「私としてみない?」――見合いの席で、上目遣いにそう言われた瞬間、俺の頭は真っ白になった。7年ぶりに本社へ戻り、隣に住む美しい未亡人・千砂子さんに紹介されて仕方なく受けた見合い。まさか、その相手が彼女だとは思わなかった。だが、彼女にはずっと好きな人がいると聞いていた。なのに、なぜ俺にプロポーズを?…
俺は長瀬徹、42歳。長い独身生活が続き、恋愛からは遠ざかっていた。いつの間にか結婚願望も薄れ、このまま枯れた人生を歩んでいくのかと思っていた。 そんな俺の前に、一人の美しい未亡人が現れた。彼女こそ、俺の人生を大きく変える存在になるとは、この時は知る由もなかった。 7年ぶりに本社へ戻る俺を、空港まで迎えに来てくれたのは同期の哲也だった。入社当初から切磋琢磨してきた、20年の付き合いになる親友だ。 「徹也、久しぶりだな。わざわざ休みなのにありがとう」 「ああ、いいってことよ。それより徹、どうしたんだ、この腹は」 哲也は呆れたように俺の腹をつまんだ。 「ちょっと会わないうちに貫禄つきすぎだろう」 「いや、面目ない。食べすぎ飲みすぎがたたってな」 「しっかりしろよ。お前まだ独身なんだから。のんびりしてないで、そろそろ相手を見つけないと」 42歳になっても独身でいることに焦りもない俺を見て、哲也はため息をついた。 「結婚はもう無理だろうなって、半分諦めてる」 「それより徹也はすごいな。7年経っても体型維持してて」 「これでも一応努力してんだよ。走ったり、飯に気を使ったりって」 「料理は嫁さんが作ってくれるんだろ?」 「まあ、俺の話は置いといて。よし、行くか」 哲也の車で向かった先は、俺がこれから住むアパートだった。7年前、転勤する前に住んでいたアパートにはもう戻れない。あそこには、当時付き合っていた彼女と住んでいたからだ。 転勤が決まった日、一緒に来てほしいと勇気を振り絞ってプロポーズした。だが彼女は首を横に振った。結局、そのまま別れてしまった。今頃きっと、誰かと結婚して幸せな家庭を築いているだろう。 一方、俺は浮いた話も一切なく、仕事だけしていたらあっという間に42歳になっていた。独身の寂しさは否めないが、今更出会いがあるとも思えない。何より、こんな腹の出た中年に興味を持つ者なんていないだろう。 アパートに着くと、哲也が鍵と引っ越しの挨拶用の菓子折りをくれた。 「ほら、引っ越しの挨拶の時に渡せ。買う暇なかっただろう」 「徹也、ありがとな。俺、お前と結婚したかったよ」 「ああ、バカ言ってないで早く降りろ。明日から仕事なんだぞ」 俺は哲也に押し出されるように車から降りて、すぐに隣の部屋へ引っ越しの挨拶に向かった。 「すみません。隣に引っ越してきました」 インターホンに向かって話している途中でドアが開く。この時は、まさかその先に出会いが待っているなんて思ってもいなかった。 「はーい」 中から出てきたのは、大人の色が漂う美しい女性だった。 「あ、初めまして。今日から隣に住みます、長瀬徹です」 上ずる声で挨拶すると、彼女はなぜか意味ありげに微笑んだ。 「原田千砂子です。私も最近引っ越してきたばかりなの。よろしくね」 うっとりするような上品な笑顔に、急激に心拍数が上がる。 「あ、そうなんですか。偶然ですね」 「そうね。せっかくだから、偶然ついでにお茶でもいかが? 今ちょうどコーヒーを入れようと思っていたところなの」 「え、いいんですか? じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」 緊張しながら部屋に上がると、千砂子さんはとても気さくな女性だった。初対面だというのに全く壁を作らず、それでいて絶妙な距離感で人に気を使わせない。俺は一瞬のうちに、彼女の人柄に心を掴まれた。 お茶を飲みながら話しているうちに、彼女が45歳で俺より3歳年上だと分かった。 「45歳、全然見えないです。年下だと思ってました」 「あら、嬉しい。でも長瀬さんも年の割には若く見えるわよね」 「なんていうか、針があって鋭そうな感じってことですか? この腹とか」 俺が腹をポンと叩いて見せると、千砂子さんはたまらず吹き出した。 「そうね。確かに。でもいいんじゃない? 大らかで優しく見えるし。私は好きよ」 彼女の思いやり溢れる言葉が、俺を優しく包み込む。素敵な人だな。何年かぶりに、誰かに恋する気持ちを思い出しつつあった。 「あの、千砂子さんは一人でお住まいですか?」 勇気を振り絞って尋ねると、彼女は笑顔で答えた。 「え、恋人とかはいないわ。10年前に旦那をなくしてから、ずっと一人よ」 予想もしていなかった返答に驚いて、俺はとっさに頭を下げた。 「すみません。余計なことを」 「いいのよ。謝らないで。もう10年も前のことだから。寂しくないって言ったら嘘になるけど、一人でいるのには慣れたわ」 「そうですか」 「それに安心して。恋ならちゃんとしてるから」 またしても予想外の答えに、思わず言葉を失った。千砂子さんには、思いを寄せている人がいる。始まりかけた俺の淡い想いは、あっけなく崩れ去った。 … Read more