれこれ持って来いと言う。最後の情けで、たくさんの着替えや身の回りの品を届けてやった。その後の連絡は無視していたが、いいことを思いついた。着替えがなくなる頃を見計らって、病院へ向かう。動けずに横たわる夫に、妻としての介護を申し出た。
「面倒を見てあげます。その代わり、弁護士さんと話を進めてください」
夫は私を睨みつけるだけで、何も言わなかった。
「嫌なら帰ります」
「……分かった」
夫が入院している間に、私はアパートを契約し、引っ越した。弁護士に確認したところ、やはり金銭面で折り合いがつかないらしい。ただ、私の意思が固いことは理解したようで、離婚には応じる姿勢を見せているそうだ。息子とは連絡を取り合い、時折買い物や食事に出かける。息子は私の変化に驚いている。
「母さんが、そんなに毎日楽しそうにしてるの、初めて見たよ」
「そうかもね」
本当に、毎日が楽しくて仕方ない。好きなものばかりで、したいこともいっぱいある。友人や知人との集まりも気にせず楽しめるし、ガラスの置き物が壊される心配もなく飾れる。自由は、本当に素晴らしい。
