「無職」――姉がプロフィールの職業欄を指で弾いて、そう言った。父が持ち帰った縁談の相手は、四十歳で無職。姉は「ありえない」と笑い、母は「事情のある方」と親戚に電話をかけた。そして父は、台所にいた私に言った。「みさ、お前が代わりに行け」私は誰にも聞かれなかった。嫌かどうかも、会いたいかどうかも。ただ「分かった」と答えた。あの時、私はまだ知らなかった。この「無職」の男が、私の人生を変えることにな…
「無職」――ありえない。そんなの外れみたいにでもあげれば。 三つ上の姉の指が、テーブルの上の紙を弾いた。父が持ち帰った縁談のプロフィールだ。職業の欄には、たった二文字だけが書いてある。 無職。 母が髪をかき上げた。「大久保さんもいいお歳をね。こんな話を持ってくるなんて」母が笑い、姉も笑った。父だけが腕を組んで黙っていた。 母は台所で湯飲みを洗っていた。手を止めずに。やがて父が茶を吸った。 「みさ、お前が代わりに行け」 蛇口の音だけが残った。私は相手の顔も知らない。写真はまだテーブルの上にある。 「先方に私から返事をしておく」 返事は父がすると言った。私がするのではないらしい。 「分かった」 姉が鼻で笑った。「分かったじゃない。あんたにはちょうどいいわよ。いい話は全部お姉ちゃんのもの。残ったものが私のところへ来る。それが村瀬の家の順番なんだから」 職業の欄に「無職」とだけ書かれていた意味を、私が知ることになるのは、結婚してからだ。 私は藤崎みさ。介護福祉士という国家資格を持って、特別養護老人ホームで働いている。介護が必要なお年寄りが最後まで暮らす施設だ。介護の仕事に入って九年になる。資格を取ったのは六年前。勤め先は「春が丘園」という七十人が暮らす施設で、家からは自転車で十五分。早番と日勤と遅番と夜勤を回している。手取りは決して多くない。それでも私はこの仕事が好きだ。 この話をしている今の私は三十二歳。これから話すのは二年前。私が三十歳だった秋から始まる出来事だ。 当時の私はまだ村瀬みさだった。村瀬の家は都心から電車で四十分の住宅地にある。古い二階建てで、庭に父が植えた金木犀がある。父は村瀬生吾、食品を卸す会社で営業部長をしている。会社の名前は「丸ひ正司」という。母はかえ、ずっと専業主婦だ。そして姉がいる。村瀬レナ、私の三つ上。この四人が家族だった。 ただ、家族というものが全員に同じ顔を向けるとは限らない。私はそれを子供の頃から知っていた。 例えば進学の時。姉は都内の私立大学へ行った。入学金も授業料も四年分、全て両親が出した。私が三年後に同じことを言うと、母はカレンダーをめくりながら答えた。 「うちにそんな余裕、二人分もないわよ」 その言葉の後、母は姉の卒業旅行の話を続けた。私は奨学金を借りて専門学校へ行った。介護の学科ではない。卒業してから三年はジムの仕事をして、二十三歳で春が丘園に入った。奨学金は毎月一万四千円を九年かけて返した。返し終わったのは二十九歳の時だ。最後の返済を終えた日、母に電話で報告した。母は「あら、そうだったの」と言って、姉の話に戻した。 例えば成人式の日。姉の振り袖は駅前の呉服屋で誂えた。母は三日かけて生地を選び、写真館で家族写真まで撮った。私の番になると、母は近所のレンタルのカタログを持ってきた。「みさは背が高いから何でも似合うでしょう」似合う似合わないの話ではなかった。私は何も言わずにカタログをめくり、一番安い段の中から選んだ。成人式の年に撮った写真は一枚もない。実家の今の壁には、今でも姉の振り袖の写真だけが額に入ってかかっている。母は来客の度にその額を指す。「これが上の子。よく取れているでしょ」 例えば就職が決まった時。両親が親戚を呼んで席を作った。父が私を紹介した。「娘は介護の道に進むそうです」すると母が横から口を出した。「みさは器量が姉ほどじゃないんだから、手に職があった方が安心なのよ」座敷が笑いに包まれた。姉も笑った。おばの松さんだけが笑わずに私を見ていたが、母の声の方が大きかった。私は笑わなかった。誰もそれには気づかなかった。 この三つを、私は今でも順番通りに思い出せる。忘れられないというより、順番が決まっているから覚えているのだと思う。それでも私は実家に金を入れていた。施設に入った二十三の年からだ。ちょうど父の給料が下がった年で、母に頼まれて毎月三万円。それがそのまま続いている。仕送りを始めてから二年目の秋でちょうど七年だった。積み上げればいくらになるのか、私は計算を一度もしたことがなかった。すれば嫌になるのが分かっていたからだ。 姉は働いていないわけではない。駅ビルのアパレルで販売員をしている。ただ家に金を入れたことは一度もない。母はそれが当然だと思っているからだ。「レナは見栄にお金がかかるの。人前に出る仕事なんだから」介護も人前に出る仕事だ。ご家族に頭を下げ、ご本人の名前を呼び、汚れた寝巻きを変える。そう言い返したことはない。 実家へ帰ると、台所は自動的に私の場所になった。母が煮物を作り、私が皿を並べ、私が洗う。姉は座ったままスマートフォンを見ている。「姉も少しは手伝いなさいよ」母が言う。姉は顔を上げない。「みさがやってるからいいじゃん」母はそれ以上言わなかった。だから私も言わなかった。台所に立っている限り、私はこの家で役に立っている。役に立っていれば、何も言われない。 春が丘園には、菅田さんという九十歳の女性がいた。私が入職した年からいる人だ。目はほとんど見えない。耳の方はよく聞こえる。私が廊下を歩くと、足音で分かるらしかった。「みささん、今日は早いのね」その一言のために働いているようなところが、私にはあった。誰かが私の名前を、順番ではなく私のものとして呼ぶ。実家では起きないことだった。 記録はタブレットでつける。私が入った年はまだ紙だったが、四年ほど前に切り替わった。食事の量も排泄も入浴も、全部その画面に打ち込む。起動するたびに画面の隅に小さな会社の名前が出る。毎日見ているのに、私はその名前を読んだことすらなかった。ただの模様のようなものだった。 職場で先輩の土屋さんに、その頃一度だけ実家の話をしたことがある。生活相談員として二十年やっている人だ。入所の相談やご家族との話し合いを一手に引き受けている。土屋さんは湯飲みを両手で包んだまま、しばらく黙っていた。「村瀬さん、あなた家では何て呼ばれてるの?」「みさですけど」「お姉さんは?」「レナちゃんです」土屋さんは何も言わずに湯飲みを置いた。その音だけが、夜の更けた部屋に長く耳に残った。 縁談の話が来る前の年から、姉は結婚相談所に入っていた。「レナにはね、もっといい話が来るのよ」母は誰に聞かれたわけでもなく、そう言うのが癖になっていた。姉は三十三。母の頭の中では、姉が誰と結婚するかは村瀬の家の一大事だった。私が誰と結婚するかは、話題にすらならなかった。父も同じだった。父は年に何度か、酔うとこんなことを言った。「レナにはいい相手を見つけてやらんとな。あれは顔がいいから」そして必ず一拍置いて、こう続けた。「みさはまあ大丈夫だろう」何が大丈夫なのか、父は説明しなかった。私はそれで良かったのだと思う。期待されないというのは、放っておいてもらえるということでもある。そう思っていた。自分の順番が来ないなら、順番を待たされることもない。そう思い込むことで、私はここまでやり過ごしてきたのだと思う。 ところが村瀬の家には、もう一つの順番があった。誰も欲しがらないものが回ってくる順番だ。その順番の先頭に、私はずっと立たされていた。 その秋、父が茶封筒を持って帰ってきた。茶封筒の中身は白い紙が二枚だった。一枚目に写真が貼ってある。二枚目にプロフィール。父はそれを今のテーブルに置き、母を呼んだ。私はたまたま休みで、昼から実家に寄っていただけだった。 「大久保さんからだ。レナにどうかと」 その名前を聞いて、母の背筋が伸びた。大久保さんは丸ひ正司の相談役だ。父の勤め先で、二代前まで社長をやっていた人だと聞いていた。父は年に一度、暮れになると必ず大久保さんの家へ挨拶に行く。母はその日だけ、父のスーツにブラシをかける。 「まあ、大久保さんが自ら」母は写真を手に取った。姉が二階から降りてきて、母の肩越しに覗き込んだ。「へえ。顔はまあまあじゃない」姉の言い方には、試着を見る時の調子があった。「歳前ちょっと上だけど、まあ許容範囲かな」母が二枚目をめくった。そこで母の手が止まった。姉が母の手から紙を抜き取った。そして、あの声が出た。 「無職。ありえない。そんなの外れみたいにでもあげれば」 私は台所にいた。手を止めずに聞いていた。姉はプロフィールを指で弾き、テーブルに投げた。母が拾い上げてもう一度読み、眉の間に線を作った。「本当だわ。職業、無職って。何それ?」「四十で無職って、何かあるってことでしょ?」「病気かしらね」「借金じゃない?」「じゃなきゃ、何か」姉と母は、まだ会ってもいない人の人生を三分で決めた。私はその三分の間、湯飲みを二つ洗った。 その間に母は、一本の電話をかけていた。前の日の夜、母は親戚に触れ回っていたのだ。大久保さんからレナに話が来たと。相談役の紹介なのだから、相手も相当な人だろうと。母の中では、その時点でもう決まっていた。だから母は取り消しの電話をかけた。相手はおばの松さんだった。「ごめんなさいね、お姉さん。あの話、なかったことにして」受話器の向こうで何か聞かれたらしい。母の声が一段低くなった。「それが、ちょっと事情のある方でね。レナにはね」 事情のある方。「無職」の二文字は、母の口の中で三十秒もしないうちにそう変わった。会ってもいない人が、会わないうちにそういう人になった。父だけが黙っていた。腕を組んで、テーブルの一点を見ている。母がその父に向き直った。「大久保さんは、その人の何を知ってるって言うの?」父は答えなかった。代わりにこう言った。「断るのは難しい」母が声を裏返した。「どうしてよ? 無職なのよ」「大久保さんは、その男の父親と長い付き合いだったそうだ」「だからって、うちの娘を」「娘じゃなくてもいい」父の声は低かった。相談役の顔を潰さずに、娘のどちらかを差し出す方法を、父はもう考え終えていた。母が黙った。姉も黙った。二人の視線が同時に台所へ向いた。私は振り返らなかった。水の音が続いていた。 「みさ、お前が代わりに行け」 その後のことは、初めに話した通りだ。私が「分かった」と言うまでに何秒かかったかは覚えていない。ただ、その何秒かの間、誰も私に理由を聞かなかった。嫌かどうかも、会いたいかどうかも、聞かれなかった。 翌日、私は父に一度だけ確かめた。「お父さん、どうして断れないの?」父は新聞を読んだ。「再来年の春で定年だ」「うん」「その後、関連会社で顧問をやらせてもらう話がある。社員として雇われるんじゃない。月にいくらで、週に何日か顔を出して助言をする。そういう契約だ。大久保さんが口を聞いてくださっている」父の声には、後ろめたさが一つも混ざっていなかった。むしろ胸を張っていた。娘の縁談と自分の再就職が同じ天秤に乗っていることを、父は問題だと思っていない。「じゃあ、お姉ちゃんが断ったから私が行くってこと?」「そういう言い方をするな。お前は仕事が忙しいだろう。出会いもないだろう」「うん」「ちょうどいいじゃないか」また「ちょうどいい」だ。この家で私に向けられる言葉は、大体それだった。 数日後、私は夜勤に入った。消灯後は二時間おきの巡視に、寝返りの介助とオムツ交換が重なる。廊下を行ったり来たりしている。考え事ができるのは、その間の数分だけだ。菅田さんの部屋のナースコールが鳴った。私は扉を軽く叩いた。「菅田さん、みさです。お手洗いですか?」菅田さんはベッドの端に腰かけていた。私は足元のスリッパを揃えて、ベッド柵に手を添えた。「うん。いいえ」菅田さんは暗がりで笑った。「眠れなくてね」「私もです」「あら、若い人が」私は水をコップに注いで渡した。菅田さんは両手で持って、ゆっくり飲んだ。「うちの子はね、私の言うこと一度も聞かなかったのよ」菅田さんは急にそう言った。返事に困っていると、菅田さんは続けた。「でも、いい子に育ったの。私の言うことを聞かなかったからね」その時の私は、その言葉が自分にも向けられているとは思わなかった。 一方、母は諦めていなかった。姉の相談所には条件を出してあるのだと、母は私に何度も言った。「年収は八百万以上。持ち家か、将来持てる見込み。長男は避けたい。介護の心配がない家。レナには、そのくらいの人じゃないと釣り合わないの」釣り合い。母はその言葉が好きだった。誰と誰が釣り合うかを決めるのは、いつも母だった。 その頃から、話は私の手の届かないところで進んでいった。会う日は父が決めた。場所も父が決めた。相手の名前を私が知ったのは、日が決まった三日後だ。藤代直さん、三十八歳。着ていく服は母が決めた。姉の部屋から出してきた、前の年の秋物のワンピースだった。「これなら失礼にならないでしょう。あんた、そういうの持ってないんだから」姉が廊下からそれを見て笑った。「お下がりでお見合いって、なんか漫画みたい」私は袖を通してみた。丈が合わなかった。母はそれを見て、「裾を折ればいい」と言った。プロフィールの二枚目は、その間ずっと今のテーブルに置きっぱなしになっていた。誰も片付けなかった。誰も最後まで読み返さなかった。私も読まなかった。読んだところで、断る権利が私にあるわけではないからだ。 前の日の夜、姉が私の部屋を覗いていった。「ねえ、もし気に入られたら、ちゃんと結婚するの?」「知らない」「してあげなよ。お父さんの顔もあるし」姉は、自分が投げたものを私が受け取ることを前提に話していた。投げたことはもう忘れているようだった。今になって思う。あの紙には確かに「無職」と書いてあった。書いてあったのはそれだけだった。会う日も場所も、着ていく服まで、私の意思とは関係なく決まっていた。 待ち合わせは駅前のホテルのラウンジだった。父が同席すると言い張るので、私は断った。断ったのは、この件で私が初めて通した意見だった。「一人で行く。相手も一人なんでしょう」「まあ、そうだが」「じゃあ、一人で行く」父は不服そうな顔をしたが、それ以上は言わなかった。母は玄関で私の背中を押しながら、最後にこう言った。「余計なことは言わないでね。大久保さんに恥をかかせないように」私は返事をしなかった。 藤代直さんは、約束の十分前にもう座っていた。紺のセーターに、面の割烹着だけだった。時計もしていない。私が名乗ると、その人は立ち上がって丁寧に頭を下げた。「藤代直です。今日はありがとうございます」声が低くて、聞き取りやすかった。介護の現場にいると、聞き取りやすい声かどうかがまず気になる。店員が水を持ってきた。受け取る時、その人は店員の顔を見て礼を言った。当たり前のことのようだが、当たり前にできる人は多くない。 注文を済ませて、しばらく仕事の話をした。私が春が丘園で働いていると言うと、その人は身を乗り出した。「特養ですか? 夜勤は月に何回くらいですか?」「四回か五回です」「十六時間ですか?」「はい」「大変ですね」大変ですね、で終わる人は多い。その人は続きを聞いた。夜勤の休憩がどう取れるか、記録はいつ書くか、看取りの時に家族が来るかどうか。私が言う前に、十六時間という数え方がその人の口から出た。この仕事の外にいる人は、その言い方をしない。聞き返そうとしたら、次の質問が来て、そのままになった。私は気づいたら三十分近く喋っていた。慌てて口を閉じた。「すみません。私ばかり」「面白いです。本当に」それから、その人は少し姿勢を正した。「村瀬さん、失礼を承知で確かめさせてください」「はい」「この話は、元々お姉様に来たものですね」私の喉が詰まった。「大久保さんからは、最初、上のお嬢さんにと伺ってました。それが今日になって、村瀬さんの方のお嬢さんとお会いするに変わっていたので」その人は私を責める調子ではなかった。むしろ、こちらが答えやすいように置いた。私は正直に言った。「姉が断りました。無職と書いてあったので」言ってしまってから、自分の言葉の冷たさに驚いた。謝ろうとした。その前に、その人が言った。「なるほど。それは当然だと思います」当然と言われて、私は顔を上げた。「知らない人の紙一枚に無職と書いてあったら、私でも警戒します」私は言いかけた。でも、その人が引き取った。「ただ、その人はグラスを置いた。身代わりなら、この話はお断りします」私は返す言葉を持たなかった。断られると思っていなかったわけではない。ただ、断る理由がそれだとは思っていなかった。私が黙っていると、その人は続けた。「お父様に言われてこられたのなら、村瀬さんが困ります。私はそういう形で誰かの家に入りたくない。今日はお会いできてよかったです。ここで終わりにしましょう」その人は本当に伝票へ手を伸ばした。そして、手を止めた。藤代さんが私の方へ向き直った。「一つだけ聞いてもいいですか?」私は膝の上で手を揃えた。「みささんご自身は、どうしたいですか?」その人が私を苗字ではなく名前で呼んだのは、そこが初めてだった。ラウンジのざわめきが、その時急に遠くなった。どうしたいか? 三十年生きてきて、その質問を私にした人が、家族の中に一人もいなかった。父も母も姉も、私がどうしたいかを聞かずに、私がどうするかだけを決めてきた。私は答えられなかった。答えを持っていなかったからだ。「すみません。急でしたね」その人はそう言って、伝票を裏返した。「答えは今日じゃなくていいです。もし良かったら、もう一度だけお会いしませんか? 今度は縁談としてではなく、断るとしても、紙一枚で終わるのはお互いもったいないので」私は頷いた。理由はうまく言えなかった。 その日を入れて、私たちは三度あった。二度目は美術館だった。その人は絵の前で長く立ち止まる。私が先に進んでも、急がない。急かしもしない。出口の売店で私が絵葉書を一枚選ぶと、その人はもう一枚同じものを買った。「二枚あると、片方は晴れますから」三度目は商店街だった。魚屋の前でアジの値段を見て、その人は真顔で言った。「今日は高いですね」私が笑うと、その人は本当に困った顔をした。「いや、本当に高いんですよ。先週は三匹で四百円でした」値段を覚えている人だった。母が姉に持たせるブランドの名前を覚えているのとは、覚え方が違った。八百屋で大根を一本買い、その人はそれを紙袋に入れて抱えた。私が持ちますと言うと、断られた。「僕が言い出した買い物なので」料理を作るのだと言った。掃除も自分でやると言った。私が夜勤明けの日に何もできなくなる話をすると、その人は当然のように頷いた。「じゃあ、僕が作った方が早いですね」「悪いです」「悪くないです。時間があるのは僕の方なので」その言い方に、卑屈さがまるでなかった。時間があることを、この人は悪いと思っていない。働いていない理由は聞かなかった。聞けば、聞かれると思ったからだ。私は自分がなぜここに座っているのかを説明できなかった。 腑に落ちないことがまだあった。この人は最初から断られる前提でここへ来ていた。それなのに、なぜ来たのだろう。三度目の帰り、駅の改札の前で私は立ち止まった。「藤代さん」「はい」「私、姉の代わりじゃなく、私が結婚したいです」その人は目を丸くした。それから、笑わずに頷いた。「では、そのつもりでお話を進めます」その日、実家に電話をして、私は結婚しますと伝えた。母は五秒ほど黙ってから、「あら」と言った。 この人は嘘をつかない。ただ、聞かれないことは言わないだけだった。 入籍したのは、翌年の春の終わりだった。式はあげなかった。あげないと決めたのは私だ。直さんは「みささんがしたいなら」と言ってくれたが、私はしたくなかった。理由は簡単だ。あの家の人たちに、私の一番いい日を見せたくなかった。母は電話でこう言った。「式をやらないなら、その分はレナの時に回せるわね」その分が何を指すのかは、聞かなかった。聞くだけ無駄だからだ。写真だけ、駅前の写真館で撮った。白いブラウスに紺のスカート。直さんは初めて会った日と同じ紺のセーターを着てきて、私が笑うと「一番いいやつなんです」と言った。婚姻届を出した日は、私が夜勤明けで、直さんが先に役所へ来て待っていた。窓口の職員が名前の欄を指して、書き直しを一箇所だけ求めた。直さんは黒のボールペンと予備の用紙を一枚持ってきていた。「用意がいいですね」「書き直しになることもあると思ったので」その言い方がおかしくて、私は窓口の前で笑ってしまった。職員が変な顔をした。 … Read more