朝8時、健診センターで最初の受診者を迎える前に、私は廊下で偶然、日本を代表する大企業の会長が搬送される姿を目にした。全国の大学病院を回っても原因不明。名だたる専門医が束になっても、病名すら言えない。私は壁際に隠れて、たった30秒だけその会長を観察した。そして、ある異変に気づいてしまった。上司の加藤部長に伝えると、彼は冷笑した。「あんたは健診医だろう。血圧を測るのが仕事だろう」。だが、引くに引…

午前8時、健康管理センターの廊下はすでに受診者の列で埋まっていた。 白い診察衣に袖を通し、診察室の椅子に腰を下ろすと、主任看護師の山川裕子が受付票を差し出しながら言った。 「山田先生、本日は230名です」 「分かった。今日も一人ずつゆっくり見ていこう」 最初の受診者が入ってきた。中年の男性で、建設会社の営業部長だという。俺は検査表に目を落とす前に、まず彼の歩き方を見た。右足をわずかに引きずっている。椅子に腰を下ろす動作も、左手で肘掛けを強く握って支えていた。 「腰、お辛いですか?」 「え? ああ、いや、大したことはないんですけど」 「無理せず、後で整形外科をご紹介しますよ」 検査表には「異常なし」と書かれている。俺はカルテに一言だけメモを添えた。 俺の名前は山田悟。42歳。この総合病院の健康管理センターで企業検診を担当している。胸部レントゲン、心電図、血液検査。毎日、同じような数字と画像を見続けている。だが、受診者の歩き方、表情、話し方、指先の震え、視線の逃げ方。そのすべてを見て初めて、その人を見たことになる。これは恩師から叩き込まれた習慣だった。 昼休み、休憩室の前で脳神経内科部長の加藤正雄と顔を合わせた。 「いやあ、山田先生、今日も健康な人を見るのは楽でいいね」 嫌味は毎度のことだ。俺はコーヒーを注ぐ手を止めない。 「うちは今、原因不明の症例で徹夜続きだよ。健診医は病気を治す医者じゃないから、そういう苦労は分からんだろうけどね」 「ええ、加藤先生方のお仕事には頭が下がります」 「分かっているならいい」 加藤は肩をすくめて診療棟へ出ていった。俺はまた診察室へ戻る。院内では俺のことを「健康診断しかしていない先生」と呼ぶ者もいる。陰口も、面と向かっての言葉も、耳にはいくらでも入ってくる。それでも俺はこの席を離れるつもりはなかった。健診こそ、未来の命を守る最前線だ。その信念だけは誰にも譲れなかった。 午後の診察が始まってしばらく経った頃、西田という名前の受診者が診察室に入ってきた。年一回の定期検診で、本人は至って元気そうに笑っている。 「先生、今年もお願いしますよ。俺、酒だけは減らせなくてね」 「分かりました。まず少しお話を伺いましょうか」 血液データも心電図も大きな異常はない。数字の上では健康そのものだ。俺は西田の顔をじっと見た。左右のまぶたの開き方がわずかに違っている。右目の上まぶたが、ほんの1ミリほど下がっているように見えた。 「西田さん、最近、物が二重に見えることはありませんか?」 「え? ああ、そういえば夕方になると少し。年のせいかと思ってましたけど」 「お仕事、最近忙しいですか?」 「まあ、忙しいですけどね。夕方になると、なんだか声も出しにくくてね。営業なのに、まったく困ったもんですよ」 俺は検査表を閉じた。 「西田さん、念のため、神経科で精密検査を受けていただけませんか?」 「え、そんな大げざな。ただの疲れでしょう」 「大げさじゃありません。早く調べた方がいい病気があるんです」 西田は不満げな顔をしたが、俺の表情を見て、最後は頷いた。 一週間後、脳神経科から報告書が回ってきた。病名は重症筋無力症。早期発見のおかげで、治療は速やかに始まったという。 「先生、また命を一人救いましたね」 「救ったのは治療した神経内科の先生方だよ」 「そういうことじゃないんです。先生は検査じゃなくて、人を見てますよね。数字が正常でも、先生はその人の顔をずっと見ている。他の先生はみんなモニターしか見ないのに」 「昔、そう教わったんだ」 俺は引き出しの奥にしまってある万年筆に指先で触れた。黒崎竜二。俺に医師の道の本当の意味を教えてくれた恩師の名前だ。検査データは嘘をつかない。ただ、検査だけでは人は救えない。患者の人生を見ろ。若い頃、何度もその声を聞いた。その言葉は二十年経った今も、俺の背骨のように残っている。 「先生、コーヒー入れましょうか?」 「ああ、頼む。濃い目で」 山川が診察室を出ていく。俺は万年筆をそっと胸ポケットに戻した。 その日の夕方だった。病院内がいつもとは違う空気に変わった。廊下を歩くスタッフの足音が速くなる。診療棟の内線電話が鳴り続けている。救急搬入口には黒塗りの車が横付けされていた。俺は健診センターの窓からその様子を眺めていた。山川が慌ただしく戻ってくる。 「先生、大変です。立花ルーディングスの会長がうちに搬送されたそうです」 「立花会長か」 「はい。全国の大学病院を回っても原因が分からないまま、状態が悪化しているって。極秘扱いだそうです」 「そうか。分かった」 立花氏の名前は俺も新聞で何度か目にしていた。戦後の日本経済を支えてきた大企業の会長。それだけの人物が、原因不明のまま搬送されてきた。事態はよほど深刻なのだろう。 「病院長が加藤部長を中心に総力戦だと、各科のトップが集められています」 「健康管理センターには声はかかっていないと」 山川は言いにくそうに目を伏せた。俺は小さく頷いた。 「そうか。まあ、当然だな」 「先生、気にしないでください」 「気にするな。俺たちは俺たちの仕事をしよう」 山川が診察室を出ていく。俺は少し考えて、白衣のまま席を立った。一階の中央処置室の脇にVIP用の廊下がある。そこを通れば、搬送された会長の姿が一目だけ見えるはずだった。廊下の角に立ち、俺は目立たないように壁際による。ストレッチャーが押されてくる。立花氏は意識ははっきりしているように見えた。自分の足で椅子に移ろうと、看護師の手を借りて立ち上がる。 その瞬間、俺の視線が止まった。 … Read more

24 August 2026

保育園の迎えで定時に帰る私に、部長は毎朝こう言った。「お前はお荷物だ。母がそんな教育をしたから、娘のお前も社会のゴミになるんだ」。私は何も言い返せなかった。5歳の娘を抱えて、ただ黙って頭を下げるしかなかった。それが3年間も続いた夜、一冊の古いノートを見つめた。10年間、私はこのノートに全てを書いてきた。取引先の担当者の腰の痛みも、社長の命日も、納期の調整も。誰も知らない、数字に現れない信頼の…

小持ちの背中に、また嘲笑が突き刺さる。 定時で帰る女に払う給料は1円もない。 営業本部長の剣持誠一が、朝礼の壇上から美王を指さして吐き捨てた。500人の社員が整列するフロアに、乾いた笑いが波のように広がる。 美王は品質保証部の隅で、静かに頭を下げただけだった。反論はしない。5歳の娘・七を保育園へ迎えに行くため、彼女はいつも定時で会社を出る。その背中に「お荷物」という見えない札が貼られて、もう3年が過ぎていた。 誰もが彼女を不要な人員だと信じて疑わない。けれど、この日から数えて2週間後、美王が最後に残したたった一言で、この500人は例外なく凍りつくことになる。今はまだ、それを知るものは誰もいない。 公和精密は従業員500人を超える精密部品メーカーだった。創業40年、航空機から医療機器まで、精度を問われる部品を作り続けてきた会社だ。美王の朝は誰よりも早く始まる。出社時刻の1時間前に会社に着き、各部署の机を回って前日の伝票の食い違いを一つずつ直していく。それは頼まれた仕事ではない。放っておけば必ず誰かが困ると知っているからだった。 「高橋さん、また早いですね」 新人の南しおりが声をかけると、美王はいつも同じ言葉で笑う。 「信頼はね、1日じゃ気づけないのだから、1日でも手を抜けないのよ」 それは美王に仕事の心を教えてくれた亡き母の口癖だった。美王のデスクには、角のすり切れた一冊の古いノートがある。表紙には何も書かれていない。中身は誰にも見せたことがなかった。そのノートには、美王が10年かけて書きためた、取引先ごとの人の事情と信頼を築くための細かな覚え書きがびっしりと刻まれている。数字には決して現れない、人の記録だった。 定時になると、美王はきっちり手を止める。 「お先に失礼します」 その瞬間、剣持の嫌みが決まって背中を追いかけてきた。 「お荷物はいいよな。俺たちが残業してる横で、堂々と帰れるんだから」 美王は振り返らない。保育園の門が閉まる時刻は、会社の都合を待ってくれないからだ。彼女は今日も、小さな手を握るために駆けていく。その背中を、しおりだけが不思議そうに見送っていた。美王が走り去った後の静かなデスクで、しおりは一つの疑問を胸に抱いた。あの人は一体、何者なのだろうと。 公和精密の売上の実に6割。それを一社が支えていた。大手電気メーカー、テクノアークである。従業員1万人を超える巨大企業との取引は、公和精密にとって会社の命綱そのものだった。剣持はこの取引先を自分の手柄のように語るのが常だった。 「テクノアークとの関係を築いたのはこの俺だ。営業の力だよ」 会議の度に剣持はそう胸を張る。社員たちは感心したように頷いた。だが美王はその言葉を静かに聞き流すだけだった。実のところ、テクノアークの品質窓口を10年近く一人で担ってきたのは美王だ。彼らの要求する検査基準は業界でも異常なほど厳しい。表面に現れない微細な交差、書類にならない現場同士の口約束を、美王は毎日手作業で擦り合わせ、成立させ続けてきた。1ミクロン単位の誤差を巡る交渉を、美王は何百回と繰り返してきた。その度に先方の担当者と膝を突き合わせ、落とし所を丁寧に見つけ出してきたのだ。剣持がテクノアークの担当者と直接話す姿を、美王は一度も見たことがない。契約の場に剣持が出たこともない。なのに彼はいつも「自分がまとめた」という。美王は違和感を胸の奥にしまい、口には出さなかった。指摘したところで届く相手ではないと知っていたからだ。 契約更新の季節が近づいてきた。テクノアークとの取引は3年ごとに更新される。今回の更新額は、公和精密の年間売上の半分を超える規模だった。剣持は「自分の手腕でまとめる」と豪語してはばからない。だが美王は、その更新書の一項に刻まれた一文を誰よりもよく知っていた。「品質責任者 高橋美王 指名」の情報だ。テクノアークは部品の品質を保証する人間を、会社ではなく個人で指名していた。それは美王という一人の人間への信頼だった。5年前の大規模トラブルをたった一人で納めた女。和田社長はその誠実さを、契約書という形で永久に刻んでいたのだ。美王はノートを開き、更新記述を静かに確認する。ページには日付と取引先ごとの細かな覚え書きがびっしりと並んでいた。 「和田社長、明日は臭。花を手配。先方の田口さん、腰痛。納期を3日後ろに調整」 数字には決して現れない、人の事情の記録だった。美王はこのノート一冊で、テクノアークとの信頼を10年築いてきた。だが最近、剣持の様子がおかしい。更新を前に、彼はしきりにコスト削減を口にするようになっていた。 「品質保証なんて非効率だ。もっと削れる」 美王は黙ってその言葉を書き留める。何かが静かにきしみ始めていた。帰り際、美王はしおりを呼び止めた。 「ねえ、しおりさん」 しおりが振り返ると、美王はノートをそっと差し出した。 「もし私がいなくなって、現場が困ったらこれを開いてね」 しおりは意味が分からないまま、小さく頷いた。その言葉がただの冗談ではないと気づくのは、もう少し先のことだった。 剣持の風当たりは日ごとに強くなっていった。きっかけは、美王が定時で帰った日の夕方だった。テクノアークから急な確認連絡が入り、剣持がそれに答えられず恥をかいたのだ。先方の田口から「高橋さんはいらっしゃいますか」と問われ、剣持は答える言葉を持たなかった。品質の細部を、彼は何ひとつ把握していなかったからだ。翌朝、剣持は朝礼で美王を罵った。 「昨日、うちの品質担当は定時で逃げた。責任感のかけらもない」 美王は静かに立っていた。 「子供を盾にして楽をする。シングルマザーってのは、みんなこうなのか」 フロアが凍りつく中、剣持はさらに続けた。 「大体、まともな男に気づけなかった女に価値があるのかよ」 その言葉に美王の指がわずかに震えたけれど、彼女は何も言わなかった。剣持は勝ち誇ったように、美王のデスクの古いノートを指差す。 「その薄汚いノートをいつまで持ってる気だ? 捨てろよ。みっともない」 美王はノートを胸に抱き、静かに答えた。 「これは母がくれた、大事なものです」 「母親? そんな古臭い教育を受けたから、お前はお荷物なんだよ」 剣持の罵声がフロアに響き渡る。美王は俯いたまま、拳を握りしめた。怒りではない、悲しみでもない。ただ、何かが静かに決まっていく感覚だった。10年間積み上げてきたものを、この男は一度も見ようとしなかった。そしてこれからも、見ることはないだろう。美王はその確信を胸の奥深くに刻んだ。その様子を、しおりだけが唇を噛んで見ていた。 「あんなの絶対おかしいです」 昼休み、しおりは思わず美王に詰め寄った。 「高橋さんがどれだけ丁寧に仕事してるか、私見てます。毎朝一番に来て、みんなの机直してるじゃないですか。昨日だって、高橋さんがいなかっただけで、剣持部長はテクノアークの質問に一つも答えられなかった。田口さんから連絡があって、私が対応したんです」 美王は少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。 「見ててくれたのね。ありがとう。でもいいの。私は目立つ仕事はしてないから」 しおりは納得できなかった。入社してからの1年、彼女はずっと美王を観察していた。テクノアークから難しい要求が来るたび、最後に必ず頭を下げて納めるのはいつも美王だった。剣持が「俺がまとめた」という契約の裏で、夜遅くまで資料を整えているのも美王だった。現場の職人たちが困り顔で相談に来る時、真っ先に駆けつけて一緒に考えるのも美王だった。この会社の品質は、美王という一人の人間の上に静かに乗っかっているのだと、しおりには分かった。 「高橋さんがいなかったら、この会社は回らないと思います」 しおりの言葉に、美王は静かに首を振る。 「会社はね、一人じゃ回らないし、一人で止まりもしないのよ。ただ、止まる時は、誰が支えていたのかが分かるだけ」 その言葉の意味を、しおりはまだ理解できなかった。だが美王の横顔には、諦めではない静かな覚悟のようなものが宿っていた。しおりはその日、美王から一つの約束を交わした。 「もし何かあったら、あなたには本当のことを話すわ」 しおりは真剣な顔で頷いた。その約束が2週間後に大きな意味を持つとは、この時の二人にはまだ知るよしもなかった。 … Read more

24 August 2026

「娘が入社するから、今日でお前はクビだ。」…

「娘が入社するからやめてくれ。今日で最後だ。」 社長から突然、首を宣告されたのは20日の朝だった。え…? 私は驚きのあまり言葉を失った。 20日は取引先への支払い日。銀行振り込みのところもあるけれど、古くからの取引先には挨拶を兼ねて直接、支払いに行く日だ。 「ちょうどすぐにでも帰れそうな格好をしているじゃないか。特別に今日は休みにしてやるから、さっさと出ていけ」 背中をグイグイ押されて事務室から追い出され、鼻先で扉をピシャッと閉められた。どこから突っ込んでいいのか、まるで分からない。 — 私はナツキ。高卒でこの会社に入って、今年で10年目の事務員だ。いや、さっきまで事務員だったというべきか。 私が務めていたのは家族経営の舗装会社で、社員は20名ほど。創業者で現在の会長が社長だった頃は、職場の雰囲気も良くて、とても働きやすい会社だったのに。 今でこそ現場を離れた会長も、以前は若手に混じって率先して働いていたし、奥様のももこさんも会長が入院するまでは毎日会社に来て、雑用を一手に引き受けていた。 娘の愛さんは現場も事務もこなす万能な人で、愛さんの夫も現場長として現場に出る社員たちから信頼されていた。創業者一族だからと言って、誰も偉ぶったり、社員を見下したりしない。 このままトラブルとは無縁の楽しい会社生活が続けば良かったのに、残念ながら現実は甘くなかった。 — 去年の暮れ、会社の集団検診で会長に癌が見つかった。会長は社長を辞任することにして、現場長だった愛さんの夫を次期社長にすると決めた。 私も他の社員も満場一致で賛成。会長には治療に専念してもらい、長生きしてほしいとみんなの意見がまとまった。 ところが、どこで聞きつけたのか、会長の長男のケンジさんが家族を連れて突然現れた。 実は会長には、愛さんだけでなく子供がもう1人いたらしい。ケンジさんは30年ほど前に勘当されていて、私は全く知らなかった。 古参の社員から聞くと、ケンジさんは若い頃、札付きのワルだったようで、警察のお世話になることもしょっちゅう。問題を起こしては、会長とももこさんが謝りに行っていたようだ。 高校中退後はマルチ商法や詐欺まがいのことをし出し、ついに会長が勘当したらしい。 それきり長らく音信不通だったのに、ケンジさんはある日突然やってきて「親父!今まで悪かった。俺を許してくれ!」と叫び、会長に向かって土下座した。 私は何事かと驚いた。小さな会社で社長室兼事務室が一室だけだから、私も一部始終を目撃したのをよく覚えている。 ケンジさんは今までのことを水に流し、自分も会社で一緒に働きたいという。水に流してって、勘当された側から言う言葉ではないと思うんだけど。 「みんなには申し訳ないが、頼む。もう1度だけチャンスを与えてほしい」 愛さんや古参の社員たちはケンジさんの過去を知っているから、手放しでは喜べないようだった。でも、会長から深々と頭を下げられ、それでも拒否できる社員は誰もいなかった。 こうしてケンジさん一家は会長の離れで暮らすことになり、ケンジさんは社員として、奥さんは専業主婦として、会長の家の切り盛りをすることになった。 娘さんは大学生らしく、会社に来た時に1度しか見ていない。 会長は「世間に揉まれて苦労して、ケンジもまともになったはずだ」と言っていたし、ももこさんもケンジさんが家族を連れて帰ってきてくれたことを泣いて喜んでいた。 これからは一緒に会社を盛り立てていこうと話していたのに、問題が起こってしまったのだ。 — ケンジさんは「長男だから次期社長は俺だ」と譲らず、愛さんや現場長と喧嘩になってしまった。会長の前だけは真面目に働くふりをし、実際は何もしない。 「肉体労働なんて現場がすることだろ。お前たちは働きアリだ。黙って働け」と、パワハラ的な発言を繰り返す。 あっという間にみんなから嫌われた。「やってられない」と会長に直訴した若手社員も何人かいたらしい。でも会長もももこさんも「ケンジを支えておくから、もう少し長い目で見てやってほしい」と頭を下げるだけだ。 揉めているうちに、当時見つかった癌が一気に悪化。入院したのが3ヶ月前だ。 するとケンジさんが「俺が社長だ」と言い出した。社員たちは当初の予定通り、現場長を社長にするよう会長やももこさんに進言したが、結局2人は娘の夫よりも、血のつながったケンジさんを選んでしまったのだ。 「我が子可愛さに目が曇ったか」「盲目的だな」なんて陰口を叩く人も出てきたし、あんなに和気あいあいとして楽しかった会社の雰囲気はガラリと変わって、すっかりギスギスしたものになった。 このままではダメだと誰もが思い、ついに愛さんは現場長と影で動き始めたのだ。 すると必然的に、会社の仕事は私1人がすることになってしまった。今までももこさん、愛さんと私の3人だったから定時に帰れたけど、今は毎日残業。日付が変わることもざらにある。 それなのにケンジさんは仕事はとにかく暇だと思っている。社長なのに昼間からキャバクラに行ったり、競馬やパチンコに出かけたりと遊び歩いているのに。 — 社長との関係が決定的に悪化したのは、ある経費の問題からだった。 会社のクレジットカードを使って、自分の飲食代や遊興費などプライベートの支払いをするのを、ある程度はしょうがないと目をつぶっていた。でも、いくら何でも認められないレベルだったのだ。 私は怒られるのを覚悟で、社長にレシートを突き出した。 「こんな経費は認められません」 「はあ?なんでだよ」 「これは奥様の強制下着ですよね?業務には関係ありませんから、経費にはなりませんよ」 予想通り、社長は真っ赤になって怒り出す。 「ふざけんな!社長の妻だぞ!給料から引かせるのが当然だ!経費だ!」 「いえ、でも下着ですけど。奥様は社員でもないですし」 私は震えながら言い返す。社長の妻の強制下着40万円なんて、どうして経費で落ちると思えるのか。私には理解できないが、社長の次の言葉はさらに理解不能だった。 「じゃあこれから強制下着の販売をうちの新事業にしよう。そうすれば仕入れだから経費だろう!」 満面の笑みで社長はドヤ顔をしてきたが、私は目が点になった。 「あの…うちは会社ですけど」 「だからどうした?取引先に、うちとの取引を盾に売り付ければいいんだ。買わなければ契約を打ち切るといえば、みんな買うだろう。必ず儲かるぞ。1つ売れば20万、セットで売れば40万。ボロい商売だ」 社長は高笑いをしているけど、私はゾッとした。 「そんなの絶対にダメですよ!信用問題になりますからね!」 … Read more

24 August 2026

「ママに500万持ってきてもらえなきゃ、てめえの体を売り飛ばすぞ」――本屋に押し入ったヤクザは、店内を破壊しながら私を殴りつけた。私は工藤組の組長の娘。でも、ここが母の組の店だと知られたくなかった。商店街での立場が壊れるから。私は泣く泣く母を呼んだ。母が現れた瞬間、ヤクザの顔から余裕が消えた。そして、その後の一言が全てを変えた。あの日、私は商店街に本当の安寧を取り戻せると思っていた。でも、そ…

「痛えか。いい顔してんじゃねえか。怖いんならママでも呼んで助けてもらえばどうだ?ママに500万持ってきてもらえなきゃ、てめえの体を売り飛ばすぞ。」 私は今、目の前のヤクザに殴られ、うずくまっている。私が営む小さな本屋に突然現れたヤクザは、みかじめ料として500万円を要求してきた。支払いを拒否した私への見せしめとして、店内は荒らされ、私は殴られ、人間の尊厳を奪うような脅しをかけられた上、母まで巻き込もうとしている。そんなヤクザのやり方に、私は心底腹が立った。しかし、これから起こる因果応報とも言える結末に、ヤクザは苦しめられることになる。 私の名前は工藤梢。私は工藤組というヤクザ組織の組長の娘で、今はある商店街で本屋を営んでいる。小さな本屋だが、こだわりのたくさん詰まった大切な店で、自分の全てをこの店に注いでいると言っても過言ではない。おかげで私は33歳で結婚相手を探す暇もないけれど、とても充実した日々を送っている。 そんなある日、私の店にヤクザが来た。ヤクザだってインテリで、本を読みたい人もいるのだろう。本が好きな人を拒否する理由はないし、このヤクザも本を買いに来たのだと思っていた。しかし、相手の望みは他にあった。そんなことはつゆ知らず、私はヤクザを店内へ招き入れた。 「おお姉ちゃん。ここの責任者はいるか?」 店内に入るや、本棚を見ることもせずヤクザが言った。 「責任者と言うと、店長ということですかね。店長は私ですが。」 「あんたが?へえ。」 ヤクザの微妙な反応に、少しだけ頭に来る。そりゃ無条件に若いと言われる20代は過ぎているけれど、30代前半で独身なんですけどね、と悪態をつきたくなった。しかし、客は客なので、飛び切りの笑顔で接客を続けることにする。 「どのようなジャンルの本をお探しですか?ビジネス本とか?」 「この店はいつからやってるんだ?」 「うちは平日休日問わず、朝10時から営業してますけど。」 「ちげえよ。何年前から店を構えてるんだってことだ。」 「ああ、そういうことですか。ちょうど1年前からやらせてもらっています。」 「1年前か。知らねえ店だな。よし、500万だ。」 「500万って……何の話ですか?」 「この店のみかじめ料、まとめて500万円だ。」 「み、みかじめ料……」 この店を営んできて、今まで1度もみかじめ料なんて請求されたことがなかった。私は目を丸くした。大体、この辺りを仕切っているのは私の母の組である工藤組のはずで、こんなヤクザは組員にはいない。 「そんなもの、この店と何か関係がありますか?」 ヤクザはニヤリと笑うと、本棚に陳列された本たちを次々と投げ飛ばし、店内を荒らし出した。 「何するんですか?やめてください!」 私が静止しても行為はエスカレートするばかりで、ヤクザはニヤニヤと笑っている。 「いいか?お前がここで1年間無事に店をやってこれたのは、俺たちみたいなヤクザがいるからなんだ。こんな風に暴れ回る面倒な客が来た時に、バックにヤクザがいると分かれば全部が解決する。」 そう言って、わざと「ヤクザ」という言葉を強調してくる。まるで、店をやるにはヤクザの許可を取れと言わんばかりの言い草だ。 「役所から店をやるための許可は降りてるんですよ。」 「役所が許可したとしても、俺たちのところに挨拶に来てないだろうが。ここは俺たちの島なんだから、ここで商売したいなら挨拶に来るのは当たり前だろ。店を荒らされて、役所がなあ何とかしてくれるのか。」 「そんな馬鹿な話がありますか?それに、あなたたちはどこの組なんですか?」 私が聞くと、この辺りで1番大きな組織の加藤組だとヤクザが言う。でも、この辺りで1番大きな組織は工藤組のはずで、加藤組なんて名前は聞いたことがない。 「この辺りで1番大きな組織は工藤組ですよね?」 「よく知ってるな。でも、あれは俺たち加藤組の下にある、ちっちゃい組織だよ。あんなところ役になんて立たないだろうな。だから黙って俺たちにみかじめ料を払えばいいんだよ。」 「払いませんよ。大体、みかじめ料は支払った方も捕まるんです。そうなると分かっているのに払う奴なんていません。」 私とヤクザが言い合っている間にも、店内の様子は一変していく。本棚のありとあらゆる本が投げ飛ばされ、本棚は蹴られて倒れてしまったり、心が痛むような光景が広がっていく。 「痛い目見ないと分からねえようだな。」 ヤクザに言われたのと同時に、私の方に痛みが走る。何が起こったのか理解できないまま、今度は腹に鈍い痛みを感じ、私はうずくまった。両親にも殴られたことなどないのに、私は顔面と腹を殴られていた。突然のことで頭が真っ白になっていると、ヤクザはニヤニヤしながら私の胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。 「痛えか。いい顔してんじゃねえか。怖いんならママでも呼んで助けてもらえばどうだ?ママに500万持ってきてもらえなきゃ、てめえの体を売り飛ばすぞ。」 ヤクザの言葉に思考がはっきりしてくる。だけど、ヤクザの言っていることは当然聞き入れられない。黙ったままの私をヤクザが袋叩きにしてくるので、このままでは本当に命がなくなってしまうかもしれない。命の危機を感じ、私はヤクザたちに言った。 「本当に母を呼んでもいいんですね。」 「ああ、いいぞ。きっちり500万持って伝えてな。」 「命の保証はできませんよ。」 私の言葉にヤクザは鼻で笑う。 「脅しのつもりか?女に。しかもババアに何ができんだよ。万が一ママが格闘家で俺たちのことを投げ飛ばしでもしたら、それは犯罪だ。ということは、てめえがどんなに強いママを呼ぼうが、こちらは何も怖くねえんだよ。正直。」 組長である母を呼びたくはない。ここが母の組と関係のある店だと周りに知れたら、商店街の私の立場はどうなってしまうのか予想がつく。「あいつはヤクザの娘なのだ」と、虫けらを見るような目で見られ、お客さんの足もどんどん遠のいていってしまうに違いない。 私は色々なことを考えていたけれど、その間にも店は荒らされ、私の体には蹴りが入る。 「いい加減やめてよ。」 「だから500万払えって言ってんだろ。出すものさえ出せばやめてやるよ。」 このままでは店も私も危ない。命を落とすどころか、人間の尊厳を失うようなことをさせられてしまうかも。そんなことになっては困ると、私は覚悟を決めた。 「分かった。母を呼ぶから、これ以上店を荒らさないで。」 私は電話をかけて母に助けを求めた。 「今、店にヤクザが来てて、みかじめ料を500万払わないと店を壊すって言ってるの。私を助けて。お願い。」 そう言うと、母は「すぐに行く」とだけ言って電話を切った。 10分後、母がやってきて、ボロボロの私と荒れた店内を見て声をあげる。 「梢、大丈夫?これは一体どういうこと?」 「おお、お前がママか。」 ヤクザが母の顔を見た瞬間、表情から余裕が消えた。ここにいるのが工藤組の組長・早紀と分かった時にはすでに遅く、ヤクザの7人のうち3人は母が連れてきた幹部に放り出されていた。さらに他の幹部が残りの3人をボコボコに殴り倒していた。母からの命令を待たずしての行動だった。組長の娘に手を出したとあれば、彼らも黙っていられなかったのだろう。 … Read more

24 August 2026

「中卒部長が調子に乗るな」…

全社員42人の前で、新社長が俺を罵倒した。「中卒部長が調子に乗るな。お前は広格だ」と。社長という権力を振りかざし、私的な感情で俺を降格させたのだ。この人は社長の器ではない。そして3ヶ月後、この出来事が新社長の首を絞めることになり、1年後には地獄に落ちることになった。 俺の名前は小林、32歳。小学校6年生まで普通の家庭だったが、父が友人に騙され、多額の借金を背負わされ、我が家は一気に貧しくなった。俺は高校進学を諦め、中卒で就職を決意した。自分のせいだと何度も謝る父に、俺は明るく言った。 「中卒の何が悪いんだ?真面目に働いてればいつか必ず評価されるよ」 社会を知らない子供の言葉だったが、父は安心したようで少しだけ笑顔を見せた。 学歴が理由でほとんどの会社で門前払いされる中、俺を拾ってくれたのが赤川社長だった。赤川社長の会社は社員数40名前後で規模は小さいが、安定した業績を維持している。 「学歴よりその人を見て評価する。小林は家庭の事情に負けない強い人間だ。俺はそういう奴と一緒に働きたいんだよ」 こうして俺は赤川社長の元で働くことになった。子供がいない社長は俺を実の息子のように可愛がった。20歳の誕生日には社長の行きつけの居酒屋に連れて行かれ、偶然居合わせた西浦さんを紹介された。 「こいつは西浦、小学校時代からの長い付き合いだ」 「君が小林君か。赤川から話は聞いてるよ」 西浦さんと話している赤川社長は、会社では見せない無邪気な顔をしていた。 「お2人は親友なんですか?」 俺の問いかけに2人は一瞬戸惑った後、爆笑しながら答えた。 「西浦はライバルだな」 「まあ、赤川はいつか倒すべき相手だと思ってるよ」 よくわからないが、とにかく仲は良さそうだ。酒を覚えた後、この居酒屋は俺の行きつけの店になり、西浦さんともよく顔を合わせる関係になった。 社長は以前から学歴不問の採用をしていたが、中卒の採用は初めてだった。社長は俺に優しくしてくれたが、会社のナンバー2の副社長は俺を敵視していた。 「あいつに可愛がられてるからって調子に乗るなよ。俺は学歴が低いやつが大嫌いなんだ」 入社直後、人気のない場所でたまたま副社長に遭遇し、底意地の悪い顔でそう言われたのを覚えている。他人からここまでの敵意を向けられたのは初めてだった。副社長はその後も会うたびに俺に嫌味を言ってくる。最初は年上の大人から敵視されて恐怖を感じたが、1年も経たないうちに慣れてしまった。 副社長には近づかないようにしつつ、どうしてここまで敵意を向けられるのかを知るため、俺なりに副社長を観察して推測を重ねた。赤川社長は人と義理を重視しているが、副社長は経営の合理化とコスト削減に重きを置いている。方向性の違いから社長と対立することがたまにあった。2人は同年で長い付き合いらしい。しかし評価が高いのは赤川社長の方で、副社長は引き立て役と影で言われていた。 そういった経緯から、副社長は赤川社長に対し複雑な感情を抱いているらしい。長い付き合いの副社長を差し置いて、俺を身内のように可愛がる。そんな俺に対して嫉妬や怒りが入り混じった感情を抱いているのだろう。歪んだ感情を学歴という理由で覆い隠し、俺を敵視しているのだ。 さらに年月が経つと俺の実力が認められ、昇進していく。32歳という若さで開発部の部長に就任した。部下や取引先に慕われる俺を見て、副社長は苛立ちを募らせる。月日の経過は副社長との溝を埋めるどころか、逆にどんどん大きくなっていった。 しかし平和な日常は突然崩れ去った。赤川社長が外出先で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。 葬儀の最中、社長の言葉を思い出す。 「お前の取り柄は真面目さだ。どんな仕事も誠実にこなしてきちんと結果を出す。そういう人間は意外と少ないんだ。お前ならどんな現場でも、どこの会社でも通用するだろう」 社長の言葉を胸に、これからは俺が会社を守ろうと決意した。ところが葬儀の直後に予想外の波乱が起こる。新社長に副社長が就任したのだ。時期社長は専務が有力と言われていた。俺を嫌っている人が会社のトップに立つという事実に、嫌な予感がした。 そして新社長の誕生から1週間後、俺の予感は的中した。この日は俺を入れて43名の全社員が集まる朝礼が開催されていた。新社長は就任挨拶をした後、突然新人事を発表する。異動や昇格が社長の口から告げられる中、最後に驚きの発表があった。 「開発部の小林部長は係長に就任だ」 「なんだって」 思わず声が出てしまったのは仕方ないだろう。新社長は俺のところにやってくると、全社員の前で笑いながらこう言った。 「中卒部長が調子に乗るな。お前は広格だ。赤川社長はお前を可愛がって不釣り合いな役職を与えていたんだよ。係長でも中卒のお前にはもったいない役職だ」 俺は呆然とその場に立ち尽くすしかできなかった。社員たちは驚きに目を見開きつつも何も言わない。この場にいる全員が新社長の不当な人事と理解しているが、相手は会社のトップなので反抗できないのだ。 突然の降格処分は俺に数々のピンチをもたらす。係長になった後も俺は部下の仕事を影ながら支えていた。ところがある日、仲の良かった部下の1人がこんなことを言ってきた。 「小林部長。あ、いや、係長、しばらく距離を置かせてください」 「ど、どうして」 「係長と親しくしていると人事評価が下がるって噂があるんです」 俺から離れたのはこの部下だけではない。開発部の社員全員が俺を遠ざけるようになった。人事評価の件はあくまで噂だが、新社長ならやりかねない。周りから孤立し、俺はまともに仕事をこなすことすらできなくなった。このままでは赤川社長の会社を守れない。俺の心に暗い絶望が広がっていった。 窮地に追いやられたのは職場だけではない。自宅に戻ると、出産したばかりの妻が赤ん坊を抱いて困ったような顔で俺に手紙を差し出した。 「あなた宛の件だけど」 「この手紙の件を銀行に問い合わせたら、やっぱり見直しの必要があるって言われたわ」 「そうか」 今はアパートで暮らしているが、子供が生まれたのでマイホームの購入を検討していたのだ。ハウスメーカーとの打ち合わせはほぼ終わっていて、あとは銀行にローンの申請をするだけというタイミングで突然の降格処分となった。降格に伴い給料も減っている。その結果、給与明細の額が変わり、銀行からローンの条件見直しが必要だと言われたのだ。 「もしローンが通らなかったらどうしよう」 妻は不安そうな表情で赤ん坊を抱いている。他の銀行で申請をやり直すか、頭金を増やしてローンの額を減らすしか方法はない。しかし残っている貯金はわずかだ。さらに我が家は赤ん坊が生まれたばかりで、どうしても出費が重なる。ローンを断られたらマイホームを諦めなければならない可能性もあった。 「大丈夫、なんとかするから」 妻を安心させるためにそう言いつつも、具体的な解決策は見つからない。 『中卒の何が悪いんだ?真面目に働いてればいつか必ず評価されるよ』 風呂に入りながら、社会に出る前に父親に言った言葉を思い出す。 『どうにもならない時もあるんだよ』 過去の自分に語りかけた声が浴室に虚しく響いた。 時間が経つにつれ状況は悪化していく。職場で俺はいないもの扱いされ、肩身の狭い思いをしていた。昼休みは人気のない会社の裏庭で孤独に過ごす。裏庭に置かれているベンチに座りながらため息をついていると、ある人から電話がかかってきた。 「もしもし」 「やあ、赤川の葬儀以来だな。店にも顔を出さないし、元気かなと思って電話したんだ」 電話の向こうから聞こえてきたのは西浦さんの声だ。赤川社長の葬儀には西浦さんも参列していた。みんなが悲しみに泣く中、西浦さんは険しい顔で涙をこらえていた。 「それが、色々ありまして」 「声に元気がないな。どうしたんだ?」 … Read more

24 August 2026

「パパの仕事はゴミじゃない!」——娘が泣きながら叫んだ声が、今も耳に残っている。幼稚園の送り迎えで顔を合わせるボスママに、作業服姿の私と娘が「貧乏」呼ばわりされた。その上、彼女は「うちの娘に貧乏が映るから、もう二度と遊ばせるな」と言い放った。娘を侮辱され、怒りの限界を超えた私は、ある決意をする。そして翌日、彼女の夫が、私の工場に現れた。まさか、そこで彼女の人生が、そして私たちの関係が、一瞬で…

幼稚園の門の前で、久保田さんに声をかけられた瞬間、嫌な予感がした。私は30代半ばの工場経営者。祖父から引き継いだ金属加工の専門工場の三代目だ。作業服のまま娘を迎えに来るのは、いつものことだった。 「あなた、昔からこの辺りに住んでるんですって?」 久保田さんは、私を頭の先からつま先まで値踏みするように見た。彼女はこの町に引っ越してきた新住民で、大手家電メーカーに勤める夫を自慢の種にし、古くからの住人を見下している。保護者の間でも、その高飛車な態度は有名だった。 「その服、何? 見たことないんですけど。それに奥さんと共働きだって? 夫婦で働かないといけないなんて、貧乏で大変ね」 子供たちのいる幼稚園で騒ぎを起こすわけにもいかず、私は曖昧に笑ってその場を離れた。ああ、これが噂のボスママか、と。これ以上関わらないようにしようと思った。 しかし、事態はそう簡単には終わらなかった。ある日、娘を迎えに行くと、娘が唇を噛みしめて目を真っ赤にしている。珍しく泣き出す寸前の顔で。 「どうした? 何かあったのか?」 しゃがんで話を聞くと、娘はぽつぽつと話し始めた。「まりんちゃんに、貧乏な子はおもちゃに触っちゃダメって言われた」と。「パパの仕事は、ゴミを作ってるだけなんだって」とも。 久保田さんの娘、まりんちゃん。母親に似て、どこか生意気な子だと噂されていた。私は娘をなだめながら、まりんちゃんに腹が立つ以上に、母親の久保田さんに怒りが湧いてきた。子供は親を見て育つ。これは間違いない。 ちょうどそこへ、久保田さんがまりんちゃんのお迎えに来た。私は覚悟を決めて話しかけた。「あの、まりんちゃんがうちの娘を仲間外れにして、貧乏な子は遊んじゃダメって言ったそうなんです。確認してもらえますか?」 久保田さんは、小さく笑って首を振った。「あのね、そんなこと、どうして確認しないといけないの? マリンが言ったことなんて、本当のことじゃない? あなたも奥さんも娘さんも貧乏でしょ。貧乏ってね、遊ぶことさえ選ぶ権利がないのよ」 娘のことを侮辱され、私は冷静さを保つのがやっとだった。「そんなこと、子供が言うことじゃないでしょう。どうしてあの子がそんなことを言うのか、考えたことはないんですか?」 すると久保田さんは声を張り上げた。「マリンは賢いの。教育にお金をかけてるから。それに、工場の社長だなんて、ただゴミを作ってるだけじゃないの? うちの主人とは大違いね」 彼女の高笑いが響き、周りの保護者の視線が集まる。私は何も言い返せずにいた。しかし、その時だった。娘が私の陰から飛び出して、久保田さんに向かって叫んだ。 「違う! パパのお仕事はゴミじゃない! 工場なの!」 「生意気な子ね」 久保田さんは娘を鼻で笑い、近づこうとした。私はとっさに娘を引き寄せ、彼女から隠した。 「いい? マリンにあなたの貧乏が映るといけないから、もう二度とマリンと遊ぼうとしないで。お願いね」 そう言い残すと、久保田さんは笑顔のまま娘の手を引いて幼稚園を出て行った。私は、娘を侮辱された無念さと、娘が私を守ろうとしてくれた愛しさで、胸が張り裂けそうだった。誰がどうなろうと、娘と妻に迷惑をかけずに打てる最高の手を、必死に考えた。 翌日、私の工場に、思いがけない客が訪れた。久保田さんの夫、久保田部長だった。彼はあの大手家電メーカーの経営企画部門の部長で、うちの工場は長年、彼の会社の主要部品を製造し納入していた。祖父の代からの付き合いだ。これは、久保田さんの妻にも、もちろん他の誰にも言っていない。 契約更新の話を始める前に、私は切り出した。「以前、久保田部長のお嬢さんが、私の娘と同じ幼稚園に通っていると聞きました」 「ああ、ええ、そうなんですよ」 子供の話をすると、彼の頬が少し緩んだ。しかし、私は続けた。 「先日、私の娘が奥様とお嬢様に侮辱されました。お嬢様からは『貧乏人とは遊べない』と言われ、奥様もそれを認めて、『娘の貧しさがお嬢様に移るから遊ばないでくれ』とまで言われました。私の工場と仕事も『ゴミだ』と」 久保田部長の顔色が変わり、無言で俯いた。私は言葉を続けた。「私はともかく、娘が侮辱されたことが許せない。私はこの仕事に誇りを持っている。亡くなった祖父にとっても、ここで作るものは誇りでした。それをゴミと言える、あなたの奥様の感覚が、私には理解できません」 久保田部長は力なく「申し訳ない」と呟くのが精一杯だった。そして突然、妻を呼び出した。工場の場所を告げ、「とにかく来てくれ」と。 30分ほどで、久保田さんの妻がふんぞり返って現れた。 「何よ? どうして私がこんなところに来ないといけないわけ?」 彼女は私を睨みつけた。私は静かに、しかしはっきりと言った。「私の工場で作る部品は、あなたにとってゴミなんでしょう? でしたら、ご主人の会社からご注文いただいている部品全て、特注品も含めて製造を中止します。今後の契約も解除しましょう」 彼女は意味が分からない様子で首を傾げた。その背後から、久保田部長がゆっくりと近づいた。 「さやか、君のせいだ。君のせいで会社が潰れる」 「はあ?」 「私の工場の特注部品がなければ、うちは終わりなんだよ。君はとんでもないことをしてくれた」 久保田部長の叫びに、妻は顔を真っ赤にして反論した。「何言ってるのよ! あんたがバカなんでしょ! いい会社に務めて、こんな奴に気を遣ってやってるんじゃないの!」 「謝れ! 土下座して謝るんだ!」 久保田部長は自ら床に膝をつき、妻の手を引いて無理やり土下座させた。妻の顔から血の気が引き、体が震えていた。 「申し訳ございませんでした! 私は妻の一人すらどうにもできない! 誠に申し訳ございませんでした!」 はっきりと謝罪する夫の隣で、無理やり頭を押さえつけられた妻は、恐怖と屈辱に震えていた。「私はさやかと離婚します。ですから、契約はどうか会社を生かしていただきたい。仕事だけは続けさせてほしい」 しかし、妻はその言葉にまた怒り狂った。「何言ってるのよ! … Read more

24 August 2026

「17億円のライセンス料を払う気はない。契約は中止だ。お前の会社と無能な前任との腐れ縁もこれでおしまいだ」…

「17億円のライセンス料を払う気はない。契約は中止だ」 取引先の新しい部長にそう言い放たれた瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。俺の会社を底辺企業と見下したのは、前任の部長とは正反対の男。他人を表面上でしか判断できない人間らしい。このとんでもなくブレない男は、すぐにその報いを受ける時が来た。 俺の名前は太田。45歳。社員数わずか11名の零細企業の社長だ。我が社は電子部品の制御装置や関連部品の開発、製造をしている。売上は安定していて、社員には食べるのに困らないくらいの給料を渡せていた。しかし何せ社員数が少ないため、社長の俺も他の社員に混じって仕事をしている。元々他人と交流するのが好きな性格なので、営業の真似事をすることも多かった。 坂本部長も、俺が営業を担当している取引先の人だ。 「太田社長、今日はお時間取っていただきありがとうございます」 「いえいえ、そんなお気遣いなく」 我が社の応接室で坂本部長と向き合う。特に用がなくても顔を出してくれるが、今日は大切な話があるのだ。 「坂本部長、残念です。転職が成功したのは喜ばしいことですが、私も寂しいですよ」 しょんぼりと肩を落とした俺に、坂本部長が苦笑いを浮かべる。この度、坂本部長は業界ナンバーワンの会社に転職が決まった。現在の会社は業界ナンバー3。どちらも大手だが、坂本部長はステップアップの転職を成功させたのだ。仕事ができる部長が正しく評価されたのは、俺としても嬉しい。しかし坂本部長と仕事ができなくなるのは、とても残念だ。 「人が決まったので、顔を見て直接報告しようと思いまして。それに、一緒にお茶もしたかったので」 坂本部長が持ってきたお菓子を笑顔で渡してくる。俺が先に用意していたコーヒーと共に、しばし楽しいティータイムとなった。俺と坂本部長は甘いものが好きで、初めて会った日にその話で意気投合したのがこの付き合いの始まりだ。こうして社員には内緒でこっそり楽しんでいる。とはいえ11名しかいない会社なので、おそらく全員にバレているだろう。 「こういうこともできなくなるんですかね」 しみじみと言う俺。坂本部長も若干寂しそうにしつつ、コーヒーカップを置いた。 「転職先に太田社長の会社のことを紹介しておきますよ。いずれまた一緒に仕事をしましょう。期待してます。さて、そろそろ本題に入りましょう。私の後任ですが、島岡課長が就任することになりました」 部長の口から出てきた名前に、俺は眉を寄せる。島岡課長とは、少々因縁があるのだ。 時は2年前に遡る。新しい制御装置の開発依頼があったため、俺は島岡課長の会社へ足を運んだ。この時、坂本部長は海外に出張中だったため、俺と島岡課長の2人きりの会議となったのだが。 「部長に紹介されたからあんたを呼んだけど、会社の規模がかなり小さいな。11人しか社員がいない零細企業だと? あんたは社長だそうだが、全然そういう風には見えないし」 じろじろと俺に無遠慮な視線を向ける課長。どうやらこの人は最初から俺に依頼するつもりはなかったらしい。こちらが提示した内容に文句をつけるばかりだった。 「これ半額まで抑えられるだろう。うちはボランティア団体じゃないんだぞ。金のない零細企業に募金してやるほどの余裕はない」 俺が提示したのは相場の値段だ。決して高いわけではない。しかし島岡課長は、俺が何を言っても安くしろの一点張りだった。 「この制御装置もなんか安っぽいな。もっと洗練されたデザインの装置を作れないわけ? 貧乏企業はセンスも貧困なのか」 課長の顔には、嫌な笑みが浮かんでいる。 「制御装置のデザインは動作性を考慮したものです。形を変えると従来比で15%程度の機能低下が」 「言い訳は聞きたくないな。もういい。別の会社に頼むから」 こうして島岡課長との商談は中止となった。俺から坂本部長に告げ口はしなかった。下手に報告して部長との関係を壊したくなかったからだ。島岡課長は坂本部長にうまいこと報告したらしい。この件に関して、部長から特に何か聞かれることはなかった。 2年前のことを思い出し、思わず眉を寄せる。 「太田社長。どうされました?」 「あ、いえ、何でもありません」 慌てて首を横に振る。坂本部長は会社を去る人だ。今更2年前のことを蒸し返して困らせたくない。しかし、あの島岡課長が次の部長になるとは。関わったのは短時間だが、制御装置の技術を理解しているとは思えなかった。 「島岡課長はどういう方なのですか?」 俺の問いかけに、坂本部長はこう答えた。 「2年半前に別の会社から転職してきた方で、実は私も詳しいことはあまり知らないんですよ。ここ数年は出張が多くて会社にいる時間が少なかったですしね。うちの人事部長と同じ大学の出身で、そのコネで転職してきたとか。偏差値の高い大学なので、頭はいいのでしょう」 部長の回答に、俺の中で不安感が増す。妙なことにならなければいいが。俺はこっそりため息をついた。 それから2ヶ月後、坂本部長は会社を去り、島岡課長が部長に昇進した。部品の定期納品のため、俺は島岡課長、いや、島岡部長の元へついでに挨拶に伺うことにした。我が社との取引窓口は、坂本部長から島岡部長へとそのまま引き継がれたのだ。 「別の人が担当になってくれれば良かったのに。2年前のことを忘れてくれていればいいんだけど」 小声でつぶやきつつ、営業車から降りる。納品物の部品が入ったダンボールを抱え、島岡部長の元へと向かった。 「失礼します。太田です。納品物のお届けに参りました」 「ああ、そういえば今日だったか」 久々に顔を合わせた島岡部長は、めんどくさそうにダンボールを受け取る。 「島岡部長、部長への昇進おめでとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。では」 そそくさと帰ろうとした俺を、島岡部長が呼び止める。 「ちょっと待て。大切な話がある」 「何でしょう?」 嫌な予感がしつつ振り向くと、島岡部長は2年前と同じ嫌な笑みを浮かべていた。 「まあ立ち話もなんだし、会議室に来てくれ」 胸のざわつきを抑えつつ、島岡部長の後に続く。会議室に入った途端、部長は嫌な笑みのまま口を開いた。 「部長に昇進したことだし、大きな功績を出して会社に貢献しようと思ってな」 「はあ、それは素晴らしい考えですね」 「そのために、てっとり早く功績を出せるコスト削減に取り組むことにした。うちの取引先を片っ端から見直すんだよ。で、お前の会社との取引が目に入った。信じられなかったよ。17億だと? 零細企業に払う金はない。契約は中止だ」 「はい」 上ずった声を出した俺を、島岡部長は楽しそうに見ている。 「お前さ、2年くらい前に坂本部長の紹介でうちに来たやつだろ。地味すぎて記憶から消えかけてたよ。やたら高い金額を吹っかけようとしてたな。俺を騙そうとしたって、そうはいかないぞ。底辺企業の考えなんて、お見通しだからな」 … Read more

24 August 2026

Sentei-me na minha própria cozinha, de manhã, em frente ao meu filho de 38 anos, e perguntei-lhe sobre o grupo com quem andava a passar as noites. Ele olhou para a chávena, recalibrou o rosto e…

Cheguei a casa dois dias antes do previsto, da minha viagem de negócios. Quando me aproximei, o meu vizinho correu para o meio da rua e fez-me sinal para parar. Parecia abalado e sussurrou: “Não entres ainda. Espera até à meia-noite. Precisas de ver com os teus próprios olhos o que se passa na tua … Read more

24 August 2026

Představoval jsem si, že mě dcera pozvala na narozeninový výlet vlakem, jen my dva, jako kdysi. Stál jsem na Union Station v lednu, držel tašku a čekal, až zaparkuje. Čekal jsem dvacet minut,…

Seděl jsem na dřevěné lavici v hlavní hale Union Station a sledoval, jak se na odjezdové tabuli mění čísla, když mi konečně došlo, co se vlastně stalo. Moje dcera Nicole mě nechala stát na nádraží uprostřed ledna, bez peněz, bez telefonu, bez klíčů od bytu, bez ničeho. Sedmašedesátiletý chlap, který celý život pracoval rukama, najednou … Read more

24 August 2026

Mia sorella ha appena lanciato un bicchiere di vino sul mio petto, ridendo mentre agitava davanti ai miei occhi un anello comprato con quindicimila dollari del mio fondo pensione. «Julian è un…

Il vino rosso schizzò dritto sul mio petto, inzuppando l’uniforme da cerimonia. Mia sorella Laura sghignazzò, sventolandomi davanti al viso un anello di diamanti comprato con quindicimila dollari del mio fondo pensione. Si aggrappava al braccio del capitano paracadutista Julian, calpestando ogni mio sacrificio. Cercai mia madre con lo sguardo, ma lei fece una smorfia … Read more

24 August 2026