パパのスマホから、僕の鬼上司に3歳の娘が電話をかけていたなんて、あの日は知る由もなかった。15分間も。しかも、僕の苦手なことまで全部喋って。翌日、上司は僕をこう見つめて言った。「あなたの代わりはいくらでもいるわ。でも、まどかちゃんのパパは、高杉君、あなただけでしょう。」その言葉に、僕は何も言い返せなかった。そして数週間後、娘はとんでもないお願いを上司にしていた。そのお願いが、僕たち家族の未来…
「お仕事ないって言ってたよ。」 ニコニコ笑うまどかを前に、寝ぼけまなこの俺は混乱していた。 「どういうこと?誰が言ってたの?」 「ひかりちゃんだよ。昨日お電話で言ってたよ。」 「はあ?」 俺の名前は高杉翔太。3歳の娘を育てるシングルファザーだ。 娘の名前はまどか。明るくて人見知りしない、天真爛漫な性格の子だ。 最愛の妻をなくした俺がここまでやってこられたのは、全てまどかの無邪気な明るさのおかげだった。 俺の妻は、まどかが1歳の誕生日を迎えた次の日に、星になってしまった。 病気が分かってから半年。あまりに早い別れに俺は呆然とし、悪い夢を見ているようだった。 病に犯された妻は、最後の瞬間まで俺たちのために笑顔を絶やさず、強く生きた。 それに引き換え、俺は何もできなかった。自分の無力さに打ちひしがれ、深い喪失感を抱えたまま暗いトンネルの中を彷徨っていた。 「パパ、パパ」とすがりついてくる小さなまどかに、笑顔を返すことすらできなくなっていた。 そんな俺を見かねた実家の母が同居を提案してくれ、田舎から出てきてくれた。 母に助けられながら、そして無邪気なまどかに支えられながら、なんとかここまで来られた。 朝6時。今日もまどかの元気な声で目が覚める。 「パパ、おはよう。朝だよ。」 まどかはいつも俺のベッドに飛び込んできて、楽しそうに笑う。 俺はまどかの柔らかい髪を軽く撫で、ベッドから這い出すようにして立ち上がった。 このまままどかと一日ゆっくりしていられたらいいのだが、そうもいかない。 母が用意してくれた朝食を掻き込むように食べ、会社へ向かう。 「行ってらっしゃい、パパ。お仕事頑張ってね。」 「今日は一緒に食べられるといいね。晩御飯。」 まどかの寂しげな笑顔に後ろ髪を引かれながら、家を出た。 毎日忙しくて、まどかと話す時間もほとんどない。きっと色々と我慢しているだろうに、幼いながら俺に気を使っているのか、まどかはいつも笑顔だ。 まだ3歳だが大人びたところがあり、言葉も達者なまどか。 そんなまどかに甘えているのは、父親である俺の方だった。 俺の職場は輸入品を多く扱う商社で、所属する部署では毎日様々な国から届く商品の受け入れと取引先とのやり取りに追われている。 直属の上司は女性で、俺より3つ年上の上島さん。 ビシッとスーツを着こなすとても綺麗な女性なのだが、無表情で厳しく、部署内では密かに「鬼上司」なんて言われている。 とはいえ、理不尽な人ではない。この厳しさは仕事に対する真摯な姿勢から来るものだということは、皆分かっていた。 半忙期まっただ中の今、ともすればピリピリとした雰囲気にもなりそうなのだが、上島さんのおかげでチーム一丸となって仕事に取り組めるこの環境はとてもありがたい。 「悪いんだけど、数日間は残業も覚悟した方がいいわ。休日出勤もお願いね。」 ある日の定例で、上島さんが厳しい表情で部署のみんなに伝えた。 休日出勤か。俺は数日前にまどかと言われたことを思い出していた。 「パパ、来週の日曜日、絶対見に来てね。」 まどかがカレンダーを指差しながら、キラキラした目で俺を見つめた。 来週の日曜日、その日はまどかのピアノの発表会だった。 まどかの強い希望で最近習い始めたばかりのピアノ。初めての発表会とあり、張り切っているのは知っていた。 「うーん。行きたいんだけど、仕事がな。」 俺は思わず呟いてしまった。 「え、行けないの?」 察しのいいまどかはすぐに理解したようで、うるうると瞳を潤ませた。 「あ、いや、ごめん。まだわかんない。お仕事の人に聞いてみるね。パパも頑張るよ。」 慌てて取り繕ったが、まどかはしょんぼりと俯いたまま、とぼとぼと自分の部屋に戻っていった。 「ちょっとした仕事の忙しさ、なんとかならないのかい。まどかはパパに見てもらうんだって、毎日一生懸命練習してるのよ。」 まどかが部屋に入るのを確認した母が、小声で俺に耳打ちした。 「なんとかって、俺だってそうしたいさ。でも今半忙期だし、俺だけ休みをもらうなんて、あの鬼上司が許してくれるわけないよ。」 思うようにならない苛立ちに、思わず声を荒げてしまった。 「鬼上司って、前に話してた上島ひかりさんって方かい?」 「ああ、鬼のように厳しい上司がいるって言っただろ。」 「そうかい。仕事なら仕方ないわね。まどかには私から何とか言っておくわ。」 母は残念そうに肩を落とした。 噂をすれば、上島さんから電話だ。 けたたましく音を立てたスマホの画面には「上島ひかり」の文字。 … Read more