「ちょっとダーリン、笑ったら可哀想でしょ。本当は今日、ちょっといいところに連れて行ってくれたら、もう少し付き合ってあげてもいいかなって思ってたんだけど。今までありがとね、高卒」 十年前、大学進学を諦めて就職した俺を、元カノはそう言って笑いながら捨てた。あの日、高級レストランに一人取り残された俺は、もう二度とあんな思いはしないと誓った。…

「ちょっとダーリン、笑ったら可哀想でしょ。本当は今日、ちょっといいところに連れて行ってくれたら、もう少し付き合ってあげてもいいかなって思ってたんだけど。今までありがとね、高卒」 十年前、大学進学を諦めて就職した俺を、元カノはそう言って笑いながら捨てた。あの日、高級レストランに一人取り残された俺は、もう二度とあんな思いはしないと誓った。...

「あの、食い逃げは犯罪ですよ。ダメですからね」

十年ぶりに聞く声に、背中が冷たくなった。顔を上げると、そこには派手なドレスに身を包んだ元カノ・萌えが、高級そうなスーツの男の腕に絡みつくようにして立っている。

「あれ、ショタじゃん。なんで高卒貧乏人がこんな高級店にいるの?もしかして、食い逃げしようとしてる?」

彼女はあの頃と変わらず、ニヤニヤと笑いながら俺を見下していた。隣の婚約者らしき男も、フッと鼻で笑う。

「ちょっとダーリン、笑ったら可哀想でしょ」

萌えはそう言ってケラケラと笑いながら、続ける。

「あなたが行きたくても行けなかった経済大を出て、この歳で大手企業AIコーポレーションの部長をやってるのよ。出世街道まっしぐら。あなたとは違って優秀なの」

正直、驚いた。偶然にも、そのAIコーポレーションという会社に、俺はよく馴染みがあったからだ。

萌えはきっと、俺が大学進学を諦めたことを今でもコンプレックスに思っていると思っているんだろう。わざとその部分を強調するように話していたが、俺はそんなことよりAIコーポレーションのことが気になっていた。

「それはすごい。ところで、AIコーポレーションのどの部署なんですか?知り合いがそこで働いてるんですよ」

俺は適当な嘘をついて、そう聞いた。

「うちの会社のメインのシステム開発部です。俺は主にAIシステムの開発を担当しています」

そう答える彼。俺は心の中で、ニヤリと笑った。

そして、極めて穏やかな顔で、こう言った。

「じゃあ、僕が彼の出世の道を外してあげましょうか」

俺の言葉に、萌えと婚約者はブッと吹き出す。

「何言ってるの?小さいベンチャー企業のあんたが、どうやって彼の出世を止めるのよ。それに、いくら彼に嫉妬したからって、そんなこと冗談で言うなんて失礼だわ」

「萌えの言う通りですよ。彼女の婚約者である上に、あなたよりずっと学歴も高く優秀な僕のことが気に入らないのは分かりますが、失礼ですよ。そっちがその気なら僕も遠慮せず言いますが、僕と高卒のあなたとでは住む世界が違うんですよ。よく出世の道を外すなんて言えますね。高卒は高卒らしく、もっと謙虚になってください」

彼は立て続けにそう言うと、萌えと顔を見合わせて、またゲラゲラと下品な笑い声をあげた。

俺は2人の笑い声に負けない大きな声で、言ってやった。

「そんなに住む世界が違う僕の部下として働かないといけないなんて、本当に気の毒ですね」

2人は、何言ってるんだこいつ、と言いたげな顔でこちらを振り返った。その表情の、何ともおかしいこと。

「じ、じゃあ、上司って、あんた何言って……」

あまりに驚いたのか、婚約者が絞り出したようなか細い声で聞いてくる。

俺はフッと笑って言った。

「あなたの会社、AIコーポレーションのシステム開発部。僕も来週からそこで働くことになってまして。そうそう、確か役職は部長だったかな?」

何を隠そう、俺は来週からAIコーポレーションでシステム開発部の部長として働くことが決まっているのだ。つまり、散々馬鹿にしてきたこの婚約者は、将来俺の部下になる予定の男ということになる。

萌えと婚約者の顔が、見る見るうちに青ざめていく。

「そんなバカな……そんなわけあるわけない。だってショタはずっとあのベンチャー企業で働いてたのに。高卒であのAI市場を牽引している大企業、AIコーポレーションの部長になれるわけないわ」

萌えはかなり動揺しているようで、言葉に詰まりながらそう話す。

俺は2人を交互に見つめながら、丁寧に説明してやった。

俺が就職した会社は、時代のニーズにマッチしたこともあり、俺が入社して6、7年くらいで急激に成長を遂げた。会社が大きくなるにつれ、10人だった社員も50人、100人と増えていった。初期からいた俺は、会社の成長に伴うスピードで昇進し、30歳で部長を任されるまでになった。収入も安定し、母親の生活費や兄弟の学費も賄えるようになった。

そして半年前、AIコーポレーションからスカウトの話が来た。うちが開発した技術の特許で、開発チームのリーダーだった俺の評判がAI業界で上がったらしい。安定した今の会社に残ることも考えたが、大手企業で自分がどれだけやれるのかを知りたかったし、仲間や家族も後押ししてくれたから、その話を受けた。つまり、いわゆるヘッドハンティングというやつだ。

「まあ、つまり、来週から配属予定なのが、彼が働いているシステム開発部ってわけですよ」

俺の話を聞いている間、婚約者はしばらく呆けていたが、俺の話が終わると、今にも泣き出しそうに声を震わせながら言った。

「上、上司になる方だとは知らず、この上ない無礼な言動をしてしまいました。本当にすみません。どうか、どうかお許しください」

そう言って、何度も頭を下げてきた。

萌えと言うと、「はぁ」と大きなため息をつき、「情けない男」と冷めた目で婚約者を見ていた。

俺は「そんなこと今更言われましても、一度言われたことは忘れられないですし、何よりさっきの言葉があなたの本心であることは分かっているんですよ。先ほど言った通り、あなたの出世の道、外させていただきますね」と、にっこり微笑んだ。

それを聞いた婚約者は、黙ったまま、この世の終わりのような顔をして、萌えを連れて店から出ていった。

その後、俺は会社の上層部に、元カノの婚約者の性格に問題があること、一緒にやっていくことはできないことを伝えると、彼は部署を移動させられ、左遷同様の扱いを受けることとなった。

そして時は戻り、今。

萌えと婚約者が帰って10分ほどした時、待ち合わせ相手が小走りでやってきた。

「ごめん、お待たせ」

可愛いピンクのドレスとお揃いのハイヒール。控えめな装飾が施された小さな白いバッグを左手に持っている。彼女が席に座ろうとすると、緩く巻かれた髪が揺れ、フワッといい匂いがした。細い薬指に、ヒラリと光る指輪に目が行く。

「全然待ってないよ。そんなことより、今日も可愛いね。リナ」

俺は彼女に向かって、ニコッと笑って言った。

「いつもそんなこと言わないくせに。結婚記念日だからって、調子乗ってるでしょ」

そう言い返すリナ。そう、俺は同期のリナと、1年前の今日結婚した。今日は、初めて2人で過ごす結婚記念日だったのだ。

「いつも可愛いと思ってるよ。言葉にしないだけで。まあ、とにかく今日は俺たちが迎える最初の結婚記念日。いい思い出にしよう」

そう言う俺に、リナは「ええ、そうね。お料理楽しみ」とにっこり笑った。

その後、俺は新しい会社でも活躍し、新しい家族と幸せな家庭を築いている。やはり学歴があるからと言って成功するとも限らないし、高卒だからと言って人生がお先真っ暗とも限らない。結局大事なのは、その人自身の努力と、常に人から学ぼうとする謙虚な姿勢だ。

そのことを教えてくれたのは、父さんだったな。父さんは「常に謙虚に努力しなさい」というのが口癖で、耳にタコができるくらい何度も聞かされていた。当時は鬱陶しいと思っていたけれど、今から思えば、俺が今まで頑張って来れたのも父さんの教えがあったからかもしれない。

そう思うと、俺は今でも知らない間に、亡くなった父に支えてもらっているのだと気づく。

俺はまだまだ学ばせてくれよ、父さん。

心の中で微笑んでいる父さんに向かって、そっと呟いた。

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