「お嬢様、あの裕福な家への縁談はお断りください。代わりに、あの貧しい家へ嫁がれてください」…
下女が主の娘の前に立ちはだかり、こう申し上げました。 「お嬢様、あの家にだけは決して嫁いではなりませぬ」 円談が持ち上がったその日のことでした。相手は村一番の金持ちとして知られる家柄で、誰もが羨む良縁でありました。娘の父はその家の主人と長年の付き合いでございました。それゆえ断ることなど誰も考えなかったのでございます。 結局その円談は娘ではなく、義理の妹の元へと流れていきました。それから間もなく、今度は貧しい老人の家から円談が舞い込みました。誰も良縁とは思わぬ貧しい家柄でございました。ところが下女は娘の手をしっかりと握り、こう申しました。 「お嬢様、こちらこそ必ずこの家へお越し入れなさいませ」 何故裕福な家を止め、貧しき家を進めたのか、この時誰一人知るよしもございませんでした。下女の一言が二人の娘の運命を、まるで異なる道へ分けることになろうとは。 はるか昔、桜の里から少し離れたある村に屋敷がございました。裏手には梨畑が広がり、春には白い花が一面に咲き誇りました。その屋敷には情け深い人柄で知られる主の軽三郎と、一人娘のおりんが暮らしておりました。軽三郎は困った者が訪ねてくれば、蔵の米を分け与えるほど心の熱い人物でありました。ある年、不作の年がございましたが、軽三郎は蔵の米を惜しみなく分け与え、飢える者を一人も出さなかったと申します。 おりんの母が亡くなったのは、おりんが十になる年の春のことでした。梨の花が咲き乱れた日のことです。それよりあと、おりんは白い花を長く見つめることができなくなりました。花を見れば母が思い出され、胸が締めつけられたのです。 軽三郎は幼い娘をいつも気にかけておりました。朝ごとに髪を梳いてやりましたが、慣れぬ手つきでしばしば引っかかりました。祭りの日にはおもちゃを買い求めては、おりんの手に握らせました。おりんも父の前では悲しい顔を見せぬよう、笑顔を心がけました。しかし夜が更けると、母の残した鏡台を取り出し、しばらくの間じっと見つめるのが常でした。その姿を偶然目にした軽三郎は、胸が重くなりました。どれほど心を尽くしても、自分一人では亡き妻の代わりを務められぬと思ったのでございます。 おりんは幼い頃、母から機織りの手ほどきを受けておりました。母は機織り台の前でおりんを膝に乗せ、糸のかけ方を一から教えてくれたのでございます。「焦らずとも良い。糸は正直なものじゃ。心を込めれば、その通りに答えてくれる」おりんは母のその言葉を長く胸に止めておりました。 その頃、志野という女が軽三郎の前に現れました。志野は連れ合いをなくし、娘のお恵と暮らしておりました。近隣の村から越してきて日も浅いのでございましたが、容姿が整い、話しぶりも柔らかで、たちまち人々の心を掴みました。志野はことに、おりんへ心を配りました。初めて屋敷を尋ねた日、色とりどりの糸の束と小さな針入れを差し出し、「おりん様は針仕事がお好きだと伺いました」と申しました。おりんは父の顔を伺い、頷くのを見て両手で受け取りました。 志野はおりんの向かいに座り、亡き母の話を尋ねました。おりんは初め言葉少なでございましたが、志野がせかさず待つうちに、少しずつ心を開いていったのでございます。お恵もおりんになつき、「姉様」と呼んで、よく一緒に遊びました。手をつないで梨畑を歩く二人の姿に、軽三郎の顔にも自然と笑みが浮かびました。母をなくしてより、滅多に笑わなくなった娘が、お恵と一緒にいる時ばかりは寂しさを忘れるように見えたのでございます。 やがて軽三郎は志野を妻に迎えました。婚礼は質素に取り行われましたが、屋敷には久々に笑い声が戻りました。志野は初めのうち、おりんを丁寧に世話しておりました。朝には顔色を伺い、夕餉には好物をそっと膳に加え、肌寒くなれば湯を熱く入れた湯呑みまでこしらえてくれました。「お母様」おりんが初めてそう呼んだ時、志野は優しげに笑ったのでございます。 しかし、誰も見ておらぬところでは、志野はまるで異なる顔を見せておりました。家事に慣れると、少しずつ頻繁に、納戸へ入り、蔵の鍵のありかをより注意深く見て回っておりました。ある日、お恵が帳面を改める志野を見つけました。 「母様、何をご覧になっておいでですか?」 志野は帳面を閉じ、お恵を呼びました。 「この屋敷で見聞きしたことを、決して口にしてはならぬ。特におりんの前ではな。この屋敷は本来自分たち母娘のものになるのだ」お恵はわけがわからぬまま頷きましたが、姉として慕う気持ちと、その言葉への戸惑いが、お恵の中で日に日に絡み合うようになったのです。 その年の晩秋、軽三郎は胸を病み、伏せるようになりました。元より若い頃から胸が弱く、季節の変わり目には度々咳込む質でございました。しかしその年の咳はいつになく長引き、日も経たぬうちに一人で身を起こすことすら難しくなったのでございます。おりんはほとんど父の部屋を離れず、夜が明けぬうちから額に冷たい手拭いを乗せ、昼は薬を煎じる火の番を見張っておりました。志野も見舞い客には夫を案じる妻のごとく振る舞い、「眠れずにおります」と語り、その心の深さに近隣の者たちは感じ入っておりました。 しかし、人が帰り戸が閉じると、志野の顔つきはたちまち変わりました。軽三郎の病状が重くなるにつれ、志野は密かに事の次第を考え巡らせておりました。志野は軽三郎が眠る隙を見計らい、書見の間から田畑の帳面と証文を持ち出しました。証文を手のひらに乗せ、しばし眺めた後、あらかじめ用意していた別の紙の証文に似せて筆を走らせ、迷いなく印をしたのでございます。指先はいささかも震えておりませんでした。 その冬、軽三郎はとうとう息を引き取りました。最後の息までおりんの手をしっかりと握っておりました。何の言葉も残すことはできませんでしたが、娘を残していく思いは、その指先を通して確かに伝わってきたのでございます。 葬儀を終えて三日目、志野はおりんの部屋にあった針仕事の道具をことごとく運び出させ、その後にはお恵の荷物と箪笥を運び込みました。 「これよりこの部屋はお恵が使う。そなたは裏手の機織り小屋へ参れ」 おりんは何も言えぬまま、古びた機織り小屋へと移りました。長らく使われておらなかったせいで、埃が積もり、破れた障子の隙間からは冷たい風が忍び込んでおりました。それでもおりんは心まで折れることはございませんでした。翌朝から志野はおりんに家事の全てを言いつけました。川汲みや掃除、井戸の水汲み、洗濯、機織り。日が登る前から動き回り、霜の降りた井戸端で水を汲み、手がかじかんで桶の縄を取り落とすこともございました。指先は荒れ、手のひらには硬い豆ができましたが、休む間はございませんでした。お恵もいつしかおりんを下働きのように扱うようになり、友を招く日にはおりんを呼びつけて茶を運ばせました。 「うちの家の下働きでございます」 お恵がそう紹介しても、おりんは何一つ言い返すことができませんでした。志野はおりんが織った布を町で売り、その金でお恵には着物や帯を買い求めたのでございます。 それから六年の月日が流れ、おりんが十六になった頃のことでした。おりんは幼き日に母から教わった糸のかけ方を頼りに腕を磨き、布の目を細かく詰める技も身につけ、おりんの織る布はいつでも評判となっておりました。志野はその布を持ち出しては売り払い、金の大方をお恵の衣装や自らの贅沢に費やしておりました。 ある日、おりんは志野の言いつけで布を町へ運びました。呉服問屋に布を渡し、受け取った金を懐に納め、急ぎ屋敷へ戻ろうとしたのでございます。すると町外れの細道に、年若い娘が一人倒れておりました。まだ十二か十三ほどに見えましたが、髪は乱れ、疲れで骨が浮くほど痩せ、息も細く絶え絶えでございました。行き交う人々はその娘をちらりと見ては、「手を出せば面倒なことになりかねぬ」とつぶやき、そのまま通り過ぎていきました。おりんはしばし足を止めました。屋敷へ戻るのが遅くなれば志野が黙っておらぬことは分かっておりました。それでも、倒れた娘を見捨てて立ち去ることはできなかったのでございます。おりんは娘を背負い、機織り小屋へ連れ帰りました。手元に残っておった湯で唇を潤ませ、自らの夕餉にとっておいた麦飯を少しずつほぐして与えると、娘はようやく目を開けたのでございます。 「名は何と申す?」 「お瀬と申します」 お瀬は両親を早くになくし、あちこちの商家で使い走りをしながら食いつないでおりましたが、いくら仕事にありつけず倒れたのでございます。志野はお瀬を見て眉を潜めましたが、「この子の食い扶持は自ら働いて稼がせよう」と条件をつけ、渋々置くことを許しました。 お瀬は三日ほどでようやく起き上がれるようになり、まだ足に力が戻らぬうちから、おりんが桶を運べば小さな薪を抱え、機台に座れば傍らで糸を紡ぎました。 「まだ治っておらぬのだから、休むが良い」 おりんが申しても、お瀬は「命を助けていただいたのに、どうして寝てばかりおられましょうか」と首を横に振りました。賢いながらも目端が効き、商家で培った勘の良さもあって、お瀬は次第に大きな助けとなっていったのでございます。 ある日、お瀬はおりんに訪ねました。 「お嬢様は、誠にこの屋敷のご実子でございますか?」 おりんは手を止め、「父が亡くなってより、全てが変わってしもうた。それでも私が身を置ける場所は、ここより他にない」と静かに答えました。お瀬はその言葉に胸を痛めたのでございます。実の娘であるおりんが機織り小屋で働き布を織り、志野がその布を売った金で贅沢をしておることを、お瀬は日ごとにはっきりと悟っていったのでございました。 軽三郎と桐屋の主人は、若い頃からの付き合いでございました。共に村の寄り合いに出ては米の値段について語り合い、時には酒を酌み交わす間柄でもございました。軽三郎が亡くなった後も、桐屋の主人はその縁を忘れず、「いつか娘を我が家の嫁に」と心に留めておったのでございます。 そうしたある朝、門の外から訪いの音が聞こえたかと思うと、身なりの整った中年の男が屋敷へ入ってまいりました。志野はいつになく自ら縁側まで出て客を出迎えたのでございます。 「軽三郎様がご存命のおり、桐屋が五郎と交わされたお約束を、当家は今もお忘れではございません。軽三郎様のご実子を、ぜひ当家の嫁に望んでおいでです」 志野の目つきが変わりました。桐屋は苗字帯刀を許された豪商の家柄で、高い瓦屋根の奥にはいくつもの蔵を連ね、畑もまた広大でございました。村で桐屋に逆らおうとする者はほとんどおりませんでした。志野は喜びを隠しつつ、「後日返事をすると」告げました。最も桐屋の者は幼い頃のおりんを一度見たきりで、その顔をはっきりとは覚えておりませんでした。縁談のやり取りも全て志野を通しており、おりんが顔を合わせる機会はこれまで一度もなかったのでございます。 お瀬はこの縁談が気にかかり、翌日町へ出て桐屋の噂を探ってまいりました。すると、若様は学問よりも酒と博打を好み、怒れば家中の者に物を投げつけ、長く勤め上げる奉公人は珍しいという話でありました。志野もまた、同じ噂を町で聞いておりました。しかし志野は、「桐屋の縁を逃してなるものか」と、その噂など取るに足らぬものと切り捨てておりました。 お瀬はおりんに「桐屋にはあまり良くない噂がございます」と一度だけ伝えました。しかしおりんは、「父上と桐屋様の縁でございます。一度はこの目で確かめとうございます」と答えました。お瀬はそれ以上、無理に止めることができなかったのでございます。 遠方への挨拶の日が近づき、おりんは古びた箪笥から母の鏡台を取り出し、自ら織った布で仕立てた小袖の襟と袖を整え直しました。お瀬はその様子を眺めるうち、胸騒ぎを抑えられなくなりました。桐屋の番頭の傲慢な顔つきと、町で耳にした噂が頭から離れなかったのでございます。おりんが顔を洗う水を汲みに井戸へ出た隙に、お瀬は部屋の中へ入り込み、小袖と鏡台の包みを水瓶の裏の奥深くに隠してしまいました。ちょうどその時、廊下の向こうから志野の足音が近づいてまいりました。お瀬はとっさに囲炉裏の前へ駆け寄り、灰を掻き起こすふりをいたしました。 しばらくしておりんが戻ると、お瀬は努めて何気ない顔で「奥様が水車小屋へ行けと仰せです」と伝えました。おりんは方々を探しましたが、包みは見当たりませんでした。とうとうおりんは仕方なく、普段の絹の小袖のまま、穀物の袋を背負って水車小屋へ向かったのでございます。おりんがお恵は志野に申しました。 「桐屋様との約束の日が迫っております。姉様が戻れねば、無礼になりましょう」 しばしの沈黙の後、志野の口元に薄い笑みが浮かびました。 「それならば、お恵が代わりに行かせよう」 お恵は初め戸惑いましたが、桐屋の華やかな暮らしを思い描くと、それ以上は問い返さなくなりました。お恵は志野に教えられた通り、おりんの年齢やおりんの母の名などを暗記し、より上等な絹の小袖をまとって桐屋へ向かいました。桐屋では若様が、道を譲らなかった下男に逆上して物を投げつける様子を、お恵は目の当たりにいたしました。それでも縁はその場で決まり、桐屋の家族はお恵を軽三郎の実の娘と信じ込んだまま、祝言の日取りを定めたのでございます。 おりんが水車小屋から戻ると、志野は用が済んだと素っ気なく告げました。おりんが台所へ向かうと、水瓶の裏で傷一つない包みを見つけました。お瀬の目が伏せられるのを見て、おりんにはおよそのことが分かったのでございます。それでも、お恵が自ら口を開くまでは問うまいと、おりんは心に決めました。 お恵が桐屋へ嫁ぐ門前には見物の人が群れました。絹の帳を巡らせた駕籠の前後には下女が列をなし、花の飾りが風に揺れておりました。志野は手拭いで目元を拭いながら、「良き縁組に嫁がせる故、思い残すことはございません」と娘を見送りました。周囲の者たちは、娘を送り出す母の情の深さに口々に感じ入っておりました。おりんはその場に姿を見せませんでした。駕籠が門を出る音と人々の祝いの声が庭中に満ちておりましたが、おりんは機織り小屋で布を織り続け、その手を止めることはなかったのでございます。 お恵が去った後も、おりんの境遇は変わりませんでした。むしろ志野は桐屋と縁続きになったことを盾に、いよいよ勢いを増していったのでございます。その秋のある朝、門の外に人の気配がしたかと思うと、年老いた女が一人、縁側先へ入ってまいりました。古びた小袖をまとってはおりましたが、身なりは清潔に整えられ、腰は行く分曲がっておりましたが、足取りは確かでございました。 「まず郎党の家より参りました。こちらのご実子に申し上げたく参った」 志野は貧しき家と聞いて渋い顔をしました。 「うちは桐屋とも縁を結んだ家じゃ。尋ねる先を間違えておるのではないか」 女は静かに「軽三郎様のご息女がもう一人おいでと伺いました」と申しました。志野はおりんを厄介払いする気になり、渋々女を奥の間に通しました。おりんは台所へ入り、客へ出せるものを探しましたが、これといったものはございませんでした。ちょうど鍋の上に温めてあった麦湯を茶碗に注ぎ、女の前へ差し出しました。 … Read more