娘のユナが無邪気に祭団へ近寄っていく。
「こんな小さい可愛い子供を置いていくなんて。」
土胸の影でそんな声が聞こえた。
「なにパパお願い事?いいよ。ユナに何でも話して。」
私はユナの言葉にドキリとした。
「なんだい、お願い事かい?何でもパパに話してごらん。」
ユナと浩司が話をする時の口調にそっくりだったのです。
紺色のバッグ。
「あ、あった。パパ。これ。」
突然ユナが立ち上がり、こんなことをブツブツ言いながら参列者の波に入っていく。
私はユナを引き止めようとしたが、清掃の喪服が窮屈で急に立ち上がることができなかった。
「パパがこの鞄の中調べて欲しいって言ってるの。」
私は坂木まゆ子。35歳の専業主婦だ。夫の浩司と一人娘のユナと3人で仲良く暮らしている。先月、浩司の父親が病気で他界した。義父は資産家で財閥系企業の会長だったため、遺産相続の問題が勃発した。浩司が4歳の時、浩司の母親は離婚。それ以来、義父は再婚せずにここまで来たので、遺産は浩司と浩司の姉である美穂との間で分割されることになった。義父は難病を患っており、自分の命の限りを悟っていたようだ。早い段階で遺産や企業の今後について弁護士と話し合い、遺言状という形で残していた。その内容がとても信じがたいものだったのだ。
社長はこれまで社長を務めてきた義父の弟か夫に譲る。社長は浩司が次期、会社経営に関する全権を委ねる。不動産はこれまで暮らしてきた浩司が全て引き継ぐ。美穂には預貯金から不動産評価額の半額を渡す。その預貯金の残高で相続税などを賄うこととされていたのだ。
それでも現預金の余剰金が出たら、一人親家庭向けの財団へ寄付せよというものだった。筋としては間違ってはいなかった。義父の車は会社名義のものだったので遺産分配の対象にはならなかった。
それに激怒したのはもちろん義姉の美穂だった。
「なんで私には現金だけなのよ。不動産の方が明らかに価値があるじゃないの。」
長い目で見れば固定資産税や維持費などの負担で不動産をもらった方が損だ。それに私たちが暮らしている家や義父所有の不動産は私が素人目で見ても価値があるとは言いがたい土地だった。あの義父のことだ。土地に価値があれば遠い昔にマンションやら商業施設やらを建築して収益を上げていただろう。それに美穂さんは家を出ている。義兄の徹さんも義父の会社の経営に関わっている一人だが、やはりここは直系を上に押し出すべきだろう。美穂さんは結婚と同時にこの会社を辞めていなければ、経営権は美穂さんに渡っていたかもしれない。それも含めて全てが面白くないようだった。
「姉さん、この家と土地は譲ってもいいんだ。俺たちマンションを別に購入していて、そちらで暮らすつもりだったからね。」
「どうせパパのお金で買ったんでしょ。パパは浩司に甘いんだから。」
「違うよ。トール君と一緒に買った海外の事業資産の利益が出たから、それで購入したんだよ。トール君だってかなりの配当もらったはずだぞ。」
義父がそうして財をなしたように、浩司や義兄の徹さんも投資をしていた。コンスタントに浩司は利益を確定させてきたが、徹さんは違ったようだ。海外の経済状況が悪化した時に海外の事業資産は手放してしまっているとのことだった。
「そうか。もったいなかったな。不動産は、それじゃあ私がもらって、現預金はあなたたちが引き取って、あとは会社社長は浩司が適だと思うの。」
「それはどうかな?おじさんたちとも相談した上で人事を決めているからな。」
義父の会社である坂木商事さんは家族経営の会社だ。義父の兄は年齢から会長を勇退し、義父に譲っていた。一人息子の義父の弟が社長を務めてきて、義父が存命の時から浩司が叔父から経営に関することを継承してきたのだった。義兄の徹さんは取締役の役職さえついていない営業本部長職だった。この事情さえ知らないでいるくらいだから、徹さんは経営に適さないのだろう。元々義父は直系以外の家族を嫌う傾向にあったので、嫁である私はもちろん結婚当初はあまりいい待遇を受けてはいなかった。しかし孫のユナは無条件で可愛いらしく、嫁の私も少しずつ受け入れてもらえるようになったのだ。実の娘の美穂さんと結婚した徹さんには会社経営に関わって欲しくなかったのだと思う。
「徹が社長になれないならもういい。浩司があやふやなことを言ったため、美穂は怒って帰ってしまった。」
「徹が社長になれないのなら、家や土地をもらっても意味がない。それなら現金だけをもらった方がすっきりする。」
そう言って義父の遺言通り遂行することを承知したのだ。
それから数日後、家の周辺で不審火が起こり、消防車が出動する事態になったり、坂木商事の事務所に不審な電話が1時間に何十回もかかってくるようになった。ユナが通う幼稚園にもユナの安否を気遣う電話がかかってきたとかで、幼稚園側からしばらく登園は控えて欲しいと連絡を受けた。この一連の事態は浩司が叔父にも相談し、警察に届け出ると共に弁護士に対策を依頼することになった。弁護士や叔父の見解ではどうしても身内の仕業としか考えられないという。
「あまり考えたくないのですが、私もそう思っています。できれば穏便に済ませたいです。」
身内の仕業と言っても消去法で残るのは美穂さんと徹さんの2人しかいないからだ。実際、職場でも取引先との重要な契約書がなくなったり、坂木商事との契約を一方的に打ち切られたという電話もあった。その亡くなったとされる契約書はなぜか徹さんが持っていた。契約が打ち切られて困っているという会社へ社長として浩司が出向くと、井上さんという女性から電話が来て「とにかく契約を破棄する」とだけ叫んで切られたというのだ。女性という点では多分美穂さんの仕業だろう。浩司は頭を悩ませていた。
そのうち家の敷地内で不審火があり、警察も関与できないと言い出した。元々義父の家であり、その頃からセキュリティの面では万全すぎるくらいだった。敷地内に何十台も存在する防犯カメラからは、不審な女性が勝手口のゴミに火をつける場面が映し出されていた。画像の件は警察にも届け出て解析を急いでもらうことにした。
「まゆ子はユナを連れて君の実家へ帰った方がいい。落ち着くまで実家で守ってもらいなさい。」
「うん。浩司さんが心配だし、実家に戻ったところで多分同じことされるような気がするわ。」
警察からもこの家にいた方が安全かもしれないと言われたため、実家に帰る選択はしなかった。それに一連の事件について会社では一斉周知を行ったそうだ。警察に届け出ている、弁護士に法的処置を依頼していると警告したので、当分は静かだろうと浩司が話をしていた。
「そのうち美穂姉さんが犯人であることの確証を得て、警察や弁護士が動くだろう。」
「随分楽観視してるのね。でもね、だいぶ胃が痛いよ。取り締まりが厄介でも不安が流れててね、俺の年齢の若さが心配だという声もあるんだ。」
「おじ様にもう少し社長職を続けてもらうことってできないのかしら。会長兼代表取締役社長みたいな。」
「親父の意見は絶対だからね。叔父も覆せないんじゃないかな。」
そんな時、事件が起こった。浩司が会社の階段から落ちたというのだ。社員がそれを見つけて救急車で搬送したというが、頭から落ちていったらしく、私が病院へ向かった時には「心臓マッサージを止めてもいいですか」という一言だけが告げられたのだった。この言葉が何を意味しているのか十分に分かっていた。
「やめないで。絶対目を覚ますから。」
私はそんな言葉しか言えずにいた。それから落ち着きを取り戻すまでに少しの時間を要した。弁護士に付き添ってもらい、私は浩司に直接シチュエーションなどを調べてもらうことにした。警察も現場検証などを行った結果、不自然な点があると言葉を濁しながら言っていたのだ。浩司は生まれつき股関節に病気があり、数年前に人工股関節を入れている。だから浩司は階段での移動はせず、常にエレベーターを使う。それに絶対に一人では階段を使うことはなかったのだ。部下と一緒の時などはリハビリがてら階段を使っていた。それに階段を使うとすれば上りの時だけで、付き添いがいても絶対に下りの階段は使わなかった。マンションを買った理由も自宅の階段移動が大変だからだった。警察が社員に聞き取りを行った時、一人の社員が「社長は女性に呼び止められていた」と証言していたが、記憶が曖昧で確証はないと自信なさげに伝えているらしい。病院側も何か事情を知っているようで、原因に関しての回答を少し待って欲しいと言われた。
「ご主人、メンタルクリニックに通っていますか?」
浩司は私に聞くが、私が知る範囲ではそんなことはなかった。ただ浩司は私に心配をかけないよう人知れず病院に行っちゃう人だ。もしメンタルクリニックに通っていたらどうだったのだろうか。説明を求めたが答えは返ってこなかった。調べが長引いたため、葬儀は数日を置いて執り行われることになった。娘のユナは短期間でおじいちゃんとパパを失った。この物々しい雰囲気に怖がることもなく無邪気にかけ回っていた。物々しい雰囲気とは、警察が警戒のために葬儀場にいたということだ。僧侶が木魚を叩きながら読経して浩司を偲んでいる。私はユナを膝の上に抱き、喪主として非常に振る舞っていた。
「あ、ゆうな、まだお坊さんがナムナムしているから、もう少し大人しくしていてちょうだい。」
「パパ、ゆうナ、ここにいるよ。」
突然こんなことを言ってユナは立ち上がり、白い布が被せてある棺桶に寄り添った。その位置には浩司の頭があるはずだ。ユナはぴったりと耳を押し当てにっこりと笑う。
「ああ、やっぱりパパだ。ゆうナ元気だよ。」
「こんな小さな可愛い子供を置いていくなんて。」
と読経の影でそんな声が聞こえた。そしてユナの無邪気さに鼻をすする音も聞こえてきた。
「何?パパお願い事?いいよ。ユナに何でも話して。」
私はユナの言葉にドキリとした。
「なんだい、お願い事かい?何でもパパに話してごらん。」
ユナと浩司が話をする時の口調にそっくりだったのです。ユナは棺桶家にぴったりとくっついたままうんうんと頷いています。
「ユナ。」
私がユナに話しかけた時、ユナは人差し指を鼻先に立ててシーっと言った。
「紺色のバッグ?ママが持っているようなおしゃれな紺色のバッグ。あ、あった。パパ。これ。」
突然ユナが立ち上がり、こんなことをブツブツ言いながら葬儀会館の参列者の波に入っていく。
「あ、だめよ。ユナ。」
私はユナを引き止めようとしたが、清掃の喪服が窮屈で急に立ち上がることができなかった。最前列にいる美穂のバッグを見て、ユナは「パパ、これだね」という。
「ちょっと何をするのよ。」
「パパがこの鞄の中調べて欲しいって言ってるの。この言葉が何を意味してるのか、美穂姉さん分かってるよね。」
「え?」
このユナの言葉に我が耳を疑った。ユナの話した言葉は声こそはユナだったけれど、明らかに浩司が怒りに満ちた時の口調だったからだ。
「この鞄の中には何も入っていないわよ。」
「美穂姉さん、最近眠れないって診療内科で薬もらってるよね。」
もう僧侶も読経をやめている。4歳の子供が大人びた口調で何かを話している姿を誰もが息を飲んで見守っていた。
「何これ?ちょっと気持ち悪い。」
「うちの娘が気持ち悪いってどういうことですか?」
「まゆ子、話を聞いてくれ。その薬、俺のコーヒーマグに入れて飲ませたよね。マグカップは飲みかけのまままだ俺の机の上に置きっぱなしになってるよ。もう1週間も経ってるのにね。誰もマグを洗おうとしないんだよ。警察に証拠として抑えるように伝えてくれるかい?」
「あ、はい。」
私はユナの背後に夫がいるような錯覚を覚えていた。ソファーに座って股関節の都合からユナを抱っこできないので、肩を抱き寄せて包み込んでいるような格好まで想像できた。
「それで姉さん、多分姉さんがコーヒーに入れたのは眠る前に飲む薬か、気分が落ち着かない時に飲む薬だね。バッグの中に入ってるのは分かってるんだ。」
「おばちゃま、ゆうナ何でもお見通しなのよ。」
急に4歳のユナの声に戻って美穂に声をかけた。その時には美穂自身が恐慌を起こしており、苦しそうに唸っていた。
「なんだかママ、眠くなっちゃった。」
ユナは大きく息を吸うと私の腕の中で眠り始めた。ざわざわする葬儀場。誰もが白い布の掛かった棺桶と私の腕の中で眠るユナを交互に見ている。ここに参列している誰もがこの奇妙な出来事の目撃者になった。徹さんが義姉のバッグの中を改めると、市販の薬袋が2つ出てきた。
「何をするの?これがないと私。」
「お前か。浩司をあの世に送ったのは。」
美穂は肩で息を吸いながら自分の夫を見ている。この構図から明らかに美穂さんが浩司のコーヒーに薬を入れて階段に導いたことは明らかだった。
「違う。あなただって。あなたが取締役になれないって言ってたから。」
「徹君も、一連の事件とは別のところで何かしているよね。おじ様、この場では言うべきではないことは分かっているけれど、会社に損失を出しているね。その分を補填しているようだが、その金はどこから出てきたんだ?」
「以前、浩司と一緒に投資目的で購入した海外の事業の利益を当てました。」
「そして社外取締役に浩司の社長就任を思いとまるように持ちかけたのも認めるね。浩司が会社資金の使い込みをしているから調べているとまで言ったそうじゃないか。どうしてそれを。」
「浩司が次期社長になることはもう浩司が生まれた時点で決まっていたんだ。美穂が会社をやめなければ、美穂に取締役を務めてもらっていたはずだったんだが、君に会社の経営を握らせるのはやめておいて正解だったな。これだから家族経営の会社には就職したくなかったんだ。」
「こう言って、美穂が身内だと分かって恋愛関係に発展させたのは君だろう。」
「そうです。が、営業本部長としての不正経理、認めるね。」
徹さんは項垂れ、こちらを睨みつけた。
「浩司はね、それらを全て把握して是正するために動き始めていたんだよ。その矢先にこのようなことがあってね。」
徹さんと美穂さんの近くには警官が2人立っていた。徹さんは直接浩司の死には関わっていないけれど、会社のお金を使い込んでいたようだった。それを隠すために美穂さんを一人悪者にしようとした徹さんの構図も見えてきた。
「こちらの一件もすでに被害届は出している。ここに警官が来ているのは、君たちが浩司家族の生活を脅やかしたことの証拠が固まったからだよ。」
不審火やユナの身を脅やかすために幼稚園へ電話をかけたことが当てはまる。今日はそれだけではなく、浩司を殺めたことや会社の不正経理といったことまで芋づる式に明らかになってしまったようだ。もう葬儀どころではない。徹さんと美穂さんはすでに葬儀会館の外に連れ出されている。私は着物が着崩れてしまっていることも気にせず、その場で崩れ落ちてしまった。どうしてこの人たちの欲のために浩司はあちらの世界へ旅立たねばならなかったんだろう。もっともっとここにい続けられたはずなのに。私は白い光沢がある布が掛けられた棺桶を丁寧に撫でた。葬儀が尻切れトンボのままで終わってしまったが、もう出るという。最上へ向かわなければいけないということが分かってはいるけれど、まだ浩司はここにいて話を聞いてくれている。さっきのユナの振る舞いを見て気づかされた。浩司を連れて行かないでと言いたかったが、ここにはもう浩司はいないのだ。重たくなったユナを抱っこして、私は叔父の車で最場へ向かった。
あれから少しの時間が経過した。私とユナはあの家を出ることにした。浩司が相続するはずだった不動産は私とユナが相続することになった。少々問題がありそうだったので、マンションへ引っ越し、不動産などは全て売却しようということで弁護士と話をまとめたのだ。しばらく暮らせる資産は残されたが、私も働かなければだめだろう。
「ねえ、ゆうな、パパはまだいるかな?ママはパパと最後のお話できなかったんだ。」
「パパ、帰ってきているよ。」
「え?」
「ママ、もう分かってるでしょ?パパはね、ママが心配でたまらなくて、さとるちゃんになって帰ってきたよ。」
パトルちゃん。初めて聞く名前だ。近所の子でも幼稚園のお友達でもない。
「あのね、ゆうナがママのお腹の中にいる時にね、さとるちゃんと一緒に遊んでたんだよ。さとるちゃんと一緒におにぎり食べたんだよ。」
「え?」
「さとるちゃんに一緒に行こうよって誘ったんだけど、さとるちゃんはもう少し待っててねって言うから、ユナだけ外に出てきたの。」
確かに私は妊娠が分かって浩司の忘れを見ている。まだ実家の両親にもユナにも伝えていない。
「さとるちゃんはパパだよ。」
ユナはそれっきり浩司のことを一言も話さなくなった。その後、私は無事に男の子を産んだ。名前はユナの言う通り悟ると名付けた。そういえば、ユナを見ていた時、こんなこと言ってたっけ。「女の子だったらユナ、男の子だったら悟る。悟は当て字だけどな。」もちろんこれもユナには話をしたことがない。パパはちゃんとここにいるということをユナが教えてくれました。ユナとサルを大切に育てていこうと心に誓った。



