それは、私が十四歳だった真冬の夜でした。死にかけていた私に、見知らぬ職人がかけてくれた言葉は、たった一つ。「腹減ってんだろ、食っていけ」。その言葉が、私の人生を変えました。それから十数年後、会社の社長になった私のもとに、一通の手紙が届きました。かつての恩人が、工場を畳むという知らせでした。急いで駆けつけた先で、私は机の引き出しから出てきた一冊のノートと通帳を見つけました。そこには、私が知らな…
「腹減ってんだろ、食っていけ」 その低くてぶっきらぼうな声を、今でもはっきり覚えている。真冬の夜のことだった。見知らぬ町の小さな工場の裏で、私は丸まって震えていた。まともな食事をとってから、もう三日も経っていた。指先はかじかみ、歯はガチガチと鳴り止まなかった。 顔を上げると、油で汚れた作業服を着た大柄な男が、こちらを見下ろしていた。五十歳くらいだろうか。眉間に深いしわを寄せて、とても厳しい顔をしている。私は反射的に身を固くした。また殴られる。また追い払われる。それが大人に対する私のすべてだった。 でも、その男は何も言わなかった。ただ顎で工場の方を示すと、背中を向けて歩き出した。そして、ドアの向こうから、みそ汁の香りが湯気と一緒に漂ってきた。 あれは、私が十四歳になる冬だった。この男の一言が、死にかけていた私の人生を変えるとは、その時は知る由もなかった。 私は遠藤創。三十二歳。今は精密部品メーカーの社長をしている。社員は約三百人。年商は四十億円にまで伸びた。医療機器や産業ロボットに使われる小さな歯車や部品を作っている。指先に乗るほどの大きさだが、どんな大型機械も、これなしでは動かない。そういう仕事だ。 人々は私を「遠藤社長」と呼び、頭を下げる。立派なオフィスもある。しかし、私には家族がいない。妻も子も、親もいない。この世界に、私はたった一人だ。 会社が大きくなるにつれ、日々は忙しくなった。朝から晩まで会議と数字に追われ、気づけば夜遅く、オフィスに一人きり。窓の外には街の灯りが広がっているのに、それらは私を待っている灯りではなかった。 成功すれば満たされると思っていた。会社が大きくなれば、過去の苦しみも消えると思っていた。だが、売上がいくら上がっても、胸の穴は埋まらなかった。会社がいくら大きくなっても、心は冷たいままだ。 夜のオフィスで、私はよく机の引き出しから古い歯車を取り出し、眺めていた。掌にすっぽり収まる小さな歯車。それは私にとって、たった一つの御守りだった。しかし、その意味を本当に思い出すには、もう少し時間が必要だった。 社員たちは私を仕事人間だと思っている。成長に取り憑かれて、休むことを知らない人間だと。私自身も、なぜ走り続けるのか分からなかった。ただ、立ち止まれば、その空虚さに飲み込まれる気がしたのだ。 両親が亡くなったのは、私が九歳の時。夜の高速道路での事故だった。居眠り運転のトラックが原因だ。父と母は即死し、たまたま祖母の家にいた私だけが生き残った。葬式の日の記憶は断片的だ。でも、黒い服を着た大人たちが、私の処遇について囁き合っていたことは、はっきりと覚えている。九歳の私は、その輪の外に一人で座っていた。 両親のことはよく覚えている。父は大工だった。無口な男だったが、手先は非常に器用だった。日曜日になると、私を膝に乗せ、木の切れ端でおもちゃを彫ってくれた。母はよく笑う人で、いつも台所で鼻歌を歌っていた。家の中は、手料理の匂いで溢れていた。平凡だけど、温かい家庭だった。 その暮らしは、あの夜、跡形もなく消えた。私を心から可愛がってくれた祖母も、翌年に病気で亡くなった。私は完全に、この世に一人ぼっちになった。 結局、父の弟である叔父の家に引き取られた。叔父の家には、私と同い年の従兄がいた。最初のうち、叔父も叔母も、少なくとも表面上は優しかった。しかし半年もすると、その優しさは少しずつ剥がれ落ちていった。私の居場所は、日々狭くなっていった。着る服はいつも従兄のお下がり。食事は皆が食べ終わった後の残り物。風呂はいつも最後で、湯は冷めかけていた。学校から帰れば、洗濯、皿洗い、ゴミ出しが全部、私の仕事だった。 「面倒見てもらってるって、感謝しなきゃな」 そう言われるたびに、私は黙って俯くしかなかった。反抗すれば、叔父の重い手が飛んできたからだ。だから私は、できるだけ存在を消すように生きるようになった。いっそ、このまま消えてしまえばいい。そう思い始めるのに、時間はかからなかった。 今でも忘れられない出来事がある。給食費が私だけ、何度も払われずに滞納されたことだ。担任の教師に教室の皆の前で立たされた。家に帰って叔母に話すと、彼女は苛立ったように言った。 「うちが払えないのは、分かってるでしょう」 苦しくて、悔しくて、悲しくて。けれど、泣きもせず、怒りもせず、ただ黙って小さくなっていた。 学校を卒業する頃には、叔父の家に居続けることの限界を感じていた。自活する道を探すため、高校卒業と同時に東京へ出ることを決めた。叔父はただ一言、「勝手にしろ」とだけ言った。 東京で私は、小さな部品工場に住み込みで働き始めた。ここで培った技術が、今の私の基礎になっている。住み込みの身では、まかないの食事が何よりありがたかった。安月給のほとんどを実家に送金していた叔父の姿を知っていたから、私は一人で生きることを選んだ。決して楽ではない道だった。しかし、自由だった。誰にも頭を下げずに済むことが、何より救いだった。 最初は見習いとして、歯車のバリ取りや機械の掃除から始めた。初めて旋盤を任された日、職人は無愛想ながらも丁寧に教えてくれた。私は必死に覚えた。技術を身につけることは、叔父の家で言われ続けた「お前は役立たず」という言葉への、唯一の反論だった。 何年かして、ようやく自分の工場を持った。最初は小さな町工場だったが、精度の高い部品を作ることで評判になり、少しずつ大きくなっていった。それでも、技術を磨くことへの執念は衰えなかった。職人たちが教えてくれたのは、ただの技術だけではなかった。「物を作る人間は、手を抜かない」という生き様そのものだった。 今、私は四十億円の年商を動かす会社の社長だ。三百人の従業員を抱えている。だが、机の引き出しには、あの小さな歯車がまだある。東京で初めて磨いた歯車。それを手に取るたび、あの温かい職場を思い出す。技術を教えてくれた人、初めて給料をもらった日、怒られながらも丁寧に教えてもらった日々。それらすべてが、今の私を作ってくれた。 そして先週、一通の手紙が届いた。差出人は「小野鉄工所」。かつて私が住み込みで働いていた工場からだ。封を開けると、便箋が一枚、入っていた。そこには、こう書かれていた。 「体調を崩し、工場をたたむことにしました。長い間、ありがとうございました」 それは、かつての職長からの手紙だった。便箋を見つめながら、私は胸を締め付けられる思いがした。あの職場がなければ、今の私はない。教えてもらった技術、働く喜び、すべてはあそこから始まった。工場がたたまれると聞いて、私はいても立ってもいられなくなった。東京から車を飛ばし、久しぶりに故郷へ向かった。 私を住み込みで受け入れてくれたのは、同じ町にある小さな工場「小野鉄工所」だった。そこが、もうすぐ閉じられるという。手紙をくれた職長は、私が入社した時からいた人で、いつも仏頂面だったが、技術は確かだった。 工場の建物を見たのは、それ以来、実に十四年ぶりだった。外壁はくすみ、窓の一部は割れたままだ。かつて機械の音が響いていた空間には、もはや何もない。私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。あの日、ここで見た光景を思い出していた。 「腹減ってんだろ、食っていけ」 その声が、ふと蘇った。 私は工場の裏手にある、八重子さんの家へ向かった。夫である職長は、すでに亡くなっていた。八重子さんは私の顔を見るなり、言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。 「なんだ、創坊か?」 そう言って、彼女は涙を拭った。私は言葉が出なかった。ただ膝をつき、頭を下げた。 「すみません。遅くなってしまって」 どうしてもっと早く帰ってこれなかったんだ。悔しさが喉を塞ぎ、声にならない。八重子さんは何も言わず、そっと私の頬を両手で包んだ。その手は、かすかに震えていた。 「ありがとう。帰ってきてくれて。ありがとう」 怒られると思っていた。しかし、彼女の顔は、再会を喜ぶ涙で溢れていた。それが余計に、胸を締め付けた。 家に招き入れられた。小さな居間の片隅に、小さな祭壇があった。そこに、職長の写真がいつもの不器用な笑顔で飾ってあった。私は写真の前で、長い間、身動きができなかった。線香の煙が揺れ、立ち上っていく。「ただいま」も「ありがとう」も、もう彼には届かない。その事実が、重い石のようにのしかかった。 祭壇の隣に、もう一枚、見覚えのある写真がきちんと飾ってあった。十四歳くらいの少年が、学生服を着て写っている。私の視線に気づき、八重子さんが静かに話し始めた。 「これは健司。私たちの息子です」 私は息を呑んだ。 「あなたが来るずっと前に、病気で亡くなったの。十四歳でした。ちょうど、あなたと同じ年齢でした」 あの段ボール箱。隠された写真。私が呼ばれかけた、あの名前。 あの冬の夜、寒さに震える私を工場の裏で見つけた時、職長は家に帰ってきて、こう言ったのだという。 「健司と同じくらいの子が震えてたんで、放っておけなかった」 八重子さんは続けた。 「あなたを見ていると、もう一度、彼に会えたような気がした。自分勝手だと思うでしょう? 私もあなたも、息子の代わりにしたんだから。でもね、気づいたら、あなたが本当の子どもになっていたの」 あの唐揚げが健司の好物だったこと。私があてがわれた部屋が、健司の部屋だったこと。八重子さんは全てを話してくれた。あの日、台所で唐揚げの作り方を教えてくれた時の涙の訳を。私は無意識のうちに、健司の好物を、彼の代わりに嬉しそうに食べていたのだ。私は言葉を失い、ただ涙が止まらなかった。 そして八重子さんは、奥から古びたノートと通帳を取り出してきた。 「これ、あなたに、って言ってたよ」 震える手で、古いノートを開いた。それは分厚く、何年もの記録が詰まっていた。日々の仕事や工場の経営の苦労が、びっしりとした小さな字で書かれている。しかし、ページをめくっていくうちに、私はあることに気づいた。日付の合間に、同じ言葉が幾度となく書かれている。 「健司、東京で元気にしてるか」 … Read more