「とみ、父さんの誕生日だ。うじを5人分注文しておけ。金はお前が払っておけよ」
夫の言葉に、私は内心で冷めた笑みを浮かべた。今日集まったのは私を含めて6人。彼の計算には、最初から妻である私の存在が含まれていない。
「ちょっと待って、秋。今日は6人よ。1人分足りないじゃない」
「お前の分はないぞ。だって妻は他人だしな。その代わり、俺がうなぎのカバーを用意しておいた。うなぎと似てるから十分だろ」
「……それでも1人分足りないわ」
私はスマートフォンの画面を彼に向けた。そこには、彼の浮気相手との証拠写真が写っている。
「すぐにもう1つ用意してもらえる? あなたの浮気相手の分よ」
夫の顔色が一瞬で変わった。それを見て、私は確信した。この場にいる全員の前で、彼の仮面を剥がす時が来たのだと。
私は客間へと向かう。夫が引き止めようとするが、無視した。親族たちが集まる部屋へ足を踏み入れると、皆が穏やかな表情でこちらを見た。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。秋のことについて、お話ししたいことがあるんです」
「やめろ、とみ! こいつは今日調子が悪いんだ!」
夫が大声で遮ろうとするが、私は構わず続けた。
「実は、秋は浮気をしていたんです」
一瞬、部屋が静まり返る。義理の叔父が「そんなバカな」と呟き、義理の姉も「そんなことをするようには思えないけど」と疑わしげな表情を浮かべた。親族のほとんどが、私の言葉を信じていないようだった。夫は、誰も信じていないとでも言わんばかりに、小さく嘲笑を漏らした。
「ごめん、みんな。とみは妄想が過ぎておかしくなっちゃったみたいなんだ」
彼は心配するいい夫を演じている。私は呆れを通り越して感心してしまうほどだった。
「もちろん、証拠もあります」
私は封筒を取り出し、中身を全員に見せた。それは浮気の証拠写真、10枚近く。夫が若い女性と手を繋いで夜の街を歩く姿。ホテルの入り口に足を踏み入れる姿。親族たちは顔を歪め、嫌悪感を露わにした。
「ほら、ちゃんと証拠まであるわよ。これでもまだ私の暴走だと言い続けられる?」
すると、夫は頭を抱え、裏返った声で叫び始めた。
「違うんだ! 俺は断じて浮気なんかしてない! とみが俺を陥れるために濡れ衣を着せたんだ!」
「私に調査を依頼したのは、他でもないお父さんよ」
その言葉に、水を打ったように静まり返る。義父がゆっくりと口を開いた。
「一部の社員たちから告発があったんだ。お前の女癖の悪さについてな」
義父は続けた。夫の女癖が原因で、複数の女性社員が悩まされていること。社長として、そして実の親として、調査を依頼したのだと。義父の低く淡々とした声には、怒りと失望が滲んでいた。
「父さん……違うんだ。それはきっと、俺を嵌めようとしている奴の陰謀だ!」
「まだ言うのか」
私はもう一つの証拠を提示した。家計簿アプリに記録した、夫からの罵倒の言葉の数々。
「何もできない役立たず」
「お前のことなんか、俺以外に誰ももらってくれない」
「見ているだけでイライラする」
義理の姉は「ひどい」と声を震わせた。そして、私は診断書と、青紫に変色した肌の写真をテーブルに並べた。
「これはあなたがつけた傷よ。忘れたとは言わせないわ」
夫は完全に観念したようだった。彼は項垂れ、ようやく認めた。
「ああ、そうだよ。とみが言っていることは全部本当だ。確かに俺は浮気もモラハラもした」
夫は言い訳を始めた。社長の息子という重圧に押しつぶされそうだった、ストレスを家に持ち込んでしまったんだと。しかし、義父は厳しく断じた。
「それは間違っている。会社と関係のないとみさんに当たり散らして何になる? お前の言い訳に過ぎない」
すると、夫は突然、義父を非難し始めた。
「よく言うよ! 母さんが病気で亡くなったのは、父さんが仕事中毒で家庭を顧みなかったせいだ! そんな父さんに説教されたくないね!」
「もういい。俺はとみと離婚して、浮気相手と再婚するからな」
私は冷めた目で夫を見た。そして、スマートフォンを取り出し、電話をかけた。
「もしもし。入ってきてください」
少ししてインターホンが鳴り、私は玄関に向かい、2人の来客を出迎えた。1人は、夫の浮気相手である若い女性、リナ。もう1人は、彼女の父親だった。夫の顔色が、見る見るうちに悪くなっていく。
「どうして……」
「だって、彼女も話し合いに参加するべきだと思ったから」
私は穏やかに微笑んだ。リナの父親が激昂して夫に怒鳴りつけた。
「結婚しているのに未成年の娘に手を出すなんてどういうことだ! お前は人間の形をしたクズだ!」
夫は土下座して謝罪し始めた。しかし、それは私への謝罪ではない。彼はリナの父親にだけ、土下座していた。私は無意識のうちにため息を漏らした。
「リナさんに本気だったというのは嘘よ。この人は、若い美人なら誰でもいいんですから」
「ちょ、おい!」
夫は顔を歪めたが、誰も彼を助けない。さらに私は追い打ちをかけた。
「さっきあなたは、母さんが病気で亡くなったのは父さんのせいだって言ったわね。それは思い込みよ。実際は、父さんは家族を大切にしていたわ。ただあなたが、ちゃんと両親の姿を見ていなかっただけ」
私は記入済みの離婚届を取り出し、夫に突きつけた。彼は震えながら「そんな……」と繰り返すばかりだった。その後、義父の手助けもあり、離婚は成立。浮気の慰謝料もきっちり請求した。義父は夫を絶縁し、家から追い出した。夫は再就職を目指したが、彼の悪評は業界中に広まり、雇ってくれる場所は見つからなかった。
私はというと、義両親とは良好な関係を続けることができた。義理の姉は「自分が情けないわ。あの人の本性に気づかずに結婚してしまったなんて」と励ましてくれた。もし新たな出会いがあれば、相手の人間性をよく見定めようと思う。そして、いつか幸せになった時、心の中で元夫にこう言ってやるのだ。
「『お前のことなんか誰ももらってくれない』というのは、間違いだったってね」



