「黙って聞いてりゃ随分な言い草だな。俺らが無能だ?こんな無茶な発注を取ってくるあんたの方がよっぽど無能だよ」――そう言い放った瞬間、工場の新部長の顔が真っ赤に染まった。彼女は鬼のような形相で「そんなに言うなら辞めなさいよ。使えない老害は要らないの」と吐き捨てた。40年間、汗水流して働いてきたこの工場で、俺はその場で自ら辞表代わりの言葉を叩きつけて飛び出してしまった。だが、それが全ての始まりだ…

「黙って聞いてりゃ随分な言い草だな。俺らが無能だ?こんな無茶な発注を取ってくるあんたの方がよっぽど無能だよ」――そう言い放った瞬間、工場の新部長の顔が真っ赤に染まった。彼女は鬼のような形相で「そんなに言うなら辞めなさいよ。使えない老害は要らないの」と吐き捨てた。40年間、汗水流して働いてきたこの工場で、俺はその場で自ら辞表代わりの言葉を叩きつけて飛び出してしまった。だが、それが全ての始まりだ...

「何やってんのよ。このままじゃ絶対納期に間に合わないじゃない。あなたたち図体だけは無駄に大きいけど、揃いも揃って無能なの」

俺が40年勤めた工場に、昨年、天然退職した事務方の部長の後任として金代しという女性がやってきた。社長にヘッドハンティングされてきたという噂で、きつい顔立ちながらそれなりの美人だったため、男ばかりの工場では最初はまるでお姫様のような扱いを受けていた。

だが、そんな平和な日々は長く続かなかった。金代部長は徐々にこちらの仕事ぶりに口を出すようになり、今日も事務所には彼女の金切り声が響いていた。

「ねえ、もうちょっと作業効率を上げることはできないの?先方にはもう納期を早めるって返事をしてしまっているの。タバコ休憩だなんだって、そういう無駄な時間を削ればどうにかなるでしょう」

彼女は派手なハイヒールを鳴らしながら、青筋を立てて俺たちを睨んでいる。

「そもそもあなたたち作業が遅いのよ。他の工場ならこれくらいの仕事量、当たり前にこなしてるわ。今までどうだったか知らないけど、私が来た以上、甘えたことは言わせないわよ」

体格は頭ひとつ小さい彼女だが、その迫力に気の弱い者は早くも腰が引けていた。そんな中、普段は穏やかな同僚がたまりかねて反論した。

「金代さん、そうは言っても俺たちだって必死にやってるんだ。それにそもそも急に納期を一週間早めろだなんて、さすがに無理があることくらい分かるだろう。こっちにだって各々のスケジュールがあるんだよ」

しかし彼女は鼻を鳴らして一蹴した。

「あなたたち、どうせ昔ながらのやり方だとか何とか言って変なこだわりを押し通してるんでしょう。いい?このご時世にそんなこと言ってたら、仕上がるものも仕上がらないの。分かる?」

そう言ってわざとらしくため息をつく。俺たちが時代遅れの人間だと言わんばかりの言い草に、俺もむっとして口を開いた。

「効率?効率って、俺たちは機械じゃねえんだ。それに、あんたが取ってくる仕事は全部単価が安いくせに仕事量が多いもんばっかりじゃねえか。そのせいで俺たちがどんだけ残業してると思ってんだ」

俺の言い分に、その場にいた連中も「そうだ、そうだ」と頷いた。実際、彼女が部長になってから仕事量は明らかに増えた。彼女が取ってくる発注の大半は技術どうのより数を揃えなければいけない内容ばかりで、しかも残業しても残業代は出ない。

だが金代部長は冷たい視線を向けるだけだった。

「何よ?自分たちの仕事が遅いのを私のせいにするつもり?ああ、呆れた。私が仕事を取ってくるのに毎回どれだけ苦労してると思ってるのよ。とにかく納期はこれ以上伸ばせません。あなたたちも一丁前に文句を垂れてる暇があるんだったら、その分体を動かしなさいよ。お給料分くらいはちゃんと働きなさい」

しまいには吐き捨てて俺たちを事務所から追い出した。

さすがにこれでは話にならないと、俺たちは直接社長に現状を訴えることにした。だが社長は逃げ腰でこう言うだけだった。

「だがなあ、金代君がここに来てからうちの業績は右肩上がりなんだ。そりゃ君らも多少は大変かもしれんが、彼女のやり方は間違ってない。それに…君らだってこのご時世、うちを出ていったところで他に行く当てなんてないんだろう」

最後の方は、言うことを聞かないと首にするぞという脅しに聞こえた。俺たちが黙り込むのを見て、社長は得意げに続けた。

「なあ、彼女は優秀なんだよ。君らとは視点は違うが、この工場のことも考えてくれてる。だから君らもそんなに自分たちの都合ばかり口にするもんじゃない。いいね?」

それから俺たちはどんなに改善を訴えても、労働環境が変わることはなかった。

連日の長時間労働と、何かあれば怒鳴る金代部長の圧力に、中には心身ともに限界を迎える者も出始めた。当然工場全体の作業効率は下がり、金代部長が取ってきた大量納品の案件も納期に間に合わないのは誰の目にも明らかだった。

これには彼女も焦ったのか、普段は靴が汚れるからと足を踏み入れない工場内に、派手なハイヒールを響かせて乗り込んできた。そして耳障りな怒鳴り声を上げた。

「何やってんのよ。このままじゃ絶対納期に間に合わないじゃない。あなたたち体だけは無駄に大きいけど、揃いも揃って無能なの?寄ってたかって私の顔に泥を塗って楽しいわけ?」

作業中だろうとお構いなしに騒ぐ彼女に、それまで無言を貫いていた俺もかっと頭に血が上った。

「おい、黙って聞いてりゃ随分な言い草だな。俺らが無能だ?俺らに言わせりゃ、こんな無茶苦茶な発注を取ってくるあんたの方がよっぽど無能だよ」

瞬間、彼女の顔が履いている赤いハイヒールよりも赤くなった。鬼のような形相で俺を睨みつける。

「上司に対して何て口の聞き方してるのよ。いいわ。そんなに言うなら、ここを辞めなさいよ。うちだって文句ばかり垂れてる使えない老いを雇ってるより、素直で体力があってよく働く若い人材を雇った方がよっぽどましよ。ねえ?」

それは実質的な首宣言だった。だが、それでも俺はこれ以上彼女の下で働くのは我慢ならなかった。

「じゃあ、お望み通り俺は辞めてやるさ。あんたのその金切り声を聞かなくて済むと思ったら清々する」

俺はかぶっていた帽子をはぎ取ると床に叩きつけ、引き止めようとする同僚たちの声も振り切って、40年勤めた工場を自ら出ていった。

俺の名前は末松。中学を卒業後、地元の工場で溶接工として働いてきた。気づけば溶接工歴40年のベテランだ。溶接の仕事は火傷や怪我の危険が高く、重労働で体もきついことが多いが、ただ金属を溶かし繋げて終わりではなく、美しさ、速さ、強度といった技術が求められるやりがいのある仕事でもある。俺はこのまま体が動くうちは溶接工としての人生を全うしようと思っていた。だが、そんなある日、金代しという女性が現れたのだ。

そして今、俺はその工場を飛び出したところだった。

その数日後、工場の社長から電話がかかってきた。最初は今更何だと無視しようかと思ったが、それも大人げないかと考え直し、しぶしぶ電話に出た。

「おい、どうして急に辞めたんだ。お前が勝手に辞めるもんだから、残された連中は発注をこなすのに手一杯で、さらに窮地に立たされてるんだぞ」

確かに発注を放り出す形になったことは申し訳ないと思うが、まるで全てこちらのせいであるかのような言い草に俺は言い返した。

「なぜって?それはあの優秀な金代部長にでも聞いたらどうです?最初に俺を首にすると言ったのは彼女ですよ。自分の言うことを聞かない俺みたいな老害は要らないそうですから」

電話口の社長は一瞬絶句した。だがやがて、またしても逃げ腰な返事を寄越した。

「まあ、ほら、彼女も工場のことを考えて必死にやってくれたんだろうしね。あんたも十歳以上年の離れた相手に何を向きになってるんだよ。ここは大人の余裕でも見せてくれなきゃ」

「はあ、大人の余裕?何だそれ」

あまりにも自分勝手な社長の言葉に、俺は思わず呆れた。そもそも俺たちの言い分も聞かずに無茶を言ってくるのは向こうなのに、挙げ句には思い通りにならないと分かればこちらを使えないと罵る。腹が立ったからといって、言っていいことと悪いことくらい自分で分かるだろう。

それなのに、まるで子供の喧嘩の仲裁でもするかのようにため息をつく社長に、俺は不審感を募らせていった。

社長はなおも言い募る。

「それにあんたが辞めたら、開発中のあの案件はどうなる?あれを形にするまでにうちだって相応の投資をしてきたんだ。今更辞めるだの何だの言われてもこっちだって困るんだよ」

実は俺はあの工場で、ある技術の開発中だった。3Dプリントに溶接の技術を掛け合わせたもので、完成すれば特許が取れることは確実だと、社長もかなり乗り気で俺を後押ししてくれていた。

だがその時、俺はピンと来てしまった。いかにも困り果てたように弱々しい態度を見せる社長だが、彼が心配しているのは俺のことではなく、開発途中の技術がどうなるかというその一点だけなのだ。

俺はため息をこらえ、努めて冷静な声で言った。

「俺はもうそちらの工場を辞めた人間ですので、あれは他所の会社に話を持っていきます。研究開発費のことを言われるのなら、会社同士の話し合いにしてください。それでは、長年お世話になりました」

社長には中卒の俺を拾ってもらった恩もある。だが、この頃は何かと理解し合えないことも増えた。あの工場に勤めて40年、残念だけれど、人も自分も良くも悪くも変わるのだと思わざるを得なかった。ここらが潮時だと、俺は胸の内に湧いた未練を振り切って静かに電話を切った。

時間ができた俺は、しばらくして昔の同僚に連絡を取り、会うことにした。あの工場で共に働いていた同僚は、今は家庭の事情で別の会社に就職していた。近況を報告し合った後、俺は彼にこう持ちかけた。

「なあ、俺が開発した新しい技術、お前の勤めてる会社で使ってみないか?」

「新しい技術?溶接の?」

物珍しそうな顔をして聞き返してきた同僚に、俺は一通りの説明をした。それは3Dプリントと溶接の技術を掛け合わせたもので、試作を重ねて詰めていけば特許取得も夢ではない。熱心に語っているうちに、同僚も興味を持ったらしい。

「なるほど。その件、上に掛け合ってみるよ。それにお前もあの工場を辞めたんなら、是非うちで働かないか?お前ほどの技術がある職人は早々いない。また一緒に働ければ、俺も嬉しいよ」

同僚は言葉通り、翌日には俺の件を会社の上層部に話してくれたようだ。事はトントン拍子に進み、俺はその会社に再就職した。さらに試作を重ねて磨き上げた技術については、その後無事に特許を取得することができた。

会社はその特許技術を生かした製品を開発し、瞬く間に業界内で話題となった。注文が殺到し、業績は好調だ。そして俺はなんと、社長賞をいただくことが決まった。

そんな中、今度は金代部長から電話がかかってくるようになった。何度もかかってくるので、しぶしぶ応答すると、電話口には早速あの金切り声が響いた。

「ちょっと、こっちだって暇じゃないんだから電話くらい一回で出なさいよ。何よ?忙しいアピールのつもり?そんな意味のないことに私を巻き込まないで」

名乗りもせずに文句を言われた俺は、その時点で電話を切りたくなった。だが、そうしたらまた面倒なことになりそうだったので、とにかく手短に話を終わらせようと要件を聞いた。すると彼女は何とも偉そうな口調で言った。

「ねえ、あなたどうせ他に再就職の当てもないんでしょ?だったら、うちに戻ってきなさいよ。この際、あなたが散々ひどいことを言った件については、私も水に流してあげるから」

その揺るぎない上から目線に、俺はもはや笑いそうになってしまった。

「話は分かった。だけど、それはできねえな。読みが外れて残念だが、俺はもう新しい会社に再就職してるんだよ」

「それ本当なの?」

半信半疑な様子で尖った声を出す彼女に、俺は今勤めている会社の名前を告げた。すると、相手が一瞬息を飲んだ気配がした。なぜなら俺の今の勤め先は、業界で成長が著しく、携わる人間なら誰でも名前を知っている会社だったからだ。

「疑うなら電話をかけて聞いてみればいい。確かに俺はそこの社員として在籍してるからな」

信じられない様子の彼女に、俺はそう伝え、彼女が悔しげに黙っている隙に近況を添えた。

「おかげ様で転職先ではよくしてもらってるよ。会社の業績も右肩上がりだし。ああ、この間なんか社長賞をもらってな。実は俺、新しい溶接技術の開発に成功してて、その功績が認められたんだ」

すると電話口からは、何かを伺うような様子で「そうなの?社長賞ね」という答えがあった。続いて彼女は、今まで聞いたこともないような猫なで声を出し始めた。

「やだ、それなら先に言ってくれればよかったのに。そんなこと知らないものだから、ごめんなさいね。あと、あなたには私も少し言い過ぎたと思うわ。そのことについても謝ります」

急に殊勝なことを言い出したので、俺は思わずぎょっとした。

「おい、何のつもりだ?」

口をついて出た問いに、彼女はさも傷ついたと言わんばかりに答えた。

「何のつもりって?そんなひどいわ。私、心からあなたに謝りたくて言ってるだけよ」

さらに彼女は、たっぷり間を取ってからこう続けた。

「ねえ、あなたさえよかったら、本当にうちに戻ってこない?一緒に工場を立て直して欲しいのよ。社長は頼りにならないし、私、心細いの。お願い。私を助けて」

相手の自尊心をくすぐるような物言いに、俺は恐るべき変わり身の速さだなと思いながら言った。

「あんた、この間まで俺みたいなじじいを切り捨てて、言うことを聞く若いのを雇うって自信満々に言ってたじゃないか」

「それはまあそうだけど、でもやっぱり若い子はダメね。すぐに使い物にならないんだもの。それにこのままだと工場がパンクしそうなのよ。取引先にも納期が遅れると契約を切るって脅されて…」

電話口で悲痛な声を上げる彼女。ここだけ聞けば気の毒にも思えるが、それもこれも元をたどれば、現場のことも考えず無茶な発注ばかり取ってきた彼女自身のせいではないか。少し弱々しい態度を見せたからといってどうにかなると思われているなら、こちらも随分舐められたものだ。

しかし、黙っている俺の反応をどう取ったのか、彼女はなおも甘えた細い声で続けた。

「ねえ、お願いよ。うちに戻ってきて。高い技術を持った頼りになるあなたがいれば、私も心強いもの。どうかしら。その件も含めて、近いうちに二人きりで会ってお話しましょうよ」

どこかねっとりした響きを持つその誘いに、俺は反射的に鳥肌を立てた。これはもしや、色仕掛けをされているのではないか。そう思い、俺は漏れるため息を我慢できなかった。

「あのなあ、人を軽く見るのも大概にしろよ。あの時、あんた俺に何て言ったか覚えてるか?老害だって言ったんだよ。役に立たない老いは出ていけってな」

俺の淡々とした物言いに、ようやくこれはどうにもならないと悟ったのだろう。金代部長は再び金切り声で俺を責めた。

「何よ、あんただって特許の件、私に何も言ってなかったじゃない。私が女だからってバカにしてたんでしょ。あんたたちはいつもそう、そうやって女を下に見るのよ」

妙に実感のこもった言葉に、彼女は過去に実際そういう経験をしたのかもしれないとは思った。だが、だからといって俺はその時の相手ではないし、女性だからといって彼女を馬鹿にしたこともない。

「おい、俺が言ってるのはそういう問題じゃねえ。いいか?最初に俺たちの話を聞かなかったのはそっちだ。それを今更手のひら返しされてもな」

とにかく、どんなことを言われようと俺はあの工場に戻るつもりはない。もうこれ以上は互いに時間の無駄だと判断した俺は、そのまま電話を切った。

それからしばらくして、俺は町でばったり前の工場で一緒に働いていた同僚と会った。元同僚は苦笑い混じりに、その後の話を教えてくれた。

「どうやらあれから金代部長は、諸々の責任を取らされて解雇になったらしい。見てくればかり気にして役に立たねえ若いのを連れてきて、工場をパンクさせてんだから、世話ねえよ」

金代部長は、俺や他に辞めた連中の代わりに若い人材を採用した。彼女が重視していたのは若さと見た目だけだったらしく、彼らに彼女が取ってきた仕事を捌けるわけがなかった。だが彼女は、工場がパンクする寸前になるまで気づかず、若い連中にちやほやされて得意げになっていたようだ。

「社長もなあ。聞けば金代さんを半ば無理やり部長に抜擢したらしくてさ。監督責任を問われて、結局他の役員たちからの突き上げで早々に退職したよ。それも…」

と、元同僚は声を潜めて付け足した。

「なんと、あの金代さん、どうやら社長の愛人だったんだと」

「え?」

その衝撃の事実に、俺は思わず声を上げた。驚きで目を丸くする俺に、元同僚はおもむろに頷いた。

「今まで奥さんの尻に敷かれっぱなしだと思ってたけど、あの社長と来たた…飛んだ狸だったってことだよ。けど、今回の件で全て奥さんにバレて、社長と金代さん、奥さんから訴えられてるらしいぜ。まあ、自業自得だよな」

もしかしたら、と俺は思った。社長が昔と人が変わってしまったのは、金代部長と出会ったことが原因なのではないだろうか。だが、そこまで考えて、俺は首を振った。意味のない過去の詮索より、大事なのは今とこれからのことだ。

元同僚も近々他の工場へ移るらしい。あの工場に残る者もいるそうだが、大半は今回の件で愛想が尽きて他所へ移ったようだ。互いの健康を祈りながら、また会おうと約束して別れた。

さて、俺はおかげ様で転職先にて忙しくしている。先日は社長賞をもらった俺だが、その後の会社への貢献も評価され、今度は開発部の責任者を任されることとなった。かかる責任は大きくなるが、その分新しいチャレンジもできる。何より、俺を必要だと言ってくれる場所があり、その働きを周りがまっすぐ評価してくれる。それが今はとても嬉しい。

そんな周囲の期待に応えるべく、これからも精一杯頑張ろう。俺は改めてそう誓ったのだった。

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