父の葬儀の朝、スマホが震えた。画面には、あの上司の名前。出なければ、また怒られる。仕方なく出ると、第一声がこれだった。「おい、ジジイの葬儀ごときで仕事を休むな。首にするぞ」正社員として働き始めて半年、ベンチャー出身の俺は大企業のエリート上司にことあるごとに馬鹿にされてきた。父はこの会社の会長だったなんて、誰も知らない。俺は震える手でこう言った。「わかりました。そのように社長にお伝えしますね」…
父の葬儀の朝、スマートフォンが震えた。画面には、あの上司の名前。出なければ、また面倒なことになる。仕方なく通話ボタンを押すと、ねっとりとした声が耳に流れ込んできた。 「おい、今何をやってるんだ」 「連絡した通り、今日は父の葬儀です」 「はあ? ジジイの葬儀ごときで仕事を休むな。首にするぞ」 その言葉を聞いた瞬間、長い間溜め込んできた何かが、はっきりと音を立てて切れた。 俺の名前は小野幸介。この春から、この大手企業でシステムエンジニアとして働き始めた。物づくりが好きでプログラミングの専門学校に進み、卒業後は地元のベンチャー企業に入社した。人数の少ない会社だったから、コードを書く傍ら、ディレクターのアシスタントや採用業務まで幅広くこなしてきた。その経験を買われて、今回の転職が決まったのだ。 転職先は大規模な事業を複数持つ企業で、これまで外注していたシステム業務を本格的に内製化することになり、中途採用で多くのエンジニアが集められていた。入社初日、デスクでパソコンをセットアップしていると、隣の社員がにこやかに話しかけてきた。 「小野さん、よろしくお願いします。僕は松原と言います。何か分からないことがあったら、ひとまずは僕に聞いてください」 「松原さんですね。よろしくお願いします」 「いやあ、ベンチャー出身ってすごいですよね。ポートフォリオも拝見しましたよ」 「そんな、全然まだまだです」 そうして気さくに話していると、背後から革靴の音が聞こえてきた。 「松原さん、さっきから何をこそこそ話しているんですか?」 振り返ると、開発チームのチーフである山田さんが立っていた。細い目をさらに細めて、こちらを睨んでいる。 「疑問があるなら、チャットツールで話せばいいでしょう。そんな時間があるなら、開発を進めてください」 「ああ、山田さん、すみません」 松原さんが慌てて頭を下げる。俺もそれに倣った。山田さんはチーム全体に怒号を飛ばしながら、奥の自分のデスクへ戻っていった。 チャットツールの設定が終わると、すぐに松原さんからダイレクトメッセージが届いた。 「さっきのことなら気にしなくていいですよ。山田さんはいつもあんな感じで、周りも知らんぷりしてるんです」 話を聞くと、山田さんは大企業の開発職を渡り歩いてきた人物らしい。数年前にこの会社の開発部門として採用されたが、事業部の関係で別部署に配属され、長らく開発業務ができなかった。そして最近ようやく開発部に戻ってきたかと思うと、これまでの苦労を盾に幅を利かせ始めたのだという。自分に従わない人間を蔑ろにしたり、若いエンジニアを捕まえては延々と昔話を聞かせたり。周りはすっかりうんざりしていた。 昼休み、トイレの場所を探していると、廊下で山田さんの井戸端会議が聞こえてきた。 「あの小野ってやつ、本当に大丈夫なのか? ベンチャーなんて、ただ年の近い仲良しグループの集まりだろ。学がないから、そこしか入れなかったんだよ」 腹が立った。だが、今ここで飛び出していけば、余計な角を立てるだけだ。どこにでもこういう人間はいる。そう自分に言い聞かせて、俺は心の中で決意した。 絶対に成功して、見返してやる。 それから俺は、以前より一層気を引き締めて働いた。入社から半年が過ぎ、取引先に常駐してシステム開発を進めるようになった。本社に戻ってきたのは数週間ぶりのことだ。 「山田さん、お疲れ様です。常駐先での交通費の申請は、どのように進めれば良いでしょうか?」 山田さんは不機嫌そうな顔で吐き捨てるように言った。 「私がエンジニアになった頃は、交通費なんてなくても仕事ができただけで有り難かったですがね」 「そうでしたか。ですが、面接の際に会社が負担すると社長から伺いました」 「はあ、そうですか。じゃあ、社長に確認しないといけませんね。内線繋ぐので、デスクに戻ってください」 え、社長に内線? 俺が驚いているうちに、山田さんはすぐに電話を繋いでしまった。慌てて受話器を受け取ると、社長の苛立った声が聞こえてくる。 「なんだ、これから大事な会議があるというのに」 「すみません、緊急の内容ではございません。交通費の申請で」 「交通費? そんなの山田に聞いてくれればいいだろう。彼が緊急の報告があると言うから受けたのに、人の時間を何だと思ってるんだ?」 「いえ、申し訳ございません」 俺が電話の傍らでちらりと見ると、山田さんはもういない。俺は、山田さんのせいで思わぬ大目玉を食らってしまった。松原さんに愚痴を聞いてもらい、なんとか気持ちを収めたが、これをきっかけに山田さんの俺への当たりは強くなった。挨拶は無視され、仕事中も休憩に行くふりをしながら、何かと画面を監視されている気がする。ある日は、閉まっていた書類がデスクの上に散乱していたこともあった。 「うわ、汚いデスクだなあ。仕事ができないのが丸分かりだ。部屋も汚いんだろうなあ」 山田さんが鬼の首を取ったように騒ぐので、職場の雰囲気も悪くなっていった。俺の書いたコードをレビューしながら、また始まった。 「こんな読みにくいコード書いたの誰だよ。ベンチャーでバリバリやってたんじゃなかったのか?」 「ですが、これはこういう仕様で、山田さんも承認されたはずです」 「そんなこと聞いてないんだよ。ごちゃごちゃわけのわからないこと言って、自分の行動が説明できないくらいなら、書類の片付けでもやってろよ」 そんな調子で、案件は一向に進まなかった。そんな時、山田さんの案件でトラブルが発生した。オフィスは朝から騒がしく、現場は状況の確認に追われている。山田さんが汗を流しながら、チームのメンバーに告げた。 「この案件には小野君も携わっている。従って、彼も客先に謝罪に行かなければいけない」 「え、僕は最後の部分の修正をしただけですが」 「それが携わっていると言うんだ。つべこべ言わずについてこい」 仕方なく取引先に付いていくと、山田さんはクライアントの前で、自分のミスを俺に押し付けた。 「この度は、私の監督不行き届きのせいで誠に申し訳ありませんでした。小野君、謝りなさい」 俺は連日のことで疲れ果て、もう怒る気力も残っていなかった。 帰社後、スマートフォンを開くと、不在着信が溜まっている。宛先は妻からだった。 「あなた、今どこにいるの? すぐに病院に来て」 … Read more