皆が見捨てた、骨と皮ばかりの歩く屍のような下人を、私はたった一両で買い取った。そして皆の前で宣言した。「この人と夫婦になります」と。笑い声が湧き、軍奉行は嘲るように言った。「あの男が生き返る日が来たら、私が自ら祝いの酒を届けよう」。しかし、死にかけの男の手当てをしながら、私は彼の背中の古い傷を見つめ、思った。これは下人として受けた傷ではない。そして彼がうなされる声を聞いた。「父上、証文を焼い…
「父上、私はあの死にかけた下人と夫婦になります。」 人だかりが凍りついた。道端に打ち捨てられた、骨と皮ばかりの男。歩く屍のように見えたその男を、人海の天才娘と呼ばれる雪野はたった一両で買い取り、皆の前でそう言い放った。 物語は、雪野が父・早瀬現場とともに新しい軍奉行の着任の列を眺めていた日のことから始まる。 雪野は五つの頃から、人の嘘を見抜くことに天才的な能力を発揮してきた。笑いながら物を売る商人が盗人だと見抜き、病弱な馬を偽って売りつけようとした男の企みも暴いた。人々はいつしか彼女を「人海の天才娘」と呼ぶようになっていた。 雪野が見ているのは、額の広さや鼻の高さではない。笑う時に口元と目が一緒に動くかどうか。人の話を聞く時に指先に力が入るかどうか。人の肌の下に隠れた真実を、雪野は見逃さなかった。 大通りの両側には、新しい軍奉行が若くて良い男だという噂を聞きつけた人々がずらりと並んでいた。やがて土埃を上げて白馬に乗った若い男が現れた。人見兵庫、二十四歳。きちんとした装束で背筋を正し、口元には柔らかな笑みを浮かべていた。道端の老人には自ら下馬して言葉をかけ、見物に出た子供には小銭を握らせた。人々の口からは感嘆の声が次々と漏れた。 しかし、雪野の目は違った。人見兵庫は口では笑っていたが、目は一度も笑っていなかった。老人に言葉をかける時、その瞳はわずかに上を向いていた。子供に小銭を渡す時も、視線はすでに周囲の反応を確かめていた。褒め言葉が浴びせられるたびに、顎の下の筋がわずかに強張った。 行列の脇を体格の良い武士が通り過ぎると、人々の視線がふとそちらへ流れた。その一瞬、人見兵庫の目の下に刃物のような光が閃いた。誰も気づかぬほどの深い場所から漏れ出たのは、嫉妬でも怒りでもなく、殺意であった。 雪野の指先が冷たくなった。 「父上、あの方は人の皮を被っておられますが、人を人として見る目を持っておられません」 現場は娘の袖を強く掴んだ。 「雪野、お前の読みが外れたことがないのは分かっておる。だが、表立って口にすれば我が家には災いが及ぶ。頼むから静かにしてくれ」 行列の後ろには、付け届けられた罪人たちが続いていた。最後に一人、縄につながれてよろめきながら歩く者がいた。無次郎と呼ばれる者である。乱れた髪が顔の半分を覆い、傷跡がぼろ布に染みついていた。片足を引きずり、骨が浮くほど痩せた体は、風にでも倒れそうだった。 「あれは人間か幽霊か。歩く屍が歩いておるぞ」 しかし不思議なことに、あれほど見すぼらしい姿でありながら、髪の隙間から覗く無次郎の顔の中で、鼻と顎の線だけははっきりとしていた。大きく据わった目は、血の気のない顔の中でなお光を宿していた。 哀れに思った下人の一人が、柄杓に水を汲んで無次郎に差し出した。 「ほら、これをお飲み。いくら下人と言えども、人は人だ」 その瞬間、人見兵庫が馬を巡らせた。笑みを崩さぬ顔のまま、指先だけが正確に柄杓を払いのけた。水が土に散った。 「この下人は性根が曲がっておってな。今、躾けているところだ。むやみに物を与えれば癖がつく」 口調は穏やかであったが、無次郎を見下ろす目には剥き出しの憎しみと歪んだ快楽が絡み合っていた。 雪野は息を飲んだ。あれは憎しみではない。あの下人に苦しみを与えること自体を楽しんでいる。 雪野の視線は無次郎の顔の上にとまった。見すぼらしい髪を取り除いてみれば、無次郎の骨格は下人のものではなかった。広く、くっきりと通った美骨。大きく厚みのある耳。田畑を耕して死ぬ者の骨ではなかった。何より目だ。血の気を失った顔の中で、無次郎の目だけはまだ死んでいなかった。深い井戸の底の残り火のように、世に向けた怒りが黒く焼け焦げながらも消えずに残っていた。 雪野の胸が大きく鳴った。この人は下人として死ぬような人間ではない。 行列を見物していた陶芸の師匠の娘・与田美が、無次郎と目が合うと頬をほのかに染めた。それを見た人見兵庫の顎に石のような力が入るのを、雪野は見逃さなかった。 人見兵庫は何事もなかったかのように、随身の武士に命じた。 「あの芸人に、明日から陣屋の大岩を一人で運ばせよう」 屈強な男が三人がかりで扱う岩を、あの骨だけの下人が一人で運ぶなど、武士は首をかしげたが、人見兵庫は答えを待たずに作り物めいた笑みで馬を進めた。 着任の翌日から、無次郎の食事は一日一回、他の下人たちの食べ残した冷えた粥一杯にまで減らされた。数日後にはそれさえ二日に一度となり、「この者に食べ物を与える者は無打ちとするぞ」と触れが出された。若い下人たちは無次郎が水を汲みに行くたびに押しのけ、粥を取ろうとすれば足をかけて転ばせた。 無次郎は彼らを押し返す力がないわけではなかった。拳を握ると手の甲に筋が浮き上がった。それでも、一度も手を上げなかった。 数日後、足の悪い老いた下人の常吉が、水瓶を運ぶ途中で壺を割った。人見兵庫が鞭打ちを命じた。老いて痩せた体に鞭打ちは、骨が折れることもあり得た。 無次郎が前に進み出た。 「私が割りました」 庭にいた者たちが顔を上げた。誰もが常吉が壺を割ったところを見ていたからである。常吉は震えながら無次郎を見上げた。無次郎は常吉を見ず、ただ一歩前に出て、老人の体を庇うように立った。 「嘘までつくとはな。鞭打ちに処す」 人見兵庫の口元に、ゆっくりとした笑みが広がった。 無次郎は背中を露わにして地面に伏した。すでに幾重にも重なった古い傷跡が刻まれた背中に鞭が振り下ろされるたび、肉の裂ける音が庭に響いた。無次郎は歯を食いしばり地面を掴んだ。悲鳴の一つも上げなかった。指先からだけ血が滲み出た。 その様子を、陣屋の近くで見ていた者があった。与田美である。父の使いで陣屋に立ち寄った美は、血まみれになった無次郎が引きずり出されるのを目にしたのである。美はどうしても見て見ぬふりができず、辺りを確かめてから水と傷薬を持ち出し、無次郎の脇に膝をついた。 無次郎が顔を上げると、美の頬がほのかに染まった。その瞬間、人見兵庫の視線が飛んできた。薬を当てる美の手が止まり、人見兵庫の顎に石のような力が入った。 「怪我をした下人の哀れを催すとはな。明日から運ばせる岩を倍にせよ」 二日目のことであった。無次郎は三日間、関水以外何も口にしていない体で、屈強な男三人がかりの岩を抱えた。背中の傷からは血が滲み始めていた。一歩目で膝が折れ、歯を食いしばって再び立ち上がった。二歩、三歩。腕の血管が浮き上がり、口の中で生臭いものが込み上げた。 五歩目で無次郎の口から赤黒い血が吹き出し、岩が地面に落ち、無次郎はその傍らに崩れ落ちた。指先が土を掻いたが、もう体を起こすことはできなかった。 人見兵庫は倒れた無次郎の脇腹を、鞭の先で軽くつついた。道端に倒れた獣が生きているか死んでいるかを確かめるように。 「もう使い物にならなくなったな。陣屋の外に捨てておけ。野犬の餌になるがよかろう」 下人たちが無次郎の腕を掴んでずるずると引きずり、大通りの脇に放り出した。 日暮れ時、貧しい者たちに薬を配って帰る途中の雪野が、無次郎を見つけた。侍女のお国が震え上がって止めたが、雪野は聞かず、裾が土にまみれるのも構わず膝をついた。無次郎の手首を掴むと、指先に細く弱い脈が伝わった。 無次郎の目がわずかに開いた。死にかけた瞳の中に、雪野は着任の日に見たのと同じ光を見つけた。黒く焼け焦げても消えぬ、残り火。 この人は死んでいない。 「この人を、私が引き取ります」 見回りに出ていた人見兵庫が馬を止め、嘲るように笑った。 「一両でよかろう。死にかけの体だが、これでも高く見積もってやっているのだぞ」 現場が慌てて割って入ったが、雪野は腰の小判箱を解いて、お国に渡した。 「これを質に持っていき、一両に変えて参れ。急いで。人の命を買うなら、一銭でも安いものです」 雪野は金だけを渡さなかった。陣屋の奉行所と村の名主を証人に立て、正式な証文を作らせた。無次郎に対するあらゆる所有権と処分権が雪野に移り、一度限りの証文であり、元の主がいかなる理由でも再び連れ戻すことはできないという一文まで加えさせた。人見兵庫は、どうせ三日と持たずに死ぬものだと思い、気にも留めず証書に判を押した。 嫁入り前の娘が男の下人を屋敷に置くことなどできぬと父が言うと、雪野は父と見物人たちを順に見回し、はっきりとした声で言った。 「それならば、私はあの歩く屍の下人に嫁ぎましょう。死にかけの命一つを我が家で生かすことを、誰が恥と申せましょうか」 … Read more