「お前、どこの取引先の担当だったっけ?」…
「お前、どこの取引先の担当だったっけ?」 遠回しに俺を追い詰めたのは、上司の石村部長だ。俺はこの男のせいで会社からリストラを宣告された。しかし部長は知らない。俺が隠しているある真実を。そしてこの後、部長は自業自得の結果に陥り、仕事も家庭もすべて失うことになる。 俺の名前は安藤。56歳。高校卒業後、防犯システムの開発企業に就職し、今も同じ会社で働いている。昇進しない俺を馬鹿にする人間もいるが、部下の野崎だけはなぜか慕ってくれていた。 「みんな安藤さんの実力に気づいてないんですよ」 野崎は35歳の時に我が社へ転職し、俺が教育を担当した。以来10年近く、相談はもちろん、社内の妙な空気にも真っ先に気づいて教えてくれる数少ない味方だ。 「長い間、同じ取引先から安藤さん指名で仕事を任されてるじゃないですか」 「地道にコツコツやるのが性に合ってるから。そういう地味な仕事を任されるだけだよ」 実際、指名の理由には心当たりがある。数年前、大手取引先の防犯システムに納品直前まで誰も気づかなかった設計上の穴を見つけたことがあった。配線図を3日間見直し、センサーの死角になる一角を割り出して報告書にまとめた。部は面倒がって取り合わなかったが、先方の担当者にだけは直接説明し、最終的に無償で回収を引き受けたのだ。結果、その年一番のクレームゼロ物件になり、以来その担当者からは何かあれば真っ先に声がかかるようになった。 俺は若い頃、システム障害による事故を防げなかった過去がある。事故の前に上司へ対策を取るよう進言したが、聞き入れてもらえなかったのだ。あの時、口頭で伝えるだけで済ませてしまったことを俺は悔いた。以来、重要なやり取りは必ず記録に残す。それが事故の後で俺が決めた唯一のルールだった。そして俺は、自分が正しいと思ったことを絶対に曲げないという硬い信念を持つようになった。 しかし信念だけでは評価されず、周りが派手に功績を上げて昇進する中、俺は未だに主任を務めていた。 ある日、部署のトップを務めていた部長が定年退職した。我が社は1年前に新社長が就任してから方針転換し、若い人材を積極的に登用している。うちの技術部にも40歳の若い人間が部長に昇進した。石村だ。資材管理部で課長を務めていた。 「これからよろしく」 「あの人、偏差値の高い大学出身ですけど、仕事はそこまでできる方じゃないですよ」 石村部長の就任初日、野崎がこっそり耳打ちして教えてくれた。 「部長の親父さんは元技術者で出世できずに苦労したそうです。だからかもしれないですけど、あいつは現場で手を動かすより、要領よくやることを重視してるんですよ」 では、なぜ部長までできたのか。俺の疑問はすぐ解消された。部長は気の弱そうな部下の功績を横取りし、さらに自分のミスを擦り付けていたのだ。俺も標的にされかけたが、毅然と対応する。 「この案件には経験と知識が必要です。異動したての部長には難しいかと」 これがどうやら部長の逆鱗に触れたらしい。 「高卒の無能主任が偉そうに」 そして部長は俺を標的にし始めた。 部長就任1週間ほど経過した頃、俺の元に突然取引先からクレームが入った。 「うちに納品したシステム、AIが設計したんですか?当社は情報漏洩防止の観点からAIの使用をお断りしているのですが」 「AIには一切任せてませんが、どうして急にそんな話が?」 「御社の部長がそのようなことを言ってたんです」 部長は根も葉もない話を取引先に吹き込み、俺にクレームが届くように仕掛けたようだ。同じようなことを複数の取引先にされてしまい、これまで俺が地道に積み上げてきた信頼に傷がつく。 「さすがに忙しいな」 通常業務を進めながらクレーム対応もしなければならず、俺は毎日残業するはめとなった。 「安藤さん、大丈夫ですか?」 「ああ、平気だ」 声をかけてきた野崎に苦笑いで答えた。心配してくれる人間が一人いるだけで救われる。 ところが、いつの間にか野崎と話す機会が減っていった。俺のことを避けてるのか?どちらかと言うと鈍い俺だが、さすがに部下の異変には気づく。目が合うと慌ててそらされ、声をかけようと近づくと逃げられるのだ。他の社員も同じような態度だった。石村部長が何か吹き込んだのかも。取引先にも嘘を平気で吹聴する人だ。社内に妙な噂を流しているのだろう。誰にも相談できないこの状況は少々応えた。 孤独感が俺を襲う中、決定的な事件が起きてしまう。ある日、俺が担当している取引先から電話がかかってきた。 「安藤さん、契約更新の手続きはまだですか?」 「え、ちょっと待ってください。確認します」 契約書類を確認すると、期日はまだ先だ。念のため控えの日付を指でなぞって確かめる。間違いない。更新期日は来月の15日だ。しかし相手の担当者はすでに期限を過ぎているという。 「そちらの契約書、更新期限は今月の15日になっていませんか?」 「いえ、うちの控えでは来月の15日になっています」 1ヶ月分、日付がずれている。双方の勘違いで済む話ではない。どちらかの契約書が最初から違う日付で作られているとしか思えなかった。 「おいおい、とんでもないミスをしたな」 いつの間にか近くにいた部長が大きな声で騒ぎ立てる。 「お前のせいで契約が中止になるかもな。すぐ上層部に報告しないと」 部長のニヤついた笑顔を見た瞬間、この人が犯人だと悟った。しかし証拠は何もない。俺が対応に追われている間に、部長は上層部に事態を大げさに報告したらしい。あっという間に俺の評価はガタ落ちする。 同時期、会社は経営不振に陥りかけていて、経営再生のために小規模のリストラを検討していた。その対象に俺が選ばれてしまう。 「どうしてこんなことに?」 部署のみんなは冷たい目で俺を見ていたが、部長の圧力があるのか誰も助けようとしなかった。その後、俺は部長の嫌がらせで有給も使えず、1ヶ月後の退職日ギリギリまで働かされる。 「おい、ちゃんと引き継ぎやったのか?っていうか、お前、どこの取引先担当だったっけ?」 「お前みたいな無能に、引き継ぎが必要な重要な取引先はないだろう」 そんな嫌味を含んだ言葉を、ニヤついた笑顔と共に部長は俺に投げかけてきた。 「引き継ぎ資料なら、担当先ごとにまとめて既に提出済みだ。野崎に任せる分も、それ以外の分も漏れなく書き残してある」 どうせ部長は目を通してすらいないのだろう。俺は荷物をまとめる手を止め、穏やかに笑って答える。 「明日になれば分かりますよ」 「は?どういう意味だ?」 荷造りを終え、部長の問いかけはスルーして部屋を出る。 「安藤さん」 必要以上に悲しそうな野崎に、視線だけで止める。今、俺の味方をすれば野崎の立場が危なくなる。野崎は俺の意図に気づき、ぐっとこらえた。 … Read more