パパと呼ばれるようになったのは、姉が亡くなってからのこと。慣れない育児に奮闘する日々の中、耳鼻咽喉科の美人看護師・恵さんは、いつも遅刻する俺にだけ冷たかった。だが、娘にはなぜか優しい。そんなある日、彼女から衝撃の告白を受ける——「次郎さんが独身なら、めちゃんのママが必要だと思うんです」。しかし、幸せな日々は突然暗転する。ある日を境に、恵さんからの連絡が完全に絶えてしまい、その理由は衝撃的な過…
俺はどこにでもいるようなサラリーマンだが、少し特殊な家庭環境で暮らしている。まだ結婚はしていないが、訳あって5歳の女の子を育てている。姉が去年事故で亡くなり、両親もすでにこの世を去っていた。姉の元旦那は音信不通で、現実的に子供を引き取れるのは俺しかいなかったのだ。 最初は何もかもが手探りだった。保育園の送り迎えも、熱が出た時の対処も、全部が初めての経験で、毎日が修行のようなものだった。幸いなことに保育園の先生はとても親切で、分からないことを聞けば何でも教えてくれた。体調が悪い時はベビーシッターを頼んでなんとか乗り切ってきた。 そんな俺の今の悩みは、子供のアレルギー性鼻炎のため定期的に耳鼻咽喉科へ通わなければならないことだ。仕事帰りに連れて行くと、どうしても予約時間を過ぎてしまうことがある。今日もまた遅刻してしまい、俺は慌てて受付を済ませた。 看護師の恵さんは下を向いて何か作業をしていたが、足音でこちらに気づいたのか顔を上げた。こんにちは、と挨拶すると、最初は笑顔だったのが、俺だと分かった瞬間、その表情がすっと消えた。これは毎回のことなのだが、この怖さにはなかなか慣れない。 「今日も予約時間を過ぎてしまって本当にすみません」 俺は少しでも機嫌を取ろうと頭を下げた。 「次郎さん、またですか?いつも申し上げていますけど、できるだけ予約の時間は守っていただかないと困ります」 「すみません。今度からはできるだけ気をつけますので」 「できるだけって…まあ今回だけは多めに見ますけど。診察券をお願いします」 「診察券?あ、すみません。忘れてきちゃいました」 「え、忘れてきたの?」 恵さんは険しい表情で声を荒げた。彼女が昔ヤンキーだったという噂も信じられそうな迫力だ。 俺がおどおどしていると、恵さんは怒りをこらえて深呼吸をした。必死に冷静さを保とうとしているのが伝わってくる。 「次回はちゃんと持ってきてくださいね」 「はい、すみません」 立て続けに注意され、俺は肩を落とした。恵さんはとても美人なのだが、怒ると本当に怖い。いつも俺には不愛想で、口調も冷たい。しかし、俺の連れている娘が元気に挨拶すると、今までの表情が嘘のようにほころぶ。 「お姉ちゃん、こんにちは!」 「めちゃん、こんにちは。それじゃあ診察室に入ろうか」 「はーい」 恵さんは娘と一緒に嬉しそうに診察室へ向かっていく。いつも娘にだけは優しい表情をしてくれる。娘も恵さんにすごく懐いている。そういう事情もあって、俺はこの耳鼻咽喉科に通い続けているのだ。できれば俺にも笑顔を見せてほしいが、まあ俺が悪いから仕方ないか。 診察の後、娘は鼻を洗浄し、飲み薬を処方してもらった。 「めちゃんはアレルギー体質なので、こまめにお部屋の掃除機をかけてあげてくださいね。ハウスダストによって悪化してしまう可能性がありますので」 「はい、分かりました。今日もありがとうございます」 俺が支払いを済ませると、恵さんはガチャガチャ専用のコインをくれた。 「めちゃん、今日も頑張ったね。これどうぞ」 「やった!ありがとう!誰が出るかな?」 娘が嬉しそうにガチャガチャを回す姿を、恵さんは穏やかな笑顔で見守っていた。 「あ!ドーナツの消しゴムが出た!」 「姉ちゃん、良かったね」 「うん!嬉しい!ありがとう!」 「めちゃん、お大事にね。またね」 「うん!お姉ちゃん、バイバイ!ありがとうございました!」 こうして俺たちは耳鼻咽喉科を後にした。帰り道、娘と他愛もない会話をしながら家へ向かう。娘はある日を境に、俺のことを「パパ」と呼んでくれるようになった。それは俺にとって本当に嬉しいことだった。 姉が亡くなってからもう1年が経つ。最初の頃は娘もかなり落ち込んでいた。俺もその時はどう接していいか分からず、戸惑っていたのを覚えている。それでも子供ながらに母親がいなくなったという現実を受け入れ、いつしか保育園でも元気に過ごすようになった。娘が元気でいてくれることが、何よりも一番大切なんだと実感した。 娘を引き取ってからは、俺の生活も大きく変わった。友達との付き合いや会社の飲み会には参加できなくなり、寂しく感じることもあった。しかし、娘と話すのはとても楽しくて、それだけが俺の救いになっていた。姉が残してくれた娘が成人するまでは、彼女のことを最優先に考えようと心に決めていた。 そんなある日、いつものように娘を耳鼻咽喉科に連れて行った。着いた途端、娘はトイレに行きたいと言って診療所の中のトイレへ走っていった。するとその時、珍しく恵さんが俺に話しかけてきた。 「あの、すみません。ちょっと立ち入ったことをお聞きしてもよろしいですか?」 「ああ、はい。なんでしょう?」 「いつもお父さんがめちゃんを連れてきてらっしゃいますが、お母さんとは一緒に来ないんですか?」 「えっと、実はめいは僕の本当の娘ではないんです。姉の遺児で、引き取れる人が僕しかいなかったので僕が育てています。だから俺は独身の子持ちっていう、少々複雑な感じでして」 「そうだったんですね。私は勝手に奥さんとうまくいってないんだとか、いつも遅刻してくるから子育ても適当な方なんだって勘違いしていました。本当にすみませんでした」 恵さんは申し訳なさそうに頭を下げた。 なるほど。俺のことをそんな風に思っていたから、恵さんは俺に対して冷たかったのか。いや、実際に遅刻しているのは事実なので、悪いのは俺の方だ。 「いや、実際に遅刻してるのは事実なんで、悪いのは僕の方です。この前は診察券まで忘れてたんですから、適当だって思われても仕方ないですよ」 「ああ、でも今日、次郎さんの家庭の事情を知って見直しましたよ。私でよかったらいつでも頼りにしてください」 「それは心強いな。ありがとうございます。恵さんはいつも娘に優しくしてくれているので、ありがたいと思っていました。頼りにしていますので、これからも是非よろしくお願いします」 「はい、分かりました」 初めて恵さんと穏やかな会話ができた気がして、俺は嬉しかった。それに、今までのことを謝罪してくれた彼女に俺は好感を抱いた。 そうしていると、娘がトイレから戻ってきた。 「今日はパパとお姉ちゃん、お話してるんだね。珍しい。仲良くなったの?」 「そうだよ。お姉ちゃんとパパはちょっと仲良くなったんだ」 「へえ、良かった!お姉ちゃんとパパが仲良くしてくれると、めいも嬉しい」 「はは、よかった」 これで通うのも少しは楽になったな。この日の俺はいつもより機嫌よく娘と一緒に家に帰った。 それ以降、耳鼻咽喉科へ行くと、恵さんはこれまでとはまるで別人のように優しく接してくれるようになった。 … Read more