会議室に入った瞬間、空気が凍った。俺は確かにTシャツにジーンズ、足元はサンダルといういでたちで、周りからは「誰だ、この変な格好のおっさんは」という目線が痛いほど飛んでくる。だが、それを直接言葉にしてきた男がいた。川上営業課長だ。「無能じじは会議に来るなよ」と、まるでゴミを見るような目で言い放ったのだ。俺はカチンときたが、反論する前に、日本の社長である木村が立ち上がった。木村の顔は青白く、額には汗がにじんでいる。「よさないか、君。この方こそがアメリカ本社の社長、大垣正彦様なんだぞ」と。ところが川上はまったくひるまない。「だったらなんだよ。さっき道端でこのじじいに捕まって、俺の時間を無駄にさせられたんだ。その付けは払ってもらう」と、なんと社長の木村に対しても敬語すら使わない。それどころか怒りの矛先を俺に向けてきた。俺は55歳。世界で名を馳せるネイル会社をアメリカで立ち上げ、今では約20カ国にまで事業を広げている。そんな俺が、こうして日本に戻ってきたのは、単なる帰国ではない。ある目的があったからだ。だが、この川上という男が、その計画の邪魔をし始めるとは思っていなかった。
俺は大学を卒業してすぐに渡米し、そのままアメリカで生きてきた。日本の生活よりアメリカでの生活のほうが長い。数年に一度は帰国するが、そのたびに懐かしさを感じる。今回も成田エクスプレスに揺られながら、そんなことを考えていた。東京駅に着き、大きなスーツケースを引きずりながらタクシー乗り場へ。新橋駅が最寄りの会社だが、荷物が大きいのでタクシーを使うことにした。乗り場には長い列があったが、5分ほどで自分の順番が回ってきた。運転手に会社の場所を告げると、車はスムーズに走り出した。20分ほどで会社の前に到着。会議の時間にはまだ早かったので、荷物だけ先に預けておこうと4階の受付へ向かった。
受付には総務の谷ゆりという若い女性がいた。名札が見える。「すみません、今日の会議に出席予定の者ですが、早く着きすぎてしまって。荷物だけ預かってもらえませんか」と伝えると、谷は少し困ったような顔をした。無理もない。俺の格好はTシャツにGパン、足元はサンダルなのだから。まるで会議に来たとは思えない姿だ。「ああ、すまないけど、少し散策してくるから荷物を頼む」と言って、俺は受付を離れようとした。すると、その場にいた別の社員が声をかけてきた。「お客様でございますか?」と。どうやら、この会社には俺の格好を不審に思う人間が多いらしい。だが、それも仕方ない。俺がこうしてわざと場違いな格好をしているのには理由がある。それは、本当の社員たちの姿を見たかったからだ。見かけや肩書きで判断する人間なのかどうかを確かめたかったのだ。そして、その結果はもう出ている。川上という男の態度が、その答えだった。
俺は受付を後にして、会社の周りを歩いた。考えていたのは、川上のことだ。あの男は、社長の木村に対してすら横柄な態度を取っていた。恐らく、あの男は自分が誰よりも偉いと思っているタイプだろう。だが、それは大きな誤りだと知らしめる時が来た。俺はしばらく散策した後、再び会社へ戻った。今度はエレベーターで最上階へ向かう。会議室の前には、さっきとは違う緊張感が漂っていた。中に入ると、すでに重役たちが集まっている。だが、そこに川上の姿はない。やはり、あの男は来なかったのか。それとも、何か企んでいるのか。俺は席に着き、静かに会議の開始を待った。
会議が始まると、木村が俺を紹介した。「本日は、アメリカ本社の社長である大垣正彦様にお越しいただきました。大垣様は、世界的なネイルブランドを築かれた方です。今日は、日本の事業拡大についてのご提案をいただく予定です」と。重役たちは一斉に俺を見た。さっきまで会話していた者たちも、今は黙っている。俺は立ち上がり、簡単に自己紹介をした。「大垣正彦です。アメリカでネイル事業を展開しています。今日は、日本の市場について話をしたいと思います」と。すると、突然扉が開いた。入ってきたのは川上だ。彼は腕を組みながら、俺を見下すように言った。「社長、こんな変な格好の男の話を聞く気ですか?どうせ、何かインチキでも企んでいるんでしょう」と。室内が静まり返る。俺はゆっくりと彼に向き直り、一言放った。「君が営業課長の川上君か。先ほどは道端で無作法に絡んできたね。あの件について、まずは謝罪してもらおうか」と。川上は一瞬面食らったが、すぐに開き直った。「謝罪?何言ってるんですか。あれは事実を言っただけですよ。無能じじいが会議に来るなと言ったんです」と。俺は笑みを浮かべた。「では、その“無能じじい”が実際に何を成し遂げてきたか、しっかり見せてもらおう。君が今、働いているこの会社の親会社の社長が誰か、もう一度考えてみるといい」と。川上の顔色が変わった。ようやく事の重大さに気づいたようだ。だが、もう遅い。俺は懐から一冊のファイルを取り出して、机の上に置いた。「これは、君の営業成績のデータだ。過去3年間、君の担当エリアの売上は伸びていない。むしろ、減少傾向にある。それなのに、君は自分を“有能”だと思っているのか?」と。川上は何も言えず、ただ立ち尽くしていた。木村は静かに口を開いた。「川上君、君の態度は今日限りだ。明日から、お前は営業課長を外れてもらう」と。川上は顔を真っ赤にして怒り出したが、誰も彼をかばわない。俺はその光景をただ静かに見つめていた。そして、思った。結局、この男は自分の実力と立場を過信していただけだ。だが、それで終わるわけではない。俺の本当の狙いは、まだ先にある。日本の事業拡大は、これからが本番だ。そして、その第一歩として、川上のような人物を排除する必要があった。会議は、俺の提案通りに進むことになり、川上はその場で更迭された。だが、俺はまだ満足していなかった。なぜなら、この会社には、他にも問題が眠っているはずだからだ。それは、次の会議で明らかになるだろう。俺は席を立ち、窓の外を見た。明日から、本格的に動き出す。その時、俺の頬に笑みが浮かんでいた。



