結婚式の真っ最中、花嫁が突然私の首元に手を伸ばし、真珠のネックレスを引きちぎった。「偽物で私たちの品格を下げないで」と。息子まで「恥ずかしい」と冷たく言い放った。地中海の船上、白い珠が床に散らばる中、私は三十年働いた宝石鑑定士として、あの真珠がどれほどの価値を持つか知っていた。祖母から四代に渡って受け継がれた本物の黒真珠。でも私はその場で言い返せなかった。夫が静かに立ち上がり、一枚の古い鑑定…
豪華客船の甲板で開かれた船上結婚式。地中海の青い海を背景に、披露宴のパーティーは優雅に進んでいた。花やかな雰囲気に包まれたその空間で、私は首元の真珠のネックレスにそっと手を触れていた。六十八歳になる私、板垣ふみ子には、母方の祖母から受け継いだ大切な宝物がある。壺から受け継がれてきたそのネックレスを身につけ、私は一人息子の高一の結婚式に参列していた。 「お母さん、そんなの身につけて恥ずかしくないんですか?」 花嫁の萌えさんが、私に向かって大声を上げた。一瞬にして会場が静まり返る。彼女は続けた。 「うちの会社の重要な取引先もいらっしゃるのに、こんな安物で私たちの品格を下げないでください」 「母さん、萌えの言う通りだよ」 高一までが冷たい口調で言い放った。 「僕たちの立場を考えてよ。そんなのをつけられたら、本当に恥ずかしいだろう」 私は凍りついた。しかし、次の瞬間、萌えさんが私の首元に手を伸ばした。彼女は真珠のネックレスを乱暴に引きちぎったのだ。パーティー会場に白い珠が散乱し、コロコロと音を立てて床を転がっていく。私は言葉を失い、ただ散らばっていく珠を見つめることしかできなかった。周囲の客たちの視線が一斉に私に注がれる。 床に散らばった珠を見つめながら、五十年前の記憶が鮮明に蘇ってきた。 「ふみ子、これをあなたに託すわ」 病床の祖母が、震える手で黒塗りの箱を私に差し出したあの日。「これは私の祖母の、そのまた祖母から受け継がれてきた大切なもの。代々家族の幸せを見守ってきたのよ」。祖母の優しい笑顔が、今でも心に焼きついている。 私は三十年間、大手宝石店で宝石鑑定士として働いてきた。数えきれないほどの真珠を鑑定し、本物と偽物を見分ける技術には絶対の自信がある。だからこそ、祖母の真珠が本物の天然真珠であることを、誰よりもよく知っている。幼い頃の高一に、このネックレスを見せた時のことも思い出された。 「母さん、僕の結婚式には、この真珠のネックレスをつけてきてよ」 嬉しそうに話していた息子。あの頃の高一の笑顔は、今どこへ行ってしまったのだろう。 私は膝をつき、一粒一粒の真珠を床から拾い集め始めた。周囲の視線など、もう気にしている場合じゃない。祖母との大切な思い出が、こんな形で踏みにじられるなんて。涙がこぼれそうになったが、必死にこらえた。この場で泣いてしまったら、それこそ彼らの言う「恥晒し」になってしまう。私には、まだ宝石鑑定士としての誇りが残っている。 真珠を拾い集めていると、萌えさんがヒールの音を響かせながら近づいてきた。 「皆さん、ちょっと聞いてください!」 彼女は周囲の客たちに向かって大声で叫んだ。 「私の姑が、偽物の真珠で虚勢を張ってるんです。こんな恥ずかしいことってありますか?」 パーティー会場がざわめき始めた。優雅にシャンパンを傾けていた人々が、興味深そうにこちらを見ている。 「お母さん、いい加減にしてください」 萌えさんは腰に手を当て、見下すような視線を向けた。 「私たちの会社テクノブレイン社の重要な顧客がたくさんいらっしゃるんです。上場企業の役員の家族が偽物なんて、どれだけ恥ずかしいか分かりますか?」 高一も彼女の隣に立ち、冷たい表情で言い放った。 「母さん、僕たちはIT企業の役員なんだよ。年収だって、母さんが想像もできないくらいもらってる。そんなのをつけられたら、僕たちの信用に関わるんだ」 私は立ち上がり、できるだけ冷静に答えようとした。 「高一、これは偽物ではありません。おばあちゃんの真珠で、本物の天然真珠です。私は宝石鑑定士として――」 「お母さん、昔のことはもういいんです」 萌えさんが大げさにため息をついた。 「今の時代、そんな古くさいものに誰が価値を認めますか」 「そうだよ、母さん」 高一も追い打ちをかける。 「鑑定士だったのは大昔の話でしょう。今の基準で見たら、それはただの古ぼけた偽物なんだよ」 萌えさんがスマートフォンを取り出し、何やら検索を始めた。 「見てください、皆さん」 画面を周囲に見せながら、彼女は大声で言った。 「今の天然真珠の相場は、こんなに高いんです。お母さんみたいな年金暮らしの人が持てるわけないじゃないですか」 侮辱的な言葉に、私の胸は激しく痛んだ。だが、彼女の攻撃はまだ終わらない。 「それに、お母さんの服装も見てくださいよ」 萌えさんは私の全身を上から下まで眺めた。 「デパートの特売品でしょう。そんな格好で高級な真珠なんて、誰が信じますか」 周囲からクスクスと笑い声が聞こえる。私は拳を握りしめ、屈辱に耐えた。 「母さん、正直に言ってよ」 高一が腕を組んで言った。 「お金に困ってるなら、相談に乗るから。でも、偽物の見栄を張るのだけはやめて」 「私は見栄なんて張っていません」 必死に反論したが、二人は聞く耳を持たない。 「あら、可愛い」 萌えさんが馬鹿にしたような口調で続けた。 「プライドが高いのは分かりますけど、現実を見てください。今のお母さんは、ただの年金暮らしの高齢者。私たちとは住む世界が違うんです」 「おい、萌え。そこまで言わなくても――」 高一が萌えさんを軽く窘めたが、彼女は肩をすくめた。 「あら、はっきり言わないと分からないみたいよ。お母さん、私たちの会社の会長さんもいらっしゃるんです。こんな恥晒しな真似、もうやめてください」 私は深く息を吸い込み、最後の尊厳を保とうとした。 「萌えさん、高一。私はこの真珠が本物だと知っています。なぜなら――」 … Read more