同僚たちの視線が一斉に俺に突き刺さる。社長からの伝言だと、上司の三好課長がニヤニヤしながら書類を突き出してきた。「お前、中卒だろ。明日から来なくていいぞ。輪を乱す者は淘汰される。これは友達付き合いだけじゃなく、職場でも同じらしい。」
俺は中卒じゃない。それなりの高校に入学し、そこら辺にある商業系の大学も卒業した。ただ、ゲームの攻略に夢中になりすぎて仕事がうまくいきすぎてしまい、退職した過去がある。ラスボスを倒した後の虚無感みたいなものだ。スキルアップなんて求めてない。生活に見合う収入が得られて、それなりに仕事ができれば満足だった。
今の職場は小さなIT集団だ。地域の顧客のウェブサポートや、大手企業の下請けをしている。俺は書務を担当していた。ノルマもなければ顧客と直接やりとりする機会もない。人間関係は必要最低限で、黙々と仕事ができる。本当に気楽な環境だった。だが、その気迫さが一番の盲点だった。
「おい、一条、お前、ここの数字間違ってるぞ。」
三好課長が毎度のように絡んでくる。経理課が入力した会計ソフトの数字をそのまま使っているのだから、間違うはずがない。誰かが改ざんしない限り、数字が変わることはないのだ。「8万9457円の違いを大きいと思わんのか?」と課長は言うが、その差額は6年前からずっと帳簿に繰り越されているものだ。経理に聞いても「書務課の仕業だろう」と言い始める。
そのうち差額は9万5000円になり、12万円に膨れ上がった。現金が足りない。三好課長は「もしかして一条が悪いんじゃないか」と言い出した。三人が決めつけてしまえば、周囲の人間も信じてしまう。俺が現金窃盗犯みたいな空気が出来上がってしまった。上層部は「高々数万円だろう。どうにか揉み消せばいい」と言いながらも、「どこかで誰かに責任転嫁しなければ辻褄が合わない」と言ってきた。
そして、冒頭の言葉に繋がる。中卒というレッテルを貼られ、解雇された。
後ろめたさはあった。「訴えてやる」と騒いだところで多勢に無勢だ。解雇されたとなれば、死活不明の件はますます俺のせいになるだろう。ここで身を引いておけば、問題が大きくなった時に「知らぬ存ぜぬ」を貫ける。だから俺は会社を辞めて無職になってみた。
趣味もなく、職にも興味がない。ゲームに課金することはあるが、飽きっぽい。貯金はしばらく食いつなげるほどある。「ゆるっと就活するか」という感覚だったけど、そのゆるっと感覚はあっけなく崩れ去る。
試しに登録した転職サイトで、企業の人事担当者からオファーが届いたのだ。しかも誰もが名前を知っている大手IT企業からだ。俺はすぐにレスポンスを返し、あっけなく内定が決まってしまった。面接で社長の二条ゆかりはにっこり笑って言った。「もったいないわね。あなたのような逸材を手放すなんて。あなたなら何でもこなせるじゃない。」
「あの、俺のどこを見て逸材だって言い切れるんですか? 前職では中卒と罵られて解雇されたんですよ。」俺は疑念を口にした。
「だってあなた、あのゲームと同じハンドルネームで転職サイトを登録してたでしょ? 『ネクストステージ』ってゲームの。」
俺は言葉を失った。8年前にハマったオンラインゲームの話だ。確かに俺はそのタイトルで使っていたハンドルネームで登録していた。アイコンも当時のアバターだ。どう考えてもふざけた転職活動だ。そのゲームでは俺はカリスマ扱いされていて、ちょっと名の知れた存在だった。サービス終了後、限られた人たちで楽しめるコミュニティを立ち上げてくれたのも俺だと言う。社長は「欲しかったのよ。あなたのその起動力や技術」と続けた。
そして俺は気づいてしまった。「パープル0612……、あなたか!」思わず立ち上がって社長を指さしてしまった。同じサーバー内で時には敵対したり協力し合ったりしていたユーザーだった。彼女はゲームでは派手で手厚い装備を実装していたが、会社経営者だからゲームに金をかけられたのだろう。「ずっとうちの会社に欲しいと思っていたのよ。チャット機能がなかったから、声をかけられないまま8年以上。それがあなたから飛び込んできてくれるなんて。」
「ねえ、私といいことしない?」社長は悪魔的な笑みを浮かべた。要するにオンラインゲームから実社会に舞台を移して、生き残りましょうという話だ。あの頃のワクワクした気持ちが、久しぶりに戻ってきた。
それから2年が経過した。あの頃のワクワクは吹き飛ぶほど多忙な毎日だった。ゆかり社長はどこまでも鬼畜で容赦ない女社長だった。ワークホリックで、自分の会社の成長のことしか考えていない。俺は社内の仕事を全て覚えさせられた。経営、営業、経理、広報。元々の経験と、ゲームで培ったIT技術のおかげで覚えるのは難しくなかった。
そして今日、俺はゆかり社長がM&Aで吸収した会社の社長として赴任することになった。俺は何度も断った。代表取締役社長なんて器じゃないと。しかし社長は「何言ってるの? 本当は赴任先が嫌なだけでしょう。」とケラケラ笑うだけだ。
M&Aを繰り返して会社を大きくしてきたゆかり社長は、最近「あまりにもヤバすぎて誰も手をつけない会社をうっかり買っちゃった」と言う。破産手続き寸前の会社だ。そして、その赴任先が元職場だと知った。しかも、会社買収の際に経営陣を一掃し、経営基盤を根底から覆すことを約束させたため、俺が代表取締役社長に就任し、ゆかり社長の会社から数名の経営陣が送り込まれた。ゆかり社長は「過去の清算をしてこい」とまで言う。
元職場の社員はほとんど残っており、誰もが焦っていた。死活不明を生み出した無気力中卒が新社長として降臨したのだから。就任挨拶で一応言ってやった。「私は中卒でもなく、現金窃盗でもございません。その証拠に、私の離職後も死活不明が発生しているようですね。私が就任したからには、この会社の企業風土を一掃し、我がグループに貢献できる企業として改革します。ただし、この会社に生産性が見い出されない場合は、容赦なく解散手続きが取られることは言うまでもありません。」
与えられた期間は3年間。まずは経理部門の体質改善を図るべく、経理課長を送り込み、監査を行い死活不明の原因を解明することに時間を費やす。俺は在職中から三好課長が怪しいと思っていたので、書務課を廃止し経理部門と統合した。営業社員は本社へ移動させ、再教育。エンジニアたちはこの環境で仕事を続けてもらうが、スキルが低い者には脱サラを進め、フリーエンジニアとして仕事を委託できるような体制を整えた。遠回しのリストラだ。
そして、俺は解雇される少し前に、この職場の会計ソフトにプログラムを組み込んでいた。少しずつ現金が足りなくなっていた頃だ。犯人が誰かを特定するための仕掛けだった。何にも気づかれないよう、バックグラウンドで動くよう仕組んでいた。解雇されてあっさり引き下がったため、そのまま放置していたプログラムが、犯人の手口を明らかにした。
犯人は600円のランチ代金程度の着服を繰り返し、バレないと確信してから1000円、1万円と額を大きくしていた。伝票処理の際に現金を少なく出勤してしまった場合にも、その差額をポケットに入れていることが発覚した。2年間で280万円の死活不明、その全容が明らかになった。経理担当のパソコンのモニターに内蔵されているカメラを常時記録するよう再改造を施していたのだ。ハードディスクの容量不足で数ヶ月分の映像しか残っていなかったが、十分な証拠が集まった。
経理と書務課の社員が、全員それぞれに経理の小口現金を黙って使っていたのだ。三好課長もその一人だった。互いに悪いことをしているので、誰も何も言えない。経理社員も着服しているから声をあげられない。
俺は全体会議の場で社員を集め、顔面蒼白の社員の前で事実を伝えた。そして、就任1週間足らずで会社の解散を宣言した。「こんな会社、M&Aの価値すらなかった。我がグループの唯一の大欠点だ。」
ゆかり社長は俺の決断に両手を叩いて喜んだ。「あら、あなたにしては決断が早いし、何よりもとてつもない仕返しをしてやったのね。」そして、本社へ移動させた営業社員と、有能なエンジニアだけを手に入れて、会社を畳んだ。俺はたった一週間で会社を潰してしまったのだ。ゆかり社長はケラケラと笑うばかりだ。
俺は、ここでこれから先もこの女社長に振り回される運命にあることを悟ってしまった。



