「母さん、まだいたの?」
その言葉が、胸に刃のように突き刺さった。初孫である渡る君の、初めての運動会。朝の五時に起きて、暗いうちから三人分の弁当を作り、炎天下で三時間も場所取りをして待っていた私への、最初の言葉がそれだった。
私は千恵子、六十八歳。夫を十年前に亡くしてから、息子の家族のために生きてきた。八年間、町の事務所で働き詰めで、定年後も孫の世話を週三日、無償で引き受けている。息子の俊助は私のすべてだった。大学進学のときは残業代をすべて学費に充て、自分の服すら買わずに節約した。マイホームを買うときは退職金の前借りまでして、頭金五百万円を援助した。
「お母さん、本当にありがとう。僕は世界一幸せな息子だよ」
結婚式で涙を流しながら言ってくれたあの言葉を、私は今でも信じていた。しかし、嫁の美津が来てから、少しずつ何かが変わっていった。最初は些細なことだった。料理の味付けへの文句、掃除の仕方への小言。それが次第にエスカレートし、今では私の存在そのものが邪魔者扱いされている。
「お母さん、また勝手に冷蔵庫の中を整理したんですか?」
美津の言葉にはいつも棘があった。私が孫の世話をして当たり前という顔をされ、やり方が気に入らないと文句を言われる始末。それでも私は耐えてきた。息子と孫のためなら、どんな扱いでも我慢できると思っていた。でも、今日の運動会での出来事は、私の心に深い傷を残した。
運動会当日の朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。台所に立ち、渡る君の好物の唐揚げ、卵焼き、おにぎりを丁寧に作った。息子が子供の頃に作ったのと同じように、タコさんウインナーも添える。朝六時前には準備を終え、会場へ向かった。
門に到着すると、すでに数人の保護者が並んでいた。私は列の五番目に並んだ。朝の涼しさもつかの間、七時を過ぎると太陽が容赦なく照り始めた。
「お母さん、絶対に良い場所を取ってね。写真を撮影するから」
美津の命令が頭に響く。私は日傘も差さず、ただひたすら待ち続けた。汗が額から流れ落ち、目に入って痛い。でも、場所を離れるわけにはいかなかった。
八時、ようやく開門。私は足早に校庭へ向かい、本部の正面最前列を確保した。レジャーシートを広げ、荷物を置いて場所を守る。周りの保護者たちは確保したらすぐに日陰へ避難していったが、私は動けなかった。
「離れたら取られちゃうから、絶対動かないで」
美津からのLINEが届く。返信する間もなく、次々と指示が飛んでくる。お茶は冷やしておいて、カメラの充電を確認して、日焼け止めを忘れないで。私への心配は一切なかった。炎天下で三時間、水分補給もままならず、めまいがしてきた。隣に座っていた若いお母さんが心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
「ありがとう。大丈夫です」
強がって見せたが、実際は限界に近かった。
九時十五分、ようやく息子夫婦が到着した。私は満面の笑顔を浮かべて手を振ったが、美津の第一声は「なんでこんな端っこなの? もっと中央よりが良かったのに」だった。私が確保したのは本部正面の最前列で、決して端ではない。それでも美津は不満そうに場所を見回し、舌打ちをした。
「お母さん、本当に朝から並んでたの?」
疑いの目を向けられ、私は言葉を失った。俊助は何も言わず、ただスマートフォンをいじっている。
「お母さん、弁当は?」
ようやく息子が口を開いたが、それは私をねぎらう言葉ではなく、要求だった。私は黙ってバッグから弁当を取り出した。
「これ、殻が揚げてるんだけど」「おにぎりの海苔がしんなりしてる」
美津の不満が続く。三時間も炎天下に置いていたのだから当然だが、そんな事情は考慮されない。
「お母さん、ちょっと車で休んでてもらえます? ここ狭いから」
美津が私を追いやろうとした。場所取りをした私を、邪魔物扱いする。
「そうだね。母さん、暑いでしょ。車で休んでて」
俊助もそう言った。まるで心配しているような口調だったが、目は合わせなかった。
「でも、渡る君の応援を……」
「大丈夫です。ビデオ撮るので」
美津がぴしゃりと言い放つ。私は立ち上がった。足がふらつき、よろけそうになったが、誰も支えてくれなかった。駐車場への道すがら、涙が込み上げてきた。振り返ると、美津の実母が到着し、私が場所取りした特等席に座っているのが見えた。美津が満面の笑みで母親を迎え、俊助も丁寧に挨拶している。
「お母様、暑い中ありがとうございます。お茶をどうぞ」
私には向けられなかったねぎらいの言葉が、美津の母親には惜しみなく注がれていた。
車に戻ると、急に体の力が抜けた。エアコンをつけようとしたが、手が震えて鍵が回せない。窓を開けても熱風が入ってくるだけ。水筒の水もぬるくなっていた。視界がぼやけ、意識が遠のいていく感覚に襲われた。このままここで倒れても、誰も気づかないんだろうな。そう思った瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。
手足がしびれ、呼吸が浅くなる。これは熱中症の症状だと、かすむ頭で理解した。震える手でスマートフォンを取り出し、俊助に電話をかけた。呼び出し音が続く。一回、二回、三回。ようやく繋がった。
「もしもし。母さん、今忙しいんだけど」
背後から渡る君への声援と美津の笑い声が聞こえる。
「俊助、私、具合が悪くて。熱中症みたいで」
「え? だから車で休んでてって言ったでしょ」
息子の声には苛立ちが滲んでいた。
「救急車を呼んだ方がいいかもしれない」
「はあ。大げさだよ。水でも飲んで寝てればいいでしょ。今、渡るとの競争が始まるから」
ガチャリという音が私の心に突き刺さった。電話が切れた。もう一度かけ直そうとしたが、手に力が入らない。スマートフォンが手から滑り落ちた。目の前が白くなったり黒くなったりを繰り返す。このまま意識を失ったら、本当に危ないかもしれない。必死の思いでスマートフォンを拾い上げ、今度は美津にLINEを送った。
「具合が悪いです。助けて」
既読はついた。でも、返事は来ない。五分待った。十分待った。何も来ない。
ふと車の窓から校庭が見えた。美津が自分の母親に日傘を差しかけ、扇子で仰いでいる。俊助は美津の母親に冷たいお茶を進めている。
「お母様、暑いでしょう。熱中症になったら大変ですから」
俊助の声が風に乗って聞こえてきた。私が熱中症で苦しんでいるのも知っているはずなのに。さらにショックだったのは、次の瞬間に聞こえてきた会話だった。
「あちらのお母様は?」
「ああ、年齢も年齢ですから。暑いところは無理なんです。車で休んでもらってます」
「でも、場所取りしてもらったんでしょう」
「まあ、それくらいしか役に立ちませんから」
俊助が笑いながら言った。
「正直、来なくても良かったんですけどね。自分から来たいって言うから」
それは嘘だった。私は呼ばれたから来たのだ。場所を頼まれたから、朝早くから来たのだ。
「うちは違いますから。あちらは初孫外の人ですし」
美津の言葉に、俊助も頷いている。外の人。その言葉がぐるぐると頭の中で回った。三十八年間必死に働いて育てた息子に、私は外の人と呼ばれた。急に吐き気が込み上げてきた。車のドアを開けようとしたが、うまく開かない。パニックになりかけた時、通りかかった学校の用務員さんが気づいてくれた。
「奥さん、大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですよ」
「すみません。熱中症みたいで」
用務員さんはすぐに救急車を呼んでくれた。
「ご家族は運動会に来てるんでしょう?」
「……います」
でも、言葉が続かなかった。家族はいるけど、助けてくれない。そんなこと、他人に言えるはずがない。
救急車が到着し、ストレッチャーに乗せられた。救急隊員が俊助に連絡を取ってくれた。
「息子さんですか? お母様が熱中症で搬送されます」
電話の向こうから、俊助の声が聞こえた。
「え? 本当に? でも、今息子の運動会の最中で……後で病院に行きますから」
救急隊員も困惑していた。
「かなり重症です。すぐに来られた方が……」
「わかりました。終わったら行きます」
結局、俊助は来なかった。
病院のベッドで点滴を受けながら、天井を見つめていた。看護師さんが心配そうに声をかけてくれる。
「ご家族は?」
「息子が後で来ると言ってました」
「そうですか」
でも、もう運動会が終わっている時間だった。午後三時を回っていた。でも、誰も来ない。スマートフォンを見ると、俊助からLINEが一通だけ来ていた。
「病院代は後で返すから。今日は渡るが一等を取った。母さんが場所取りしてくれたおかげかな」
涙が溢れて止まらなかった。私が死にかけている時に、息子は孫の一等を喜んでいた。場所取りのおかげと言いながら、その場所で倒れた母親を見舞いもしない。看護師さんがそっとティッシュを差し出してくれた。
「無理しないでくださいね」
優しい言葉だった。息子からは聞けなかったねぎらいの言葉を、他人から受ける日が来るとは。
点滴が終わり、医師から説明を受けた。
「かなり危険な状態でした。もう少し遅かったら、命に関わっていたかもしれません」
「そうですか……」
「ご高齢ですから、無理は禁物です。ご家族にもよく説明しておきますね」
医師は俊助が来るものと思っているようだった。でも、来るはずがないことを私は知っていた。
病院を出る時、受付で会計を済ませた。三万近い出費だった。俊助は後で返すと言ったが、それも期待できない。これまでも、貸したお金を返してもらったことは一度もない。
タクシーで家に帰る道中、決意した。もう、都合のいい母親は終わりにしよう。私の中で何かが静かに、しかし確実に変わった瞬間だった。
家に帰り、誰もいない静かな部屋でソファに腰を下ろした。でも、この静寂が今は心地よかった。改めて今日の出来事を振り返る。炎天下での場所取り、熱中症での搬送、そして息子からの裏切り。もう限界だった。
「都合のいい母親は、今日で終わり」
声に出して宣言した。空っぽの部屋に、私の決意が響いた。
立ち上がり、寝室のクローゼットを開ける。奥の方に大切にしまってある書類入れを取り出した。中には、これまでの人生の記録が詰まっている。最初に入っていたのは、町場からの退職金。三十八年間務め上げた退職金二千万円。これは夫の生命保険と合わせて、老後の生活資金として大切に取っておいたものだ。
次に取り出したのは、俊助名義の学資保険。私が掛け金を払い続けてきた三百万円の保険。満期を迎えているが、まだ受け取っていない。名義は俊助だが、掛け金を払ったのは全て私だ。これも返してもらいましょう。
さらに過去の通帳を並べる。俊助の大学時代、毎月十万円を仕送りした記録。マイホーム購入時の五百万円の援助。孫が生まれてからの、数えきれない援助の数々。合計すると一千万円をゆうに超えていた。
「全部、当たり前だと思われていたのね」
苦笑いが漏れた。でも、もう悲しくはなかった。むしろ、これまでの自分の愚かさに呆れていた。
パソコンを開き、エクセルで表を作り始めた。これまでの援助額、日付、内容を細かく記録していく。通帳と照らし合わせながら、一つ一つ入力していく。そして、新たな項目も追加した。孫の世話をした日数と時間。週三日、一回八時間として計算すると、年間百時間を優に超える。時給千円で換算しても、年間百二十万円の労働提供をしていたことになる。プロのベビーシッターなら、時給千円はくだらない。つまり、年間二百四十万円分の無償労働をしていたことになる。
次に、スマートフォンの写真フォルダーを開いた。今日の運動会の写真はない。でも、これまでの家族写真がたくさん保存されている。誕生日、クリスマス、正月。どの写真でも、私は端っこに小さく映っているだけ。中心にいるのは、いつも美津の家族。これが私の立ち位置だったのね。
写真を一枚一枚確認しながら、あることに気づいた。私が作った料理の写真は撮られているが、私が料理している姿は一枚もない。プレゼントを渡している写真はあるが、お礼を言われている場面はない。証拠として保存しておきましょう。全ての写真をバックアップし、別のフォルダーに整理した。
そして、最も重要な準備に取りかかった。銀行へ行くため、身支度を整える。まだ体はふらついていたが、これだけは今、やっておかなければならない。
銀行の窓口で、普通預金を定期預金に変更する手続きをした。二千万円を解約し、本人確認が必要な定期預金にする。これで、俊助が勝手に引き出すことはできない。
「お客様、全額を定期になさるんですか?」
銀行員が心配そうに聞いてきた。
「はい。誰にも触らせたくないお金ですから」
次に、保険の窓口へ向かった。
「受け取り人を変更したいのですが」
「名義人の同意が必要ですが……」
「掛け金は全て私が払いました。証明できます」
通帳の記録を見せると、担当者は納得してくれた。法的にも、掛け金を払った人に権利があることを確認し、手続きを進めてもらった。
家に帰ると、夕方の六時を過ぎていた。俊助からは連絡がない。病院に行くと言っていたのに、来なかったことへの謝罪もない。キッチンに立ち、自分だけの簡単な夕食を作った。お粥と梅干。それだけで十分だった。一人で食べる食事が、こんなに気楽だとは思わなかった。
食後、ノートを取り出し、これからの計画を書き始めた。
一、孫の世話は一切しない。
二、金銭的援助は全て断る。
三、家に呼ばれても行かない。
四、自分の人生を最優先する。
そして、最後に大きく書いた。
「私はもう、都合のいい母親ではない」
明日から、新しい私の人生が始まる。その準備は、全て整った。
翌朝七時、予想通り美津から電話が来た。
「お母さん、今日、渡るをお願いできますか? 急な仕事が入ってしまって」
「申し訳ないけど、体調が悪いので無理です」
「え? でも、昨日は大丈夫そうでしたよね」
昨日、熱中症で搬送されたことを、まるでなかったことのように言う美津。私は冷静に答えた。
「救急車で運ばれたんですよ。俊助から聞いていませんか?」
「あ、ああ、そういえば……でも、もう大丈夫なんでしょう」
「医者から安静にと言われています。申し訳ありませんが、他を当たってください」
「他って……お母さん以外に頼める人いないじゃないですか」
美津の声が苛立ちを帯びる。
「保育園の一時預かりがありますよ」
「そんな急に預けられません。それにお金もかかるし」
「でしたら、美津さんのお母様にお願いしては?」
電話の向こうで、唾を飲む音がした。
「うちの母は忙しいんです。私も忙しいんです」
「では、失礼します」
電話を切った。すぐに俊助から電話が来た。
「母さん、美津から聞いたよ。なんで渡るの面倒見てくれないの?」
「俊助、昨日のこと覚えてる?」
「昨日? ああ、運動会」
「私、熱中症で救急搬送されたのよ」
「それは大げさだったんじゃないの?」
息子の言葉に、怒りよりも呆れが込み上げてきた。
「医者には、命に関わるところだったと言われたわ」
「それでも大げさ。でも、もう元気なんでしょ」
「俊助、あなた、病院に来なかったわよね」
「仕事があったから」
「嘘。運動会の後、美津さんの実家に行ったんでしょう」
沈黙が流れた。図星だったようだ。近所の人から聞いていた。俊助の車が美津の実家にあったことを。
「とにかく、もう孫の世話はしません。お金もかかるでしょうが、それは親の責任です」
「母さん、何言ってるの? 今まで普通にやってくれてたじゃない」
「普通? 週三日、無償で八時間労働することが普通?」
「家族なんだから、当たり前でしょ」
「家族? 昨日、美津さんは私のこと、外の人って言ってたわよ」
また沈黙。
「母さん、聞いてたの?」
「聞こえたのよ。あなたも否定しなかった」
「あれは……その場の流れで」
「もういいわ。とにかく、今後一切の援助はしません。経済的にも、労働的にも」
電話を切ると、すぐにまたかかってきたが出なかった。着信履歴が十件、二十件と増えていく。
三日後、美津から泣きながらの電話。
「お母さん、お願いです。今日だけでいいので、渡るを見てください。保育園が見つからなくて」
「美津さん、保育園は一日で見つかるものではないでしょう。最初から隙がなかったのでは?」
「そんなことありません。でも、どこも満員で……」
「それは大変ですね。でも、私にはもう関係ありません」
「お母さん、冷たいじゃないですか?」
「冷たい? 私を都合よく使い倒して、助けない方が、そういうのを冷たいと言うんですか?」
美津は言葉をつまらせた。
一週間が経過した。俊助夫婦の生活は、明らかに破綻し始めていた。美津は遅刻と早退を繰り返し、上司から警告を受けた。俊助も残業ができず、収入が減った。
その後、俊助が家に来た。ピンポンを連打し、ドアを叩く。
「母さん、開けて。話があるんだ」
私は玄関越しに答えた。
「何の用ですか?」
「母さん、顔を見て話したい」
「必要ありません。要件を言ってください」
「保育園代が、月六万円もかかるんだ。とても払えない」
「それは、あなたたち夫婦の問題です」
「母さん、冷たいよ」
「冷たい? 息子に冷たいと言われる筋合いはありません。私は三十八年間働いて、あなたを大学まで出し、家の頭金も出し、孫の世話も無償でしてきた。それでも、冷たいと言うのですか?」
俊助は黙り込んだ。
「お母さん、お金あるんでしょ?」
ついに本音が出た。
「ありますよ。退職金二千万円」
ドアの向こうで、俊助が息を飲むのが分かった。
「二千万円も……なんで黙ってたの?」
「言う必要がなかったからです。これは、私の老後の資金です」
「ばあさん、家族でしょ。困った時は助け合うものでしょ」
「家族? 私は、外の人だと言われました」
「それは美津が……」
「あなたも同意してた。運動会で私が倒れても、来なかった」
「母さん、本当にこのままでいいの?」
「ええ。これでいいんです」
三週間後、美津から手紙が来た。
「お母様へ。この度は、私の配慮のない言動で深く傷つけてしまい、申し訳ございませんでした。また、保育園がようやく決まりましたが、月六万円の出費で生活が苦しいです。もし可能でしたら、週に一度だけでも渡るを見ていただけないでしょうか。謝礼として一回五千円をお支払いします」
謝罪の言葉はあるが、結局は自分たちの都合。しかも、プロのベビーシッターの半額以下だ。
私は返事を書いた。
「美津さんへ。お手紙ありがとうございます。申し訳ありませんが、お引き受けできません。私も高齢になり、もう孫の世話をする体力がありません。特に熱中症で倒れてから、医者に無理をしないよう言われています。どうぞ、プロのシッターさんをお探しください」
一ヶ月後、俊助から電話が来た。声が疲れきっていた。
「母さん、実は学資保険のことで……」
「ああ、あれなら私が受け取りました」
「え? なんで? 俺の名義だよ」
「掛け金は全て私が払いました。法的にも私に権利があります。弁護士にも確認済みです」
「そんな……三百万円だよ。渡るの教育費に使うつもりだったのに」
「これまで援助した総額は一千万円を超えています。三百万円くらい、返してもらってもいいでしょう?」
「母さん、それは違うよ。あれは母さんが勝手にくれたんじゃないか」
「勝手に? 頼まれたから出したのよ。マイホームの頭金五百万円も、あなたが土下座して頼んできたじゃない」
俊助は言葉を失った。
「母さん、僕たちの生活が苦しいのを知ってるでしょ?」
「知っています。でも、それは私の責任ではありません」
「冷たいよ、母さん」
「冷たい? 運動会で私を邪魔者扱いし、熱中症で倒れても助けない息子に言われたくありません。あの時のことは、もういいわ。言い訳はいりません。私はもう、都合のいい母親ではないのです」
その後、二ヶ月が過ぎた。俊助夫婦は働き続けながら、なんとか生活していたようだ。しかし、疲労は蓄積し、夫婦仲も悪化していると聞いた。
ある日、渡る君から電話がかかってきた。
「ばあば、会いたい」
胸が締めつけられた。
「渡る君、ばあばも会いたいわ」
「なんで来てくれないの? ばあば、病気なの?」
「でも、渡る君のこと、いつも思ってるよ」
電話の向こうで、美津が電話を取り上げる音がした。通話は切れた。
孫には罪はない。でも、今の状況では会うことはできない。私が折れば、また都合よく使われるだけ。それは私にとっても、渡る君にとっても良くないことだ。
私は新しい生活を始めた。地域のボランティアに参加し、同年代の友人もできた。自分の時間を自分のために使える喜びを、久しぶりに感じている。もう、誰の都合にも振り回されない。これが、私が選んだ生き方だ。
あれから半年が経った。私は今、高級老人ホームのパンフレットを眺めている。退職金と貯金を合わせれば、十分に入居できる。誰にも気を使わず、自分のペースで暮らせる場所。
「長井さん、今日も陶芸教室にいらっしゃるんですか?」
地域センターの受付の方が声をかけてくれた。
「ええ、楽しみにしてるんです」
新しく始めた陶芸。不器用ながらも、土をこねる感触が心地よい。作品を作り上げる喜びは、孫の世話とは違う充実感を与えてくれる。教室には同年代の仲間が集まっている。皆、それぞれの人生を歩んできた人たち。
「長井さん、今日の作品も素敵ね」
「ありがとう。自分のために何かを作るって、こんなに楽しいとは思わなかった」
「お孫さんの世話は、もう卒業?」
「ええ、卒業しました。今は自分の時間を大切にしています」
誰も詳しくは聞かない。きっと、それぞれに事情があることを理解しているから。
ある日、俊助から久しぶりに電話が来た。声が枯れていた。
「母さん、実は……美津と離婚することになった」
驚きはなかった。予想していたことだった。
「そう」
「美津は実家に帰った。渡るも一緒に」
「渡る君も……」
「親権は美津が持つことになった。僕は週末に会えるだけ」
複雑な気持ちだった。孫に会えなくなることは寂しい。でも、これも俊助が選んだ道の結果。
「母さん、僕が悪かった。本当にごめん」
今更の謝罪。でも、私の心は動かなかった。
「俊助、謝罪はいらないわ。ただ、これからは自分の力で生きていきなさい」
「母さん、もう一度やり直せないかな?」
「無理よ。私はもう、あの頃の母親ではないの」
電話を切った後、窓の外を見た。青空が広がっている。清々しい気持ちだった。
数日後、美津から手紙が届いた。
「お母様へ。離婚することになりました。今思えば、お母様にどれだけ助けられていたか、失ってから気づきました。私の愚かな言動で、取り返しのつかないことをしてしまいました。渡るは元気ですが、時々『ばあば』と言っています。もしいつか機会があれば、会ってやってください。本当に申し訳ありませんでした」
手紙を読み終え、複雑な気持ちになった。でも、もう元には戻れない。戻る必要もない。
私は新しい趣味を見つけた。読書会への参加だ。若い頃から本が好きだったが、家族のために時間を取れなかった。今は思う存分、本の世界に浸れる。
「長井さんの感想、いつも深いわね」
読書会の仲間が言ってくれる。
「人生経験が長い分、色々と考えさせられることが多くて」
「でも、今が一番輝いて見えるわよ」
その言葉が嬉しかった。確かに、今の私は自由で充実している。
ある日、スーパーで買い物をしていると、偶然俊助に会った。痩せて、疲れた顔をしていた。
「母さん……」
「俊助、元気そうだね」
「ええ……おかげ様で」
気まずい沈黙が流れた。
「母さん、本当にごめん。あの時の僕は、人として最低だった」
「過ぎたことよ」
「でも、母さんがしてくれた全てのこと、今になってようやく分かった。仕事と育児の両立が、こんなに大変だなんて」
「そうね。大変よね。私も三十八年間、働きながらあなたを育てたのよ。その上、孫の面倒まで」
俊助の目に涙が浮かんでいた。
「僕は、母さんの苦労を何も返していなかった。当たり前だと思っていた。最低な息子だった」
「俊助、もういいのよ」
「母さん、もし許してもらえるなら、またやり直したい」
私は静かに首を振った。
「人生には、やり直せないこともあるの。でも、これからのあなたの人生は、あなた次第で変えられる」
「母さん……」
「私は私の人生を生きる。あなたは、あなたの人生を生きなさい。それでいいのよ」
別れ際、俊助が言った。
「母さん、幸せそうだね」
「ええ。今が一番幸せよ」
それは本心だった。
家に帰ると、高級老人ホームから入居案内が届いていた。来月から入居できるという。温泉付き、趣味の教室も充実、医療体制も万全。ここなら、最後まで自分らしく生きられる。私は入居申込書に記入した。もう迷いはない。
夕暮れ時、ベランダでお茶を飲みながら、これまでの人生を振り返った。苦労も多かったが、それも私の人生。都合のいい母親を演じ続けた日々も、無駄ではなかった。だからこそ、今の自由の価値が分かる。
私は今、本当に幸せだ。誰にも振り回されず、自分のペースで生きている。これが私が選んだ生き方。後悔はない。
運動会のあの日、炎天下で倒れそうになりながら場所取りをした私。救急車で運ばれても、誰も来てくれなかった私。でも、あの経験があったからこそ、今の私がある。都合のいい母親を卒業して、本当の自分を取り戻した。
これからの人生。まだまだ楽しいことが待っている。そう信じて、今日も前を向いて歩いていく。



