「これ、退職届け80人分。骨だけの女はみんな無理って」…
「これ、退職届け80人分。骨だけの女はみんな無理って」 え? 慌てて封筒を一つ一つ確認する。確かにそれは退職届けだった。 「会社を潰したくなければ、即刻副社長を社長に指名しなさい。そうすれば俺たち2人で社員を説得してあげますから。新社長とは違い、俺たちには人望があるからな」 2人はこうやって騙せば私が泣いてすがりつくと確信しているのだろう。しかし私は無表情のまま書類を眺めた。 その翌日のこと。会社に出社した途端、社員が慌てふためきながら土下座した。皆、口々に「この会社に残りたい」と訴える。彼らを無視して私は社長室へと向かった。すると次は西島と村田が駆け込んでくる。 「社長、昨日は大変失礼しました」 真っ青な顔で土下座する2人。彼らが考えを変えた理由は察している。 「どうせ新聞を見て自分たちの言動に後悔したんですよね」 そう告げると2人は目を泳がせた。 私は森岡強化。精密部品メーカーの経営企画部で働く41歳だ。この会社はかつて祖父が立ち上げ、現在は父が社長を務めている。主な事業内容は自動車や航空機向けの部品製造だ。 私は昨年まで別の会社に勤務していた。父の元で働くとなると、周囲からは「コネ入社」だと思われる。「社長の娘だから」と色眼鏡で見られる可能性が高かった。それを恐れ、自分の実力でキャリアを築くと決めたのだ。 就活時、最初は私の考えに戸惑っていた両親も、話し合いの末納得してくれた。 「強化なりに自分で頑張りたいんだろう。素晴らしいじゃないか。お前ならきっと大丈夫だ。応援している」 「お父さん、ありがとう」 その後は希望していた会社に就職し、私は順調に経験を積んでいた。しかし、仕事を通じて徐々に気持ちが変わっていく。私は父の会社と近しい業界で働いていたのだが、日本の精密加工技術のレベルの高さに驚かされることが多々あった。繊細かつ緻密で、世界的にも高い評価を得ている。そんな技術をもっと広められたらと思うようになったのだ。 「私なら父の会社の職人たちの技術をどう売り込むか」 今も経営状況は悪くないものの、もっと伸びてもおかしくない。これまで培ってきた経験をもとに、私が会社のためにできることがあるのではないか。気づけばそんなことまで考えるようになっていた。 そして父にどう切り出そうか悩んでいたある日、転職を決意する出来事が起きる。母が病気で亡くなったのだ。彼女を失ったことをきっかけに自分の将来について考え直した父から、「うちの会社に来ないか」と提案を受けた。 「教科には自分で選んだ道を歩んで欲しいという思いもある。だが、お前が一緒に働いてくれたら俺も安心できるんだ」 父は昔から仕事熱心で真面目な性格。何があろうと弱音を吐くことはなかった。そんな強い彼がここまで弱るなんて。私は転職を考えていたことを告白し、父の会社に就職すると決めた。 「今までお父さんは私がやりたいことを応援してくれた。だから次は私がお父さんの力になりたい」 「ありがとう。強化ならきっとうちでも活躍してくれるだろう。期待している」 ほっとしたのか、父が表情を明るくする。彼の期待に答え、会社をさらに発展させたい。その一心で私は40歳という節目で精密部品メーカーに転職したのだった。 そして今、前職の経験を生かし、経営企画部で野心を胸に邁進している。ただ、私は本社にいるわけではない。できるだけ現場に足を運び、自分の目で品質チェックや改善に取り組んでいる。 「おはようございます。今日のラインの稼働状況はどうですか?」 「問題ありません。強化さんは現場の声をよく聞いてくれるから助かってますよ」 私の問いかけに歯を見せて笑う大野。彼は工場長で優秀な職人だ。父からの信頼も厚く、他の社員からも慕われている。大野は現場の状況を全て把握しているため、私としても頼りになる存在だ。 「また何かあったらすぐにご報告ください。こちらも即座に対応しますので」 その後、私は他の職人にも声をかけ、現場の進捗率や不良率などを確認した。今回も計画通りに進んでおり、ほっと胸を撫で下ろす。私は大野だけでなく、他の職人ともいい関係を築こうとこまめにコミュニケーションを取るようにしている。とはいえ、まだ職人らの信頼を勝ち取ったとは言いがたい。「コネ入社の社長令嬢に何ができるんだ」と私を疑いの目で見る社員もいるのだ。だからこそ現場を見て回り、具体的な経営方針や計画を決めていった。信頼してもらうには仕事で成果を出すしかない。必ずやいつか職人らにも認めてもらい、父の後を継ぎたいと考えていた。 「今日は仕事には慣れてきたか」 父は私を心配してか、時折声をかけてくれる。厳しい指導を受けることもあるが、彼の目はいつだって優しい。 「机上の空論だけでは経営は成り立たない。今後も現場を大切にするのを忘れるなよ」 「もちろん。現場の職人さんからも色々なことを学んで生かしていこうと思う」 「その意気だ。頑張れよ」 祖父の代から働いている職人も皆、父を認めている。それだけ経営者として優秀なのだろう。私は父の背中を追いかけ、毎日懸命に仕事をこなしていた。 だが、私が現場を歩き回ることをよく思っていない社員もいる。 「森岡さん、今日もまた工場に遊びに行ってたんですか? そんなに現場が好きなら工場で働けばいいのに」 副社長の西島翔吾が口元を歪める。彼は私にだけ聞こえる声量で呟いた。 「社長の真似なんてしたって無駄ですよ。あなたは社長ほど職人たちに好かれてませんから」 どうも西島は私がコネを使って転職したと思っている。長年父の会社で働いてきた彼からすれば、突然現れた社長令嬢が出しゃばってきて不快なのだろう。私が入社した時から西島は明らかな敵意を向け出していた。 「副社長、これからよろしくお願いいたします」 「悪いですけど、俺はあなたを認めてませんから。こんな女を会社に入れるなんて、社長も何を考えているんだか」 ブツブツと不満をもらし、嫌味を言う。西島は副社長ゆえに、ゆくゆくは自分が社長になると考えていた。実際、仕事においては優秀で、西島が次期社長だと噂する人もいるほど。ただ、私が入社したことで彼の将来設計が狂ったようだ。 「社長からどう聞いてるか分かりませんが、娘だからって簡単に後を継げるとは思わないでください」 西島はその後、私を見かけるたびにストレスを発散するかのごとく侮辱してきた。悪口を言われるだけならまだいいけれど、彼は私の仕事までも妨害してくる。 「何ですか、この提案書。まともなものを出してください。これだからコネ入社の社員は嫌なんだよ」 ある日、書類を手にこれ見よがしにため息をついた西島。彼が持っていたのは私が作成した業務改善提案書だった。目を通した結果、こんなものは採用できないと考えたらしい。 「私なりに現場の社員たちの声を聞いて作成したものです。どこに問題があったか、具体的に教えていただいてもいいですか?」 私は問題のある箇所を指摘してもらい、修正したかった。しかし西島は不満げな顔をしたまま書類を破棄する。 「ダメなところ? そんなの全部だよ。あなたみたいな素人が考えた提案なんて採用するはずがない」 「その説明では私も納得できません」 「一社員が副社長に逆らうんですか? … Read more