商談の前日、課長が俺の顔にまで詰め寄ってきた。「お前よ、無能の高卒でこの商談をまとめられるのか?てめえは来るな」ヤンキーさながらの巻き舌で、低い声を吐き出した。26歳の俺、野瀬は地元の厨房機器メーカーで営業をしている。半年前、俺が時間をかけて進めていた警備会社との商談は、この大平課長に横取りされた。それだけで終わらず、課長は毎日のように俺を雑用係のようにこき使い、周囲に「無能な高卒の部下」と…

商談の前日、課長が俺の顔にまで詰め寄ってきた。「お前よ、無能の高卒でこの商談をまとめられるのか?てめえは来るな」ヤンキーさながらの巻き舌で、低い声を吐き出した。26歳の俺、野瀬は地元の厨房機器メーカーで営業をしている。半年前、俺が時間をかけて進めていた警備会社との商談は、この大平課長に横取りされた。それだけで終わらず、課長は毎日のように俺を雑用係のようにこき使い、周囲に「無能な高卒の部下」と...

将談の前日、課長が俺の顔にまで詰め寄ってきた。まともな社会人とは思えない態度で、低い声を吐き出した。

「お前よ、無能の高卒でこの商談をまとめられるのか?無理だよな。俺が代わりに行ってやるよ。無能な考察がお邪魔したら失礼だからな。てめえは来るな」

課長はヤンキーさがの巻き舌で食ってかかってきた。しかし俺もこれだけは譲れないという強い気持ちがあった。何もしていない被害者の課長に、商談を譲る気などない。

睨み返して、はっきりと不満を伝え、意見を言い切った。だが当然、課長も負けてはいなかった。

「バカバカしい。てめえみたいな考察の若造に、誰が仕事させるって言うんだよ」

怒鳴って威圧すると、勝手に取引先へ担当交代の連絡を入れてしまった。勝ち誇った笑みを浮かべた課長が、俺の作った商談資料を勝手にまとめる。もはや課長は商談を勝ち取った気でいる。

その様子に無性に腹が立った俺は、最後に一つだけ尋ねた。

「課長、本当に担当を変更してよろしいんですね」

「当たり前だろ。そんなこともわからねえって。やっぱりお前はバカだな」

課長は資料を小脇に抱え、「じゃあな」と言ってオフィスを出ていく。それが会社への別れの言葉となるとも知らずに。

俺の名前は野瀬。高校卒業を機に地元の厨房機器メーカーに就職し、現在は営業部に所属している。26歳の誕生日を迎え、自分がこれからどんな仕事をして会社に貢献していけるのか、そんなことをよく考えている。

入社当時の俺は工場で生産ラインの管理チームに配属された。高卒社員は工場からという会社の決まりに従い、まずは会社と社会人の基礎を身につけることを求められた。俺は特に目標や希望を持たず、目の前の業務を丁寧に確実に消化しようと心がけていた。そして運良くそのやり方を会社に認められ、本社への異動の切符を手に入れた。

2年前、俺は営業部長から抜擢される形で本社営業部に所属になった。

「何も構えなくていい。君の堅実という持ち味を生かして、着実に実績を積み上げてくれ」

俺を見い出してくれた営業部長は、俺の肩を叩き、優しい言葉をかけてくれた。その時、清んだ俺に、その気遣いはどれほどありがたかったか。俺はそれ以来、部長の期待に答えようと試行錯誤の日々を過ごしている。

「聞いてくれ。警備会社との商談成立だ。ここ1年のアプローチが実った結果だ」

ある日、俺の直属の上司である大平課長が満面の笑みと共に勝ち鬨を上げた。周囲の社員がその勝ち鬨に拍手や称賛の言葉を送る。

「いいか?無理な相手にこそ粘りの交渉だよ。今回は俺の手柄だけど、お前たちも頑張らないとな」

課長は上機嫌で部下たちに胸を張った。だが俺はそのムードに入れず、一人肩を落としていた。

元々、警備会社を相手に時間をかけて商談していたのは俺だった。個人的な人脈を頼り、東京のある名門企業の警備会社との繋がりを作る。そこから始めて資料を用意し、誠心誠意の商談を進めていた。しかしそれに気づいた大平課長に、全てを持っていかれた。

それは半年前の話だ。元から俺を気に入っていなかった課長は、俺から手柄を横取りしようと画策した。課長は警備会社の担当者に「俺が急病になり担当を交代した」と嘘をついたようだ。いつの間にか俺は梯子を外され、商談から締め出された。

そして大平課長の勝ち鬨だ。

「いやあ、お前に任せなくて」

拍手喝采の輪から抜けた課長が、にやりとしながら俺の耳元に囁く。

「ああ、そうですね。商談の成立何よりです」

下手なことを言えば角が立つ。俺はどうにか当たり障りのない返事をして仕事に戻った。

大平課長というのは、営業部長に目をかけられている俺を嫌っている。俺は高卒。対して課長は地元の国立大学の大学院まで出ている。学歴の差と、高卒の俺が若くして本社に呼ばれたこと。それが課長の癇に障り、俺はこれまで課長から嫌がらせをされている。手柄の横取りは、今回のような大きいものを初めとして、小さなものも重ねて取られていた。

「いいよな、今時の若者ってだけで部長に可愛がられて。手柄の横取りと顔を合わせれば、ひたすら嫌味を言われる。学歴に応じて給料の差ぐらいつけてもらわないとな。何のために大学を出たのかバカバカしくなるよ」

周りには聞こえないよう、俺だけを狙って小声の嫌味。反論するのは言うまでもないが、俺はひたすら耐えていた。俺の性格は欲張らず、目立たず、強がらず、控えめ。それもあって我慢をして、自分から波風を立てることはしなかった。課長も俺の性格を把握していて、図に乗って俺への当たりを強めている。

「おい、腹減ったからコンビニに行ってこい。ついでに郵便局で買い出し、あと工場に行って書類受け取ってこい」

本来は課長が自分で済ませればいい用事。その他には別部署に割り当てられている業務を俺に言いつけ、走らせる。俺が表立って抵抗しないから、それに乗じて課長は俺を嫌がらせの相手と雑用係と認識するようになった。

「おい、これやっとけ」

ある日、退勤時間を過ぎ、帰宅の支度をしている俺に、課長がファイルを投げてきた。「今すぐ終わるまで帰るなよ」と嫌味な笑みを浮かべ、俺をデスクに座り直させる。ファイルを開いて中を見ると、そこには翌日の朝一に設定されている会議の概要が綴じられていた。

「これは明日の会議の……ああ、そう。資料お前が作っとけ」

「ですが、これは大平課長が出る会議で、私は門外漢でしか……」

「うるさいな。俺が仕事くれてやるって言ってるんだよ。俺は疲れてるんだよ。お前どうせ何もしてないで暇なんだ。会社に貢献しろよ」

課長は「じゃあな」と俺に手を振り、軽い足取りでオフィスを出ていった。残された俺は、あしたまま帰ろうかどうかを迷った。しかし、俺の控えめで任されたことを放り出せない気持ちが、素直にファイルを開かせた。結局、俺は急いで作業に取りかかり、終電まで会社に残っていた。課長へ説明する段取りまで頭の中で考え、翌日に備えて慌てて帰宅する。

翌朝、俺は定時よりも早めに出て資料を揃え、課長を待った。ところが課長は定時ギリギリに会社に駆け込んできた。

「いやあ、寝坊しちまった」

あっけらかんと言い放ち、身を少し整えて会議に向かおうとする。そんな課長に、俺は資料について説明しようと近づいた。

「課長、会議の資料について説明を。企画意図の説明の仕方から、データを出す順番まで」

俺は時間がないなりに手短に説明しようとしていたが、課長はそれを拒んだ。

「おい、そんな時間ねえんだよ。どこまで悠長なんだ。いいから貸せ」

課長は俺の手からファイルをひったくり、駆け足で会議に向かってしまった。会議がどうなることか。課長はうまく資料を読み解けたのか。それが気になって仕方なかった。

会議終了後、真っ赤な顔で俺に向かってくる課長を見て、全てを悟った。

「お前のせいで恥かいたじゃねえかよ」

案の定、資料の説明を受けられなかった課長は、会議で失敗したらしい。プレゼン自体が滞ったばかりか、データの読み方も分からず使えなかったそうだ。

「大体な、こんなスカスカの資料で何ができるって言うんだよ。クソが。お前が説明しなかったせいだ、この役立たず」

課長は大声で怒鳴らなかったが、完全に激昂していた。力を込めて俺をなじり、俺が可能な限り要点をまとめて分かりやすくした資料を使えないと一蹴する。

俺からしてみたら、説明を聞こうともしない課長が悪い。それを放棄したかのように遅刻寸前で出社した課長が悪い。にも関わらず課長は自らの非は棚に上げて俺に当たり散らしていた。ファイルを投げつけられた俺は、せめてもの抵抗で謝罪を入れなかった。その代わり、課長の怒りが収まるのを待った。

なんというか自業自得。課長の一人相撲だと思いつつ、持ち前の忍耐力を発揮した。

「なんだよ。黙りか。本当に使えないクソだな」

俺の黙り込みに、課長が捨て台詞を吐いた。これで終わり。そうしてまた課長もいつもの日々に戻る。俺はそう思っていたが、その見立ては甘かった。

翌日から課長は俺への嫌がらせのレベルを上げた。俺を主要な打ち合わせや会議から外し、不要な外出を命じる。その他にはあちこちから集め回った雑用を俺に押し付け、サービス残業をさせた。

「経理の不要書類だ。全部シュレッダーにかけろ。終わるまで帰るな」

課長は以前は人目を盗んで隠れて行っていた俺への嫌がらせを、周囲に隠さずするようになった。大量の書類の束を俺の前に積み上げ、鋭い声で雑用を言いつける。そして休憩室や食堂で俺のことを大声でこき下ろすようにもなった。

「無能な高卒の部下を押し付けられて、俺には苦労しかない」

課長は苦笑いを浮かべてそう言い放ち、周囲の賛同や同情を買おうとしていた。課長の期待通りの反応をする人もいれば、引いた目で見る人もいる。社内の雰囲気はそれなりだったが、課長は味方になった人たちを囲い込み、自分の立場を強めていった。

俺の心も時には折れそうにもなった。だが、やらなければいけないことはある。それだけを支えに、どうにかこの局面を乗り切ろうと踏ん張っていた。

職場で息を潜める日々を過ごしていた俺だったが、ある日、営業部長から新規商談の相談を受けた。

「君にとって最高の機会だと思う。私や上層部は、君が担当すべきだと考えているんだ」

「ありがとうございます。ご期待に答えられるよう頑張ります」

部長は地元の老舗料亭を取引先として俺に紹介した。料亭は町の老舗というだけでなく、国内でも名の知れた料理料亭でもある。今回の商談の目的は、料亭の厨房設備の更新と改装。これまで料亭では国内トップ企業のメーカーと契約をしていたが、地元企業との繋がりを意識し、俺の勤め先に話が持ち込まれたという。

「相手もそうだな。プロだ。だからと言って君が力む必要はない。君の持ち味そのまま、堅実にしっかりと自分と商品をアピールしたらいい」

部長はどこか目尻を下げたようなアドバイスをくれた。部長の後を受け、その意味と期待を肌で感じた俺は、商談に向けて準備を始めた。

準備期間は2週間。俺は夢中で資料作成に取り組み、時には仕事を持ち帰った。商談の前日には全ての準備を整え、資料に抜けがないか、最終チェックも念入りに行う。

「暇人は時間があっていいね」

俺の背後に大平課長が現れた。俺のパソコンと手元の書類を覗きながら、これ見よがしに貧乏ゆすりをしている。

「それでお前は本気で明日の商談に行けると思ってるの」

俺に絡む課長は、いつの間にか類を数日前から奪っていた。

「お前よ、無能の高卒でこの商談をまとめられるのか?無理だよな。俺が代わりに行ってやるよ。無能な高卒がお邪魔したら失礼だからな。てめえは来るな」

課長がヤンキーさがの巻き舌で食ってかかってくる。これまでの俺であれば、勢いに押されて課長にやり込められていただろう。しかし、俺もこれだけは譲れないという強い気持ちがあった。

「お言葉ですが、私は今日まで下調べを重ねて資料を作り、準備してきました。それに商談を成功させるためのプランも練っています。もちろんプラン通りに行くとは思っていませんが、想定外にも対応できるだけの備えもしています」

「うるせえな。俺より経験があるとでも言うつもりかよ。バカバカしい。てめえみたいな考察の若造に誰が仕事させるって言うんだよ」

「課長、せめて言葉遣いぐらい……」

「ああ?なんだてめえ」

課長が昔、ヤンキーをしていたかどうかなど、俺は聞いたことがない。だがこの時、俺の前にいた課長はどこからどう見ても質の悪いヤンキーそのものだった。

「ああ、なんか言えよ。ほら」

「ですから、普通に話を……」

「してるだろうがよ」

課長は俺を威嚇しながらデスクから遠ざけた。俺はそれに何もできず、自分のデスクを明け渡してしまう。それを見た課長は目を輝かせて電話に飛びついた。

何をするのか。俺がそう思った時には、課長は商談相手の料亭に電話を入れていた。そのまま営業用の声に切り替えた課長が電話口の相手に向かい、自分が翌日の商談に向かうと告げる。

「俺が担当になったって先方には伝えてやったからよ」

勝ち誇った笑みを浮かべた課長が、デスクの資料を勝手にまとめる。もはや課長は商談を勝ち取った気でいる。その様子に無性に腹が立った俺は、最後に課長に一つだけ尋ねた。

「課長、本当に担当を変更してよろしいんですね」

俺は怒りを抑えて冷静に聞いた。課長は鼻を鳴らして答えた。

「当たり前だろ?そんなこともわからねえって。やっぱりお前はバカだな」

課長はまとめた資料を小脇に抱え、最後は俺に「じゃあな」と言った。その後ろ姿を見送り、俺は会社を出た。課長の暴挙に呆れると同時に、抑えきれない怒りが湧き上がる。そのタイミングで携帯を見ると、見慣れた番号からの着信があったことに気づいた。

慌てて折り返すと、久しぶりに聞くある人物の声が耳に流れ込んだ。

「先ほど担当から話を聞きました。久しぶりにお会いできると思っていたのに、残念だ」

電話の相手は声を沈ませ、嘆いていた。俺はとっさに相手に謝り、自分の不甲斐なさと言った。

「いや、そんなことはない。そうだ。明日はあなたも店に来たらいい。誰が何と言おうと、それは私が許可します」

俺が相手の申し出を断ろうとすると、それを笑い声で一蹴された。相手は何度も自分に任せて欲しいと言い、翌日の商談に参加するようにと命じた。

そして迎えた翌日、俺は部長と二人で商談の予定時刻に料亭に足を運んだ。前日のうちに部長へ連絡し、事情は後で説明すると頭を下げ、部長に同行を願ったのだ。

料亭の門をくぐり、格式高い作りの入り口に向かって歩を進める。すると入り口から真っ赤な顔をした大平課長が飛び出してきた。俺が課長と声をかける前に、課長自ら口を開く。

「おい、お前どういうことだ?」

課長は俺に詰め寄りながら、ちらりと俺と並んでいた部長の顔を見ていた。ほんの一瞬、課長の顔が歪んだ。おそらく部長がいなければ、俺は掴みかかられていたのだろう。部長を見て課長は少し勢いを抑え、事情を説明し始めた。

「担当者がお前じゃないからと言って、向こうは全員欠席だよ。商談には応じない。それしか言わず叩き出された」

「そうですか」

怒り狂う課長とは対象的に、俺の気持ちは意外にも穏やかだった。ここまで来て状況を考えると、俺に焦りはいらない。そう思うと、不思議と課長への怒りが静まっていった。

ヒートアップする課長と、事情をある程度承知しながらポーカーフェイスの部長。何があったのか。そんな押し問答を三人でしていると、料亭の門前に一台のセダンが止まった。

「ああ、お待たせしてしまいましたね。失礼しました」

運転手にドアを開けられた後部座席から、品の良い夫婦が降りてくる。その夫婦とは、料亭の経営者である角松さんご夫婦で、社長であるご主人は俺の顔を見るなり足早に近づいた。

「元気にしていたかね?」

「ええ、おかげ様です。すっかりご無沙汰してしまいまして」

「やいや、それはこちらも同じだ」

部長と課長を差し置き、若手平社員の俺が料亭の社長と親しげに言葉を交わす。課長はその一部始終を不服そうに眺め、部長は相変わらずポーカーフェイスで佇んでいた。

「ご両親とは頻繁に会っているが、瀬とはそうもいかなくなってね」

角松社長は俺を名前で呼び、俺の両親について触れた。

角松社長と俺の付き合い、そもそもの繋がりは、実は古かった。俺の実家は地元で代々続く農家だ。米と野菜を作り、それぞれ県内外で表彰されるような質の高い作物を作っている。そして野菜の目玉は、この地方にしかない伝統野菜。その自慢の米と野菜を、実家は昔から角松亭の料亭に下ろしていた。

角松亭は「瀬さんの米と野菜がなければ、うちの味は壊れる」とまで言ってもらったほど、実家の米と野菜の質を認めてくれていた。

「本当にあっという間に大人になって。昔はよくうちの庭を駆け回っていたというのに」

俺を見上げながら角松社長が微笑んだ。俺も微笑みを返し、かつて両親と料亭に来ていたことを思い返す。両親の納品に付き添い、料亭にお邪魔していたのは本当に小さい頃だ。俺は当時、角松亭とそのお子さんたちに可愛がられ、遊び相手になってもらっていた。

昔からの俺と角松亭の縁。今回の商談は、それがあって角松亭から持ち込まれていた。ちなみに部長が俺を担当に据えようとしたのも、この事情を汲んでのことだった。今日に向けて全て順調に進んでいたはずだったのに、課長の横槍で話が変わった。

「しかしおかしいと思ったものですよ。担当者が変わるというのだからね」

角松社長は商談について話題を変えながら首をかしげ、俺たちの方を見た。

「私は御社に、商談の担当者は瀬さんにして欲しいと頼んでいましたからね」

角松社長はいつの間にか笑顔を消し、俺を通り越して部長と課長に視線を合わせていた。

「担当者は瀬さんであるというのが、私たちが提示した条件だったはずですが」

「もちろん承知しております」

角松社長の鋭い問いかけに、部長が少し慌てて声を上げた。息を整え、部長はしっかりと言葉を継ぐ。

「このような不手際でご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありません。私も昨日、不測の事態が起きたと知りました。それは私の注意不足が招いたことに他なりません」

「そうですか。事情は瀬から伺っております。ですが、ここで一つ確認しなければならないことがございます。申し訳ありませんが、それをお許しください」

部長は丁寧にこちら側で起きた騒ぎを報告し、角松社長に謝罪をした。そしてそのまま課長に向き直り、厳しく問いかけた。

「大平君、君はなぜ担当を交代したんだ?」

部長に問いかけられ、それまで唸っていた課長が口を開いた。どもりながらお粗末な言い訳を、ぼそぼそと繰り返す。

「それは……その……野瀬では担当にふさわしくないと。瀬は高卒で、私は大卒。それだけ差というものもありますし……」

「はあ、そうなのか」

「瀬はその、要領が悪いと言いますか、使い勝手が悪い部分が、角松様にご迷惑をおかけしてしまってからでは遅いと思いました」

課長が日頃俺を無能だと言っていた内容を、どうにか邪険のない物言いに変えて繕った。だがとにかく説得力のかけらもなく、課長の声も次第に小さくなる。

「つまり君は何が言いたいんだ?」

「いや、あの……使えない。俺のことを使えないと口走った課長が、はっとしたように口を閉ざす。しかし時すでに遅く、課長には周囲から冷たい視線が注がれていた。

「わかりました。それでは、仕切り直しだ」

角松社長は俺を見ると手を叩いた。

「これからしっかりと商談と参りましょう。さあ、瀬君、こちらへ」

角松社長は部長と課長に頭を下げ、俺を料亭内へ案内しようとした。俺は困惑し、角松社長と部長を交互に見た。

「大平は私が預かる。野瀬君はこのまま商談に行きなさい」

部長が俺の背を叩きながら力強く言った。俺はそれに頷き、慌てて角松社長の後を追った。

その後、角松社長との商談は大成功に終わった。課長から取り戻した資料を武器に、俺はプラン通りに全てのプレゼンをした。

「しかし本当に立派になったものだ。昔から瀬君は賢いと思っていたが、想像以上になったね」

契約書の内容を詰める段階で、角松社長が考え込むような表情でそう漏らした。社長の隣では夫人が嬉しそうに目を細めてくれていた。

「これで店も安泰ね。最高の担当者さんに巡り合えたんだから」

夫人にも褒めてもらい、俺は少し恥ずかしいような照れ臭い気持ちを覚えていた。

この日、俺は本締めも決めて会社に戻った。部長に報告を済ませると、やっと肩の荷が下りたと心の底から安堵した。あとは契約書に署名をもらうだけ。俺はもう一度気を引き締め直し、商談を乗り切ろうと決めた。

「大平は譴責処分。それから、来月から東北の配送センターに移動だ」

角松社長の料亭との取引成立となった頃、大平課長の処分が決定した。部長は俺に直接そのことを伝え、改めて今回の商談の労を労ってくれた。

今回の騒動を受けて、部長は大平課長の調査を始めた。その結果、営業部内外から課長を告発する声が上がったという。部下への嫌がらせとパワハラ行為の数々。課長個人の職務怠慢。

部長はそんな調査結果を会社上層部へ報告した。上層部は課長への処分を早々に決め、課長は役職なしに降格の上、左遷となった。東北の配送センターに送り込まれた者は、二度と本社に戻れない。部長は不敵な笑みを浮かべ、大平さんの今後を暗示した。

俺は部長からの報告をしっかりと受け止めた。自分が大平さんのようになるとは思っていないが、油断は禁物だ。欲に取り憑かれでもすれば、俺にも暗い未来が訪れるかもしれない。

現実的に、自分の持ち味と言われるものを頭に浮かべ、俺はデスクに向かった。競争は意識せず、俺は大平さんから解放されて得た環境を活用する。俺は存分に自分らしい仕事をしようと心に決めていた。

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