結婚式の請求書が届いた。しかも、私が招待さえされていない結婚式の。宛名は間違いなく私で、差出人は義理の娘だった。
私は古川三重、62歳。今は一人暮らしだ。かつては夫がいた。誠と言い、私が35歳の時に結婚した。誠は15歳年上で、私との結婚は再婚だった。私は子供を産めない体だと言われていて、結婚さえも諦めていた。だが誠と出会い、彼に10歳の娘がいることを知った。そして「母親になってほしい」とプロポーズされた。
私は幸せだった。子供は無理でも、家族になれるんだと思った。
しかし、そう簡単にはいかなかった。娘のさやかは、私を決して母と認めなかった。反抗期も重なり、私のことを徹底的に嫌い、「おいおばさん」としか呼ばなかった。学校の参観日には参加させてもらえず、友達には「母親はいない」と言っていたらしい。私が作った料理には「ママの味と違う」と皿を投げつけられたこともあった。夫が注意すると、さやかは「お前が来たせいだ」と私に怒鳴り、自室にこもった。
それでも私は耐えた。夫に励まされながら、歩み寄ろうと努力し続けた。
一緒に暮らし始めて7年後、さやかは大学進学を機に家を出た。県外だった。私は正直、ほっとした。夫と二人きりの生活が始まり、穏やかな日々が戻ってきた。夫は早期退職し、キャンピングカーを買って一緒に日本中を旅した。本当に楽しかった。
しかし、穏やかな時間の中でも、さやかとの溝は深まる一方だった。
まず、さやかの従姉の結婚式があった。親族として私と夫、さやかで出席するはずだった。ところが前日、さやかが言い出した。
「なんで他人のあんたと参加しなきゃいけないのよ。あんたが参加するなら私は行かないから」
夫が説得したが、さやかの意思は固かった。結局、私が身を引くことにした。主役の従姉のためだ。私たちのために別の場を設けると言ってくれたが、私は内心、悲しさと悔しさでいっぱいだった。それでも、私が欠席すれば丸く収まるならと思い、高級旅館で一泊した。
ところが、さやかは私の心をさらに握りつぶしにきた。普段絶対にLINEを送ってこないさやかから、突然写真が送られてきたのだ。そこには、従姉の結婚式会場で、私が座るはずだった席に、夫の元妻が座っている光景があった。隣で夫は気まずそうな表情をしていた。さやかと元妻は満面の笑みだった。
夫に連絡すると、さやかが当日、突然元妻を連れてきたのだという。私の代わりに母親を座らせたかったのだろう。
「気にしてないわ」と私は夫に言ったが、内心は深く傷ついていた。
そして、もう一つ忘れられない出来事が起きた。夫が70歳で亡くなったのだ。心臓が弱かった夫は、治療の甲斐なくこの世を去った。
葬儀は妻である私が執り行うことになった。だが、さやかとはあのLINE以来、ブロックされ、連絡が取れなかった。13年以上、一度もやり取りをしていなかった。葬儀の日、私が参列席に座っていると、さやかが遅れて現れた。そして私を見るなり、参列者の前で言い放った。
「お父さんが亡くなったんだから、もうあんたには関係ないでしょ。出ていってよ」
さすがの私も反論した。しかしさやかは引かなかった。
「出ていかないなら、この式をぶち壊すけどいいの?お父さんが悲しむよ」
これはやりかねないと思った。この式は夫のためのものだ。争いごとをすれば夫が悲しむ。私は悔しさを抑え、式場を出た。
その後、遺産相続の話し合いで一度だけ会った。遺言書に従い、半分が私、残りをさやかが受け取ることになったが、さやかは納得しなかった。「他人のあんたは拒否しろ」と叫んだが、弁護士が同席していたため、何とか収まった。私は夫と住んでいた家を売り、遺産で小さな家を買った。家を売ったお金は、後から文句を言われないよう、さやかに渡した。
それから7年間、さやかとは一度も会っていないし、連絡もしていない。私も一人の時間を楽しみ、仕事も続けていたので、連絡を取ろうとは思わなかった。
ある日、従姉からさやかが結婚するらしいと聞いた。さやかももう37歳だ。あのさやかが家庭を持って大丈夫だろうか。かすかに残っていた親心がそう思わせたが、住所も知らないし、向こうも他人の私に会いたくないだろう。ご祝儀は渡さないことにした。
しかし、さやかが私の家にやって来たのだ。従姉の家で私の住所を見たらしい。玄関を開けると、さやかの隣に若い男性が立っていた。20代半ばぐらいの、派手なTシャツに短パンという格好だった。
「初めまして。新一です。俺、さやかさんと結婚するんです。あなたのことをさやかさんから聞いたんですけど」
私への印象が悪いに決まっている。
「なんか散々さやかさんの家族を困らせたみたいですね。その話を聞いて、さやかさんがかわいそうでいても立ってもいられなかったんですよね。で、ちゃんと話をしようと思って、こうして家まで来たんですよ」
新一はさやかに目をやった。さやかも私を意地悪そうな顔で見ている。
「なんかさやかさんの従姉の子までかすめて、家中に収めてるみたいですね。娘は無理だから、老後の面倒を代わりに見てもらおうとか思ってそうしてるんでしょう。本当、一人身の老人って迷惑ですよね。努力もしないで人にまとわりつくとか、恥ずかしいとも思わないんですか?」
私は呆然と彼の暴言を聞いていた。
「すみませんが、あなたが何を言いたいのか分かりません。本日は急な来訪ですので、話が長くなるようなら日を改めてもらえませんか?」
すると、さやかが口を挟んだ。
「日を改めてって、なんでまたあんたに会わなきゃいけないわけ?うざいんだけど」
新一も続けた。
「そういうところですよ、おばあさん。こうやって調子に乗られるのが困るんです。今回それが言いたくて来ました。まだ勘違いされているようですので、はっきり言いますよ。あなたは他人なんです。従姉のお姉さんは優しいから、あなたを親族として扱ってくれてるみたいですが、あなたの今の立場は人様の偽善の上に成り立っているんですよ。俺たちが結婚したからって、またさやかと接触しようとか思わないでくださいね。そんなこと1mmでも思っていたらキモいので。はっきり言いますが、俺たちはあなたとお付き合いする気は一切ないんで、結婚式には招待しないし、子供が生まれても合わせませんので。ああ、でも俺たちもそこまで鬼じゃないので、あなたが大人の対応をしてくれたら、年賀状ぐらいは送ってあげますよ。俺が言ってる意味分かりますか?」
要するに、縁を切ると牽制しに来たのだろう。
「分かりました。そこまで言うなら縁を切りましょう。元々、結ぶような縁もないですけど」
「分かってくれたようで良かったです。じゃ、そういうことなので」
さやかと新一は帰って行った。
まさか、そんなことを伝えるためだけに家まで来たのか。言われなくても、もう何年も連絡を取っていないし、結婚式に呼ばれると思ってもいなかった。さやかもそのくらい分かっているはずなのに、なぜ来たのか。その疑問は、すぐに解けた。
数日後、我が家に一通の封筒が届いた。中身は結婚式の請求書だった。金額は800万円。振り込み先も書かれていて、メモ用紙には「お支払いお願いしますね」と雑な字で書かれていた。電話番号もあった。かけてみると、出たのは新一だった。
「もしもし。ああ、お母さんですか?俺からの郵便、届きました?」
「届いたけど、この請求書は一体何?」
「あれ?日本語読めませんか?結婚式の請求書ですよ」
「それは分かるけど、なんでそれが私のところに?」
「全部言わないと分からないんですか?大人の対応をお願いしますよ」
一方的に電話を切られた。
どうやら新一の言っていた「大人の対応」とは、私が結婚式の費用を払うことらしい。何が馬鹿らしいのか。私は請求書とメモを破り捨て、新一の番号と電話の履歴を消去した。一週間後、さやかと新一から何度も着信があったが、一度も出なかった。あまりにしつこいので、携帯を解約して番号を新しくした。
それから2年後のことだ。庭の手入れをしていると、別人のようにやつれたさやかが現れた。まだ40歳になるはずがないのに、見た目は50歳ぐらいに見えた。
「突然何?」
するとさやかは、顔をくしゃくしゃにして膝から崩れ落ちた。
「こんな目で私を見ないでよ。お母さん」
今、何と言った?「お母さん」?今まで一度も言ったことがないのに。
「人違いじゃない?」
「なんでよ。私のお母さんでしょ」とさやかが叫んだ。
何だか怪しいが、とりあえず要件を聞くことにした。
「で、何の用?」
さやかはぽつりぽつりと話し出した。結婚後すぐに子供ができたが、貯金も何も準備しないまま妊娠したこと。新一はギャンブルにはまっていて、家にお金を入れないため、あっという間に資金難になったこと。そして資金難になって少しした時、突然新一と連絡が取れなくなり、事実上の蒸発状態になったこと。
「そう。それで、私に何をしろと?」
「このままじゃ、まともな生活を送れないの。従姉のお姉ちゃんに資金援助を頼んだけど、子供が受験でお金が必要だからって断られちゃって。だから、こうやってお母さんのところにも来たの」
「なんかお母さん、今小説を書いてて結構売れてるんでしょ?だからさ、1000万円ほどでいいから貸して欲しいの。いや、1000万円ちょうだい。親子なんだし。いいでしょう?」
私はため息をついて言った。
「確かに私は今、物書きをしていて、それなりにお金をもらえているわ。でも、そのお金はあなたには使わないわ。だって、あなたと私は他人なんでしょ」
するとさやかは、すがるような目をして言った。
「そんなこと言わないでよ。私たち、色々あったけど親子でしょ。昔きつく当たったことは謝るわ。これから残りの人生は親子になろうよ。お願いだよ、お母さん」
「その『お母さん』っていうの、やめてくれない?あなたに言われると、なんか変な感じがするわ。私たち、本当に親子じゃないんだってば。私はあなたの母親になりたかったけど、あなたがそれを拒否したんでしょ」
「でも戸籍上は親子でしょ。お父さんとあなたは再婚したんだから。お父さんの娘だった私は、あなたの子供になるはずでしょ。いくら気持ちが追いつかなくても、法律上親子じゃないの?いいの?娘の助けを無にしたって噂が流れても、物書きって人気商売なんでしょ」
今になって、脅しまでしてきた。いい大人が情けない。
「それがね、法律上でも気持ちの上でも、私たちは親子じゃないの」
さやかは固まった。
「私、言ったよね。母親になりたかったけど、あなたがそうさせてくれなかったって。私の特別養子縁組の申し出を、あなたが拒否したんじゃない?覚えていないの?だから残念だけど、法律的にも私たちは親子じゃないの」
そうなのだ。私は結婚当初、夫の連れ子と養子縁組を結ぶつもりだった。夫とは年の差があったから、先々のことを考えてのことだった。さやかが13歳の時に、特別養子縁組を結ぼうとした。しかし、さやかは最初から私に牙を向いてきた。夫は「思春期で難しい時期だから、様子を見よう。少し待っててくれ」と言った。私はさやかが心を開いてくれるのを待っていたが、ついに開くことはなかった。倉しているうちにさやかは15歳になり、特別養子縁組の対象外になってしまった。だから、私とさやかは親子ではない。
そう伝えると、さやかは怒り出した。
「何よそれ。でも従姉のお姉ちゃんとは仲良くして、たまに援助もしているそうじゃない?お姉ちゃんだって他人でしょ?同じ他人なら平等に扱ってよ」
「そうね。そんなに大きな金額ではないけど、お姉ちゃんには色々とお金を出したりしたわ。でも、お姉ちゃんはずっと私のことを親族として受け入れてくれたから。それに比べて、あなたはどうかしら?お姉ちゃんの結婚式の時を思い出してみて。あと、お父さんのお葬式の時はどうだった?あなたはたった一度でも、私のことを母親どころか親族だと思わなかったでしょう。私を家族にしてくれなかったのは、あなたよ。それなのに、今更虫が良すぎない?」
さやかは下を向いて、何か言い出した。
「それは思春期だったからで、ちょっと反発したって言うか… そんな子供の時の話を出さないでよ」
「子供で思春期?お姉ちゃんの結婚式の時、あなたは20代で、誠さんのお葬式の時は30代だったでしょ。随分大きな思春期の子供ね」
さやかは黙り込んだ。
「さやか、もういい大人なんだから、どういう行動をしたら自分に帰ってくるのか、しっかり自分の頭で考えてから行動しなさい。他人の私に何を言われても響かないだろうけど、とにかく他人のあなたに渡すお金はないわ。『何の努力もしないで他人にまとわりつくなんて』って、あなたの旦那に言われたんだけどね」
さやかは何も言えなくなり、おずおずと帰っていった。
その後、さやかは妊婦であるにも関わらず、パートで働き始めたらしい。新一はいつまでも行方不明のままだったが、ある日、新一の分だけ記入された離婚届が郵便受けに入っていたらしい。
今回のことに対して、私が冷たすぎるという人もいるかもしれない。だが、一度はさやかを法律上では子供でなくても、本当の子供のように育てようとし、私なりに何十年も努力してきた。しかし彼女は拒み続けるどころか、攻撃をしてきた。それほどのことを私はさやかにされてきたのだ。さやかは実母への愛が強すぎるあまり、後戻りできない状態までになっていたのだろう。
これからでもさやかが常識のある大人になることを願って、今回は完全に縁を切る決断をした。お互いに傷つき苦しんだ何十年だったのだから、そろそろお互い楽になってもいいだろう。
夫が残してくれた遺産で購入した小さな家で、静かに暮らしながら、そう思った。



