久しぶり。夜景の綺麗なタワーマンションに引っ越したの。昔のことは水に流して、遊びに来てよ。どうせまだ一人でしょ?
そう、電話の向こうで私を馬鹿にしたように言ったのは、私の夫を奪った元友人、ももかだった。
私はその誘いに乗ることにした。
「いいですよ。じゃあ、夫と子供と行きますね」
私の言葉に、ももかは驚いた声を上げた。
「え? 旦那さん?」
私は笑って頷いた。
「ええ、再婚したんです。もう一年以上になります」
慌てふためくももかを無視して、私は電話を切った。
数日後、家族を連れてももかの家を訪れた。玄関に立ったももか夫婦は、私たちの姿を見て、顔色を真っ青に変えた。
私の名前は中山咲。五歳になる息子と、一歳になる娘。そして優しい夫と四人で暮らす三十一歳の主婦だ。夫の悟は少し特殊な職業をしているけれど、とても心優しく、家族のことを何よりも大切にしてくれる。
「ごめん。今週の週末は帰れなさそうなんだ。だから、美味しいものを買ってくるよ。何がいいかな?」
職業柄、家にいる時間は他の人より短いけれど、悟は私との時間も、家族との時間も大切にしてくれる。いつも子供たちのおもちゃや、私のためにスキンケアグッズや私の好きそうな小物を買ってきてくれる。
「毎回選ぶのも大変でしょ」
そう言うと、悟は綺麗な顔で微笑んだ。
「いいんだよ。お土産を選ぶ時間も、咲や子供たちのことを考える時間だから、俺にとっては大切なんだ」
その顔に、私はいつも胸がキュンとしてしまう。離れている時間は長いけれど、悟は私が一番この人の素顔を見られているという自信を、いろんな行動や言葉で与えてくれる。
元気な息子と、最近つかまり立ちを始めた娘、そして大好きな夫に囲まれて、幸せな暮らしをしている私。けれど、ここに来るまでには、辛いこともあった。
実は、長男である五歳の息子は、前の夫との間の子供なのだ。
私は三年前に離婚した。原因は、前の夫・たけしの不倫だった。
たけしはテレビ局の制作会社で働いていて、時間の融通も効かず、家を開けることも多かった。けれど、悟とは違い、家族の時間を取ってくれる余裕など、まるでなかった。仕事が大変なことは分かっていたし、文句を言っても仕方がないのかもしれない。けれど、一緒にいる時も、いつもぼんやりしてばかりだった。
「お前がもっと料理上手なら、俺の調子も良くなって、企画もうまくいったかもな」
仕事でうまくいかないことがあると、なぜか私のせいにする。
たけしの言う通り、私は料理があまり得意ではなかった。だから、何も言い返すことができなかった。それでも、なんとか力になれないかと、それとなくアドバイスをしてみたけれど、嫌な顔をされるばかり。
夫との関係は、子供にも影響する。まだ小さい息子に、夫婦のギクシャクした雰囲気を見せるのは嫌だったから、私が我慢すれば済む話だと思っていた。
しかし、前の夫との婚姻関係は、思わぬ形で終わりを迎えることになる。
それは、友人と食事の約束があった日のこと。友人に急な用事ができて、食事の後は早々に解散することになった。
「本当にごめんね。ちー君の服も一緒に見る予定だったのに。今度また埋め合わせするから」
「大丈夫だよ。それより早く行かないと」
謝り続ける友人に、私は笑って手を振った。ちー君というのは、私の息子・ちきのことだ。友人もすごく可愛がってくれている。
家に帰る途中、私は何気なく、たけしの会社の近くを通りかかった。すると、見慣れた車が止まっているのが見えた。
あれ、たけしの車だ。
時間は夕方。まだ仕事のはずなのに、と思いながら、私は何となく車の後部座席に目をやった。
すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
たけしが、知らない女と抱き合っている。
一瞬で何が起こっているのか分かった。体が震え、涙が溢れてきた。私はすぐにスマホを取り出し、写真を撮った。
家に帰ると、息子は私の両親に預けられていた。私はリビングで、たけしを待った。
深夜、酔っ払ったたけしが帰ってきた。
「あ、お疲れ様」
「お前、どこにいたの?」
「仕事。決まってるだろ」
嘘だ。さっきまで女と抱き合っていたくせに。私はスマホの画面をたけしに見せた。
「これは何?」
たけしの顔色が一瞬で変わった。
「……見てたのか」
「どういうこと? この女は誰?」
「……悪い。でも、お前とはもう無理だと思ってた」
「何言ってるの? 私、あなたとの生活を頑張ってきたのに」
「頑張って? お前は何も分かってない。俺の仕事のストレスも、プレッシャーも。それなのに、お前は家で文句ばかり言って」
「文句なんて言ったことない!」
「お前の不満そうな顔だけで十分だよ!」
たけしはそう叫ぶと、リビングを出て行った。
数日後、たけしから離婚届が送られてきた。私は泣きながら、それを受け取った。
「ごめんね、ちき。パパとママ、もう一緒にいられないんだ」
まだ三歳だった息子は、よく分からないという顔で私を見つめていた。
離婚後、私は実家に戻った。辛かったけれど、息子のためにも、しっかりしなければと思った。
そんなある日、私はスーパーで、見たこともないくらい綺麗な男性と出会った。彼が今の夫・悟だ。
「すみません、これ、落としましたよ」
そう言って、悟は私が落とした財布を拾ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
「大丈夫ですか? 顔色が少し悪いみたいですが」
その時、私は風邪をひいていた。悟は心配そうな顔で、私の額に手を当てた。
「熱がありますね。病院まで送りますよ」
それが、悟との出会いだった。
悟は、私を丁寧に扱ってくれる人だった。彼は自分が特殊な職業であることを、最初から話してくれた。
「俺は、海外で働くことが多いんだ。だから、家を空けることが多い。それでもよければ、付き合ってほしい」
私は悟の誠実さが嬉しかった。そして、彼のことが好きになった。
私たちは約束した。必ず幸せになるって。
ちきも悟のことをすぐに好きになった。悟はちきとたくさん遊んでくれた。そして、娘が生まれた。
「悟、ありがとう。あなたに出会えて、本当に幸せだよ」
「俺の方こそ、咲に出会えて幸せだ」
そう言って、悟は私を優しく抱きしめてくれた。
「そういえば、咲。昔、お前を傷つけた相手が、今度引っ越してくるらしいぞ」
「え?」
「ももかって言うんだ。確か、咲の元夫と再婚したらしい」
「……そうなんだ」
ももか。私の元夫を奪った女。今度は、私の目の前に現れるらしい。
なんで、今更? ももかが何を企んでいるのか分からないけれど、私はもう昔の私じゃない。
ももかから電話がかかってきたのは、その翌日だった。
「久しぶり。夜景の綺麗なタワーマンションに引っ越したの。昔のことは水に流して、遊びに来てよ。どうせまだ一人でしょ?」
私は冷静に答えた。
「いいですよ。じゃあ、夫と子供と行きますね」
ももかが動揺するのが、電話越しでも分かった。
こうして、私たちはももかの家を訪れることになった。
ももかの家は、高層階の広い部屋だった。インターホンを押すと、ももかが出てきた。相変わらず綺麗な女だ。けれど、その顔は私を見た瞬間、驚きに歪んだ。
「……咲?」
「久しぶり、ももかさん。お邪魔します」
私は笑顔で挨拶し、夫と子供たちを紹介した。
「こちらが夫の悟です。そして、息子のちきと、娘のひなです」
ももかは、悟の顔を見て、固まっていた。
「……初めまして。悟と申します。いつも妻がお世話になっております」
悟が丁寧に挨拶すると、ももかは引きつった笑顔を浮かべた。
「あ、どうも……」
ももかの夫・たけしも、挨拶をしてきた。けれど、その顔も青ざめていた。
「……咲、元気そうだな」
「ええ、おかげさまで。あなたもお元気そうで」
私は微笑んだ。
「あ、上がってください。お茶でも」
ももかに案内されて、私たちはリビングに通された。ももかの家は、確かに綺麗だった。けれど、私たちの家の方が温かい。
「ご家族で住むには、広いお家ですね」
私がそう言うと、ももかは得意気な顔をした。
「そうでしょ? 主人が頑張って買ってくれたの」
「そうなんですね。ちき、ひな、ここで遊ばせてもらって」
私は子供たちを遊ばせながら、ももかと話をした。
「咲、すごく幸せそうね」
「ええ、幸せですよ。夫も子供も大好きですから」
「……そう。なら、良かったわ」
ももかが何を考えているのか、私は知らない。けれど、私はもう負けない。
帰り際、ももかが玄関まで見送ってくれた。
「また遊びに来てね」
「ええ、また機会があれば」
私たちはそう言い残して、ももかの家を後にした。
車の中、悟が言った。
「咲、平気か?」
「うん、大丈夫。あなたがいてくれて、安心するよ」
「俺は、咲と家族が大切だ。どんなことがあっても、守るから」
「……悟、ありがとう」
私は悟の手を握った。
あの日、ももかに電話で馬鹿にされた時、私は悔しくて泣いた。けれど、今は違う。私は幸せなんだ。ももかには、私の幸せを邪魔することができない。
蘭の花が好きだと言っていたあの日から、私は強くなった。
今日も、家族と一緒に、私は幸せに暮らしている。


