新社長が全社員の前で「高卒にボーナス300万払う価値はない」と宣言した瞬間、会議室は凍りついた。俺は高卒で倉庫作業員から這い上がり、先代社長の現場知識をシステム化して会社を3倍に成長させた。なのに、その息子は俺を「おもちゃ」と呼び、特許を奪おうとした。あの瞬間、優しい先代への恩義よりも、自分の尊厳を守る決意が勝った。俺は静かに退職届を置き、こう言った。「システムの独占許可を取り消します」新社…

「高卒にボーナス300万払う価値はない」 新社長は全社員の前で、そう言い放った。会議室が凍りついた。 俺は北山、40歳。工場や建設現場に必要な部品を供給する卸売り会社で、システム開発に携わってきた。高卒で倉庫作業員として入社し、7年間、現場の知識を叩き込まれた。その後、当時の矢沢社長に在庫管理システムの開発を提案した。社長は学歴よりも現場経験を何より大切にする人で、俺の提案を認めてくれただけでなく、自身が30年かけて蓄積した現場知識を全て提供してくれた。 5年かけて完成させたシステムは、天気予報や気温、市場の動きから未来の需要を予測し、売れ残った部品を必要とする地域へ自動で転売する。廃棄部品はゼロになり、会社の利益率は3倍に跳ね上がった。矢沢社長は俺の功績を尊重し、会社の規則を特別に改定。特許権を俺個人に帰属させ、会社は通常実施権のみを持つ独占契約を結んだ。その対価として、俺は年間300万円のボーナスを受け取っていた。 だが、ある日突然、矢沢社長が交通事故で亡くなった。葬儀の翌週、息子の春樹が2代目社長に就任した。有名国立大学を出て、大手メーカーで営業として働いていた男だ。矢沢社長は生前、こう漏らしていた。「学歴でしか人を見ない会社に息子がいるのが心配でな」 その不安は、現実になった。 社長就任初日の朝礼で、春樹は全社員の前に立った。「私が最初にやった仕事は、全社員の経歴書に目を通すことだ」そう言って、俺を見た。「北山、お前のことだ。高卒が会社の経営に関わるなどありえない。高卒に現場以外の仕事は無理だ」 俺のデスクにやってきた春樹は、システムの画面を一瞥して鼻で笑った。「これ、何年前のソフトだ? 古臭いし、手作業でデータ入力なんて非効率すぎる」「これは矢沢社長の30年分の現場データを…」「黙れ。口応えするな」俺の中で何かが冷たく凍りついていった。 翌日、俺は呼び出された。「お前は倉庫の整理係に配置転換だ。高卒なんだから現場が向いてるだろ」春樹は笑いながらそう告げた。屈辱に耐えながら、俺は再び倉庫で無言の作業を続けた。 2週間後、ボーナス支給の1週間前。俺は再び社長室に呼ばれた。春樹はライセンス契約書と経理資料を机に広げていた。「特許使用料として年間300万円も受け取ってるらしいな。高卒に払う金額としては法外だ。見直しをさせてもらう」「それは契約内容の変更に関わります。双方の合意が必要です」「文句あるなら法的手続きを取ればいい。どうせ弁護士費用も払えないだろう」 俺は矢沢社長への恩義から、その場で歯を食いしばって耐えた。 そして、迎えたボーナス支給日。春樹は全社員を集め、朝礼を始めた。「私はこれまでの古い体質を刷新していく。まずは無駄な経費の削減だ」そして、俺を指さした。「北山、お前が開発した在庫管理システムだが、私が前の会社でも使っていた業界標準ソフトに変える。高卒が作ったおもちゃなど不要だ」 全社員が息を飲んだ。倉庫のベテラン作業員が立ち上がった。「ちょっと待ってください! 北山さんのシステムのおかげで俺たちの仕事は…」「黙れ。現場の意見など聞いていない」春樹は冷たく言い切った。「それと、高卒にボーナス300万払う価値はない。嫌ならやめろ」 その瞬間、矢沢への恩義の気持ちが、ぷつりと途切れた。俺の尊厳が、目の前で丸ごと否定されたのだ。 俺は静かに立ち上がり、「はい、わかりました」とだけ言って、会議室を出た。自分のデスクで退職届を書き、矢沢社長と交わしたライセンス契約書の控えを取り出した。そこには、特許権者である俺が書面で通知した場合、30日後に独占許可を終了できるという条文があった。さらに、矢沢社長は緊急時には即時解除も可能という但し書きまで加えてくれていた。 俺は会議室に戻り、春樹の前に退職届を置いた。そして告げた。「在庫管理システムの特許権は私個人に帰属しています。退職に伴い、会社への独占許可を取り消します」俺は用意してきた契約終了通知書を差し出した。「サインをお願いします」 春樹はペンを手に取り、一瞬手が震えた。「待て、これは…」とつぶやきかけたが、自分の判断を否定することが許せないのか、顔を歪めながら勢いよくサインしてしまった。「私が導入するシステムで十分だ。お前のシステムなど、ガラクタ当然だからな」その言葉には、先ほどまでの余裕は感じられなかった。 会社を辞めた翌日から、俺は自宅での新しい日々を始めた。時間に余裕ができた俺は、以前から気になっていたシステムの改良に着手した。矢沢社長から教わった現場知識を丁寧に見直し、実際に運用しながら得た需要変動の傾向も新たなデータとして加えた。改良を終え、特許の年度更新手続きを行うと、更新情報は数日後に特許公報に掲載された。公報は誰でも閲覧できる。俺のシステムの価値を本当に理解している人間がいるなら、必ず反応があるはずだ。 掲載から1週間後、自宅のポストに一通の封筒が届いた。差出人は桑田。業界でトップクラスとして知られる部品卸売り会社の社長だった。業界団体の勉強会で何度か顔を合わせ、俺のシステムに興味深そうに質問してきた男だ。手紙にはこう綴られていた。「あなたの在庫管理システムに強い関心があります。ぜひ直接お話を聞かせてください」 俺はすぐに電話をかけた。桑田社長は説明してくれた。「実はうちの会社はかつて業界シェア大手だったんです。しかし在庫管理が古いやり方のままで、今ではシェア1位を奪われてしまいました。北山さんのシステムのことは、業界内で噂に聞いていましてね」俺は正直に、つい最近会社を退職したことを伝えた。桑田は一瞬の沈黙の後、「むしろそれは好都合です」と言った。「特許の独占料として年間500万円を支払います。合わせて、我が社のシステム管理部門の責任者として会社を一緒に変えていただきたい」 破格の待遇に俺は驚いた。迷いはなかった。数日後、俺は桑田の会社で正式な契約を結んだ。 入社から1週間後、システムの導入準備が着々と進んだ。システムが稼働を始めると、効果はすぐに現れた。倉庫で10年以上眠っていた古い部品や工具類が、必要な工事事業者へ次々と売れていった。廃棄寸前だった在庫が、新たな収益源に変わったのだ。桑田は驚きを隠せず報告してくれた。「北山君、廃棄予定だった在庫が300万円以上の利益を産んだよ」 台風接近の予報が出た翌日、システムの指示通りに仕入れた補修部品に、予測通り緊急注文が殺到した。他社が対応できない中、我が社は即座に納品できる。顧客からの信頼は日に日に高まっていった。導入から2ヶ月後、桑田が満面の笑みで報告してくれた。「北山君、君のシステムのおかげで、月間利益が過去最高を記録したよ」 さらに翌週、業界新聞に大きく取り上げられた。「次世代システムで大復活」の見出しの下、桑田の会社が在庫管理の革新により業界トップクラスに返り咲いたことが書かれていた。 そんなある日の夕方、俺の携帯電話が鳴った。画面には元同僚の川島の名前があった。「久しぶり。今話せるか?」川島の声は困惑に満ちていた。「実はさ、会社がやばいことになってるんだ。春樹社長が投入した新システムが全然使えない。社長は建設ラッシュだと聞いて大量に部品を仕入れたんだが、もうピークは過ぎてて全く売れないんだよ。今じゃ倉庫が在庫の山で埋まってる。逆に緊急で必要な部品は在庫切れで、客から怒鳴られる毎日だ」 数日後、桑田が俺を商談に同席させてくれた。相手は新規の大口客だった。桑田が俺を紹介する。「当社の在庫管理システムについて、開発責任者から説明させます」俺は説明を始めた。客は興味深そうに頷いていたが、ふと苦い表情を浮かべた。「実は以前取引していた会社で、緊急で特殊ボルトを頼んだら在庫切れだと断られたんです。以前はこちらから依頼する前に向こうから声をかけてくれていたものですが…30年も世話になった会社だが、もう信用できない」 その客は、俺の前の会社から流れてきたのだと悟った。商談は成立し、新たな大口取引が始まった。その後も、似たような新規客が次々と訪れた。「急遽必要になった配管部品を発注したら在庫切れで工事が遅れました。倉庫を見せてもらったら、使わない部品が山積みなのに必要なものは何もない。在庫管理が崩壊しているとしか思えません」前の会社は、俺のシステムを失ったことで、顧客が本当に必要とする部品を予測できなくなっていた。 ある日、業界新聞に衝撃的な見出しが飛び込んできた。「大手卸売り会社、取引先減少で経営悪化」記事には、前の会社の名前が明記されていた。在庫管理の失敗により顧客離れが加速し、経営が急速に悪化していることが報じられていた。春樹が導入した新システムは今のトレンド情報しか提供せず、仕入れてもすでにピークを過ぎ、在庫を抱える悪循環に陥っている。さらに主要取引銀行が融資の見直しを検討中とも書かれていた。 当然の結果だ。矢沢社長の30年分の現場経験を蓄積したシステムを丸ごと失ったのだから。 ある日の午後、受付から内線電話がかかってきた。春樹が訪ねてきているという。会うべきかどうか、一瞬迷ったが、俺は立ち上がって桑田社長の部屋へ向かった。事情を説明すると、桑田は穏やかに言った。「面会に応じてあげたらどうでしょう? あなたからも言いたいことがあるでしょうから」 応接室に入ると、春樹がソファーに座っていた。顔色は真っ青で、目の下には深いクマができている。スーツはしわだらけで、見るからに憔悴しきった様子だ。以前の傲慢な態度は微塵も感じられない。俺の姿を見ると、春樹は立ち上がった。そして次の瞬間、その場で土下座した。床に額を押し付け、全身を震わせている。 「お願いだ。父が残した会社を救ってくれ」 声は震えていた。俺は黙って春樹を見下ろした。矢沢社長が築いた会社を守りたい気持ちはある。しかしそれは、春樹が現場を尊重し、社員を大切にする経営をしていればの話だ。 春樹は土下座したまま話し始めた。「システムを失ってから、在庫管理が完全に崩壊した。売れない部品が倉庫を埋め尽くし、必要な部品は品切れで客が次々と離れていく。先月だけで主要取引先の半分を失い、銀行から融資を打ち切ると最後通告を受けた。顧問弁護士からは、なぜ契約解除にサインしたのかと散々叱責された」顔を上げ、涙で濡れた目で俺を見上げた。「お前のシステムをまた使わせてくれ。給料もボーナスも好きなだけ払う。特許使用料は年間1000万払う。何でもするから、頼む」 その懇願は真剣そのものだった。しかし、俺の心はすでに決まっていた。 俺はソファーに座り、春樹と視線を合わせた。「あなたは私を高卒だからと馬鹿にし、倉庫に追いやり、特許使用料を一方的に減額し、全社員の前で侮辱しました」一呼吸置いて、俺は続けた。「でも、私が一番許せないのは、矢沢さんが大切にした現場の知恵を踏みにじったことです。私が開発した特許システムは、矢沢さんが教えてくださった現場の経験を落とし込んだものです。矢沢さんは、私が開発したシステムの特許を私個人のものにしてくださいました。特許が認められた日、社長は俺の肩を叩いてこう言ったんです。『お前の努力の結晶だ。これはお前のものだ』と」 春樹の顔には、驚きと後悔が混じっていた。父親が何を大切にしていたのか、今になって理解したのかもしれない。俺は最後に告げた。「これは法律で守られた私個人の財産です。あなたにはこれを使う権利も資格もありません。学歴で人を判断し、現場を軽視した報いです。もう手遅れです」 春樹は泣き崩れた。肩を震わせ、嗚咽を漏らしている。やがて、よろめきながら立ち上がり、俯いたまま力なく応接室を出ていった。扉が閉まる音だけが静かに響いた。 その瞬間、俺は高卒で働き始めて以来大切にしてきた現場の知恵と技術を守りきったという充実感に包まれた。 それから半年後、俺は業界新聞に記事を見つけた。前の会社が経営破綻で倒産したという内容だった。在庫管理の失敗で損失が膨らみ、取引先も次々と離れ、最終的に主力銀行が支援を停止。経営再建は不可能だったようだ。春樹の会社からは多くの優秀な人材が我が社に転職してきた。その一人である川島から、春樹のその後を聞いた。春樹は業界から完全に相手にされなくなり、今は日雇いのバイトで生計を立てているという。 一方、俺は桑田から次世代システムの開発責任者に任命され、若手社員の指導も任された。 ある日曜日、俺は矢沢社長の墓前に立ち、静かに誓った。「現場で得た知識と経験を何より大切にするあなたの教えを、これからも守り抜いていきます」 穏やかな風が吹き、俺は新たな決意を胸に歩み出すのだった。

27 August 2026

研修から戻って出社したその瞬間、部長がニヤニヤしながら言った。「おい、やめる人間がこんなところで何してるんだよ」。俺はやめるつもりなんてない。そう答えると、彼は俺の名前が書かれた退職届を突きつけてきた。しかも社長の判まで押されている。こんな書類を書いた覚えはない。俺が作ったわけじゃないのは明らかだ。しかし、部長は「これは未来や」と笑うばかり。俺は「後悔しないでくださいね」とだけ言い残し、社長…

研修旅行から戻って出社した瞬間、よりによって最初に顔を合わせたのは部長だった。「おい、やめる人間がこんなところで何してるんだよ」と、彼はニヤニヤしながら言った。 俺は「やめるつもりはありませんが」と答えたが、部長はさらに不気味な笑みを浮かべ、「これは未来や」と言って、一枚の書類を見せてきた。 そこには俺の名前が書かれた退職届があった。しかも社長の委環まで押されている。偽物ではないが、部長が何か細工して偽造したのは間違いない。俺はすぐに悟った。そうか、そういうことか。 「後悔しないでくださいね」 そう言い残して、俺は社長の元へ向かった。だが、部長はまったく分かっていなかった。これをきっかけに、自分の立場が危うくなるとは思いもせずに。 俺の名前は高部。32歳。大学を出てすぐに入社した保険会社で営業として働いて、今年で10年目になる。社長の橋本さんはとにかく優しい人で、その影響か社員同士の仲も良く、社内は穏やかな空気に包まれている。先輩も後輩も気持ちのいい人ばかりで、俺は楽しく仕事をさせてもらっていた。 だが、そんな職場にも気の合わない人間はいる。特に部長の北田さんとは、入社当時からとにかく相性が悪い。気が合わないというより、一方的に俺が目の敵にされている気がする。少しでもミスをすれば必要以上に叱られるし、大きな契約を取って帰ってきても嫌味を言われる始末だ。 「契約一つ結べたぐらいでそんなに喜べるとは、随分と目標が低いな」 こんな調子だ。しかし、同僚たちは一緒に喜んでくれたし、後輩たちは「さすがです」と持ち上げてくれた。社長も「お手柄だ」と褒めてくれたので、部長の嫌味など気にならなかった。 そんな風に部長のことは気に入らなかったが、他のみんながいい人ばかりなので、俺は概ね良好に仕事をしていた。そして入社10年目の今年、ついに契約件数で社内1位になることができた。 「高部君、見事だ。素晴らしいよ」 「ありがとうございます」 尊敬する社長から褒められたことが、とにかく嬉しかった。後輩たちも一緒に喜んでくれていた。 「これは特別にご褒美を上げないとな」 社長はそう言って、社長賞として特別ボーナスをくれると約束してくれた。 「いいんですか?」 「もちろん。こんな素晴らしい結果を出したのは高部君が初めてだ。これによって後輩たちのやる気にも繋がるだろう。遠慮なく受け取りなさい」 その日から後輩たちのやる気に火がつき、みんながより熱意を持って仕事をするようになった。俺が出した結果が会社全体の士気を上げたようで、そのことも嬉しかった。 しかし、みんなの士気が上がるのに比例して、部長からの嫌がらせはひどさを増していった。俺宛ての郵便物を渡さずにゴミに捨てられたり、契約先からの電話を「俺は留守だ」と嘘をついて取り次いでもらえなかったり、お客様のために作った見積もり書をシュレッダーにかけられたりもした。 「ちょっと、何てことするんですか?」 「すまん、すまん。つい間違っちゃってな。でもミスは誰にでもあることだろ」 抗議しても、こんな風にのらりくらりと避けられてしまう。さすがにうんざりするし、いちいち相手にするのにも疲れてしまう。しかし、部長に文句を言っても俺の成績が上がるわけではない。ここは自分がしっかりすべきだと、気持ちを入れ替えた。 契約先とは細かく約束の時刻を決め、連絡は確実につける。書類は記載事項を徹底的に確認し、処分も人に任せず全て自分で行い、保存しておく分は完璧に保管する。 そうしていたら、他の上司や社長、契約先からも「高部の仕事は確実で信頼できる」という評価をもらえるようになった。俺は部長からの嫌がらせを自分がより成長するチャンスだと前向きに捉え、もっと仕事に打ち込んだ。 そんなある日のことだった。 「研修旅行。契約トップの人間だけが行くことができる研修だ。うちからは高部君に行ってもらおうと思うんだが、どうだ?」 契約トップの人間が集まる研修なら、俺にとってもいい刺激になるし、たくさんのことを学べるだろう。 「是非行かせてください」 俺はすぐにそう返事をした。そして研修に行く前日。明日からの研修でどんな人たちに出会えるのだろうと楽しみにしていた。 「高部君、ちょっといいか?」 社長から呼び出され、明日からの研修のことかと思い社長室に向かった。 「この見積もり書、金額が明らかにおかしくないか?」 そう言って見せられた見積もり書は、俺が作成したものだった。 確かに金額が明らかにおかしい。掛け金に対して受け取り金額が多すぎる。よく見ると、見積もり書の受け取り金額の数字にゼロが一つ足りなかった。こんな馬鹿な見積もりはありえない。 部長の仕業だな。 そう思うが、それを社長に言っても仕方がないし、仕事も止まってしまう。 「確認不足でした。申し訳ありません。すぐに作り直します」 俺は社長に謝罪し、すぐに書類を直した。 「申し訳ありませんでした。もう一度確認していただけますか?」 直した見積もり書を社長に提出する。 「うん、確かに」 社長が頷く。 「しかしどうした?高部君らしくもない」 「申し訳ありません」 「高部君は明日から研修に行くんだろ?私が気がついたから良かったものの、このまま出していたら一大事だったぞ。次からは気をつけてくれよ」 「はい。ご迷惑をおかけしました」 「分かればいい。明日からの研修、しっかり学んでくるんだぞ」 「はい。ありがとうございます」 社長はミスした人間にもちゃんと最後はフォローをする。やはり素晴らしい人柄の人だと思った。そして俺は次の日から研修旅行へ向かった。 2泊3日の研修。そこで出会う人たちはみんな素晴らしい能力を持つ人ばかりだった。普段会社で仕事をしているだけでは得られない情報や仕事の仕方、新しい考え方など、たくさん学ぶことができた。会社でトップになったからと言って、そのことに傲り気を抜いてはいけないなと、気持ちを引き締め直すこともできた。3日間とは思えないほど充実した時間を過ごした。 そして会社へと戻る日。 「おい、やめる人間がこんなところで何してるんだよ」 出社してすぐ、よりによって最初に顔を合わせたのは部長だった。ニヤニヤと笑いながらそう声をかけてくる。 「3日間の研修に行ってたんです。やめるわけじゃありません」 部下が研修に行っていたことすら知らないのかと、不愉快に思いながら返事を返す。しかし部長はより不気味に笑った。 … Read more

27 August 2026

同窓会で、かつて誰もが振り返るほど綺麗だった高野さんの噂話が聞こえてきた。「劣化しすぎでしょ」「あんなに綺麗だったのに」。女子たちの笑い声が響く中、ボサボサの髪で毛玉のついたセーターを着た彼女は、俯いたまま黙ってジュースを飲んでいた。失恋で自暴自棄になっていた俺は、彼女の姿に自分自身を重ねていたんだ。そして、思わず彼女を守るように怒鳴った。すると彼女は涙目で「ありがとう」と微笑んだ……その日…

「いや、劣化しすぎでしょ。ありえないよ。あんなに綺麗だったのに。」 「見てよ、胸の名札。間違いないって。あの人、みずほだよ。」 高野みずほ。その名前を聞いて、俺は思わず振り返った。 俺は水原高尾。二十九歳の平凡なサラリーマンだ。つい最近、六年間付き合った彼女に振られた。何の問題もなく楽しく過ごしてきたと思っていたのに、結婚を考え始めた矢先のことだった。 結婚にあたって、男として不安だったのは経済力だった。一生懸命働いて成果を出し、少しでも給料を上げたかった。彼女のために頑張って、将来を安心させてあげたかった。だから残業も休日出勤も必死にやってきた。 だけど、彼女はそれが寂しかったと言う。 「私より仕事が大切なんでしょう。自分のことばっかりで、私のことなんてどうでもいいのよね。結婚しても寂しい思いをするのは目に見えてるわ。もうあなたとの未来は考えられない」 そう一方的に別れを告げられた。 俺はもちろん引き止めた。限られた休日を潰してまで働いていたのは、彼女との幸せな結婚のためなんだと何度も言った。しかし、彼女の心はすでに俺から離れてしまっていた。寂しい思いをさせていたことに気づいていなかったわけじゃない。でも、彼女は理解してくれていると思っていた。そんなことで俺たちの絆が壊れるはずがないと。それは、俺の一方的な勘違いだったらしい。 別れを告げられた日はクリスマスイブだった。俺はプロポーズしようと、鞄に指輪を忍ばせていた。帰り道、俺は泣きながらその指輪を駅のゴミ箱に投げ入れた。 彼女に振られてから、俺は抜け殻のようになっていた。仕事に集中できないし、何を食べても味がしない。好きだったお笑い番組を見ても、全く笑えなかった。休日はぼんやりしたまま一日が終わっていく。 同窓会の案内が届いたのは、そんな時だった。高校を卒業してもう十年も経つのか。当たり前に顔を合わせて遊んでいたクラスメートも、卒業すれば会うこともない。みんな元気にやってるのかなと、懐かしさに浸った。絶望のどん底にいた世界が、少し色づいた気がした。 「行ってみるか」 俺は出席の欄に大きく丸をつけた。 同窓会が開かれたのは、地元の大きなホテルだった。正月休みで実家に帰省していた俺は、スーツを全部一人暮らしのアパートに置いたままだった。慌てて父親のスーツを借りたが、なんとなく昭和の香りがする古臭いものしかない。しかも体型に合わない。幅が妙に広い、ちょっと大きめのスーツはひどく格好悪かったが、仕方がなかった。 ホテルの入り口で声をかけてくれたのは、サッカー部で一緒だった太田だった。 「おお、久しぶりじゃん、水原。こっちこっち。なんだよ、そのスーツ。似合ってねえぞ。おっさんみたいだな」 高校時代と同じように、いきなり悪態をついてくる太田。 「親父のなんだよ。スーツ持って帰るの忘れちゃってさ」 「バカだな。相変わらず」 二人で言い合っていると、なんだかあの頃に戻ったみたいだ。落ち込んでいたけど、やっぱり来てよかった。太田の笑顔を見ながらそう思った。 会場に入ると、懐かしい顔ぶれが次々に声をかけてくれた。お互いの近況を言い合い、盛り上がった。その中で太田が嬉しそうに言う。 「俺、来月結婚するんだ。金ないから、披露宴とかはなしで身内で小さな式をあげるだけだけどな」 満面の笑顔で「金がないから」と言う太田。俺もそう言えていたら、何か違っていたのかもしれない。経済力にこだわりすぎて、目の前の彼女の幸せを考えてあげられなかった。太田が無性に羨ましかった。 「水原は彼女いないの? 結婚は?」 悪気がないのは分かっているが、今の俺にはその質問が辛すぎた。 「いや、結婚も彼女もいないよ」 そう答えるのが精一杯だった。 俺たちがワイワイと話している後ろで、女子たちがこそこそと何か言い合っているのが聞こえてきた。 「いやいや、劣化しすぎでしょ。ありえないよ。あんなに綺麗だったのに」 「見てよ、胸の名札。間違いないって。あの人、みずほだよ。高野みずほ」 俺はその名前に思わず振り向いた。女子たちが見ている方向に目をやると、目が窪んだちょっと小太りなボサボサ頭の女性が一人、俯きながらオレンジジュースを飲んでいた。しかも、みんなお洒落をしている中、その女性はジーパンに毛玉のついたセーターという、ひどく冴えない格好をしている。 「マジで? あれがみずほちゃん? 信じられない。なんかショックなんだけど。人生のピークが高校生だったのね」 「めっちゃ可愛かったのにね、みずほちゃん。十年も経つとそりゃ変わるか。にしても変わりすぎでしょう。っていうか、髪の毛くらい綺麗にしてくればいいのに。しかも何? あの服、ヤバくない?」 女子たちは言いたい放題だった。この距離だ、きっと彼女にも聞こえているはずだ。気まずそうにただひたすらジュースを飲んでいる。 せっかくの晴れやかな場で楽しく話しているのに、なんだか悲しくなってしまった。俺は女子たちの横を通り過ぎ、一人俯いたままの高野さんに話しかけた。 「高野さん、久しぶり。俺、水原。わかる?」 話しかけられたことに驚いたのか、高野さんは困った表情で振り向いた。 「水原君……」 完全に分かっていないであろう顔で、じっと俺を見つめてくる。 「覚えてないよね。一年の時、同じクラスだっただけだし」 「えっと……あ、覚えてるよ。カーブだったよね」 「そうそう。嬉しいな。思い出してくれた」 俺たちが話している間も、女子たちの声は止まない。 「やっぱり、みずほちゃんの顔、化粧もしてないし」 「十年って残酷だね。あんなに人を変えちゃうなんてさ」 「おい、やめろよ!」 俺はたまらず、女子たちに向かって怒鳴った。 「せっかくの同窓会なのに、なんだよお前ら。悪口ばっか言ってんじゃねえよ。くだらねえな」 眉間に皺を寄せて睨みつけてくる女子たちに、正直怯んでしまった。高校時代の俺だったら、女子には絶対に歯向かわなかっただろう。集団で来るから怖いんだよな、女子って。でも、今はいい大人だ。俺はぐっと歯を食いしばり、もう一度言った。 「もうやめろよ。聞こえてるって分かって言ってんだろ。高野さんの気持ちも考えろよ」 … Read more

27 August 2026

パパの遺産で遊んでるガキが偉そうに会議とか、笑えるわ——18歳の私が社長に就任した初日の会議で、役員たちは全員の前でそう言って笑った。私は父の急死によって、その会社を引き継いだ。周りの社員たちも、誰一人として私を助けようとはしなかった。毎日深夜まで一人でプログラミングを続け、彼らの失敗を必死にカバーしたのに、みんなはただ私を軽蔑するだけ。そしてある日、私は彼らを全員クビにできる秘密を握った。…

「このガキが社長だと? 冗談だろう。だったら全員クビにしてみろよ。お前に俺たちを首にする度胸なんてあるわけないだろう。パパの遺産で遊んでるガキが偉そうに会議に参加してるなんて笑えるわ。」 本社8階の重役会議室。パーカーとジーンズ姿の18歳の女子大生が、罵声の渦の中で立っていた。川口水希。父の遺言により18歳で社長に就任したばかりの少女だ。3人の役員が彼女に浴びせる侮辱の言葉。周囲の社員たちは凍りつき、誰も助けようとしない。 「わかりました」 水希は静かに答え、無表情で席についた。その冷静さが、さらに役員たちの怒りを煽った。 「聞いてんのか? ガキが社長ごっこして会社が傾いてんだよ」 開発部長の高橋だけが、心配そうに水希を見つめていた。年商15億円の企業の若き社長が、無能な役員たちに侮辱される。しかし、役員たちはまだ知らない。目の前の少女が持つ隠された真実を。そして、自分たちが犯した過ちの代償がどれほど恐ろしいものかを。 1年前、K&I株式会社の創業者、川口健一が心臓発作で急逝した。従業員80名、年商15億円のAI技術開発企業。健一は温厚で誠実な経営者として慕われていた。しかし誰も知らなかった。健一は名義上の社長に過ぎず、真の経営者は別にいたことを。 葬儀の日、17歳の娘・水希は静かに涙を流していた。 「水希、お前が本当の社長だ。自信を持て」 病床で父が残した最後の言葉。水希は父の意思を継ぐことを決意した。 1ヶ月後、臨時株主総会が開催された。 「川口健一氏の遺言として、娘の川口水希を社長に推薦します」 副社長の山崎達也が提案した。株主たちはざわついた。 「17歳の娘に経営経験があるのか? 」 「彼女は大学に進学しながら会社を支えてくれるでしょう」 株主総会は賛成多数で承認された。しかし役員たちの表情は冷たかった。 それから1年。18歳になった水希は国立大学工学部に進学した。講義の合間に経営判断を行い、深夜までプログラミングを続ける日々。しかし、会社の状況は悪化していた。役員たちは水希の指示を無視し、会議では居眠りや私語ばかり。社員たちも水希を軽く見ていた。 「社長の娘が遊びで経営してるだけだろ」 「あんなガキに何ができるんだよ」 開発部長の高橋ゆかりだけが、水希を支持していた。 「社長、新技術の開発プランですが」 「ありがとうございます、高橋さん。これで進めましょう」 高橋は水希の技術力を誰よりも理解していた。しかし役員たちの圧力は日増しに強くなる。 「高橋、お前も社長の味方か? 立場を考えろよ」 高橋は黙って耐えるしかなかった。 ある日の深夜、オフィスに一人残る水希。パソコンの画面には複雑なプログラムコードが並んでいた。時計は午前3時を指していた。 「お父さん、私、ちゃんとできてるかな? 」 水希の声が静かなオフィスに響く。涙がキーボードに落ちそうになり、慌てて拭った。机の引き出しから父との写真を取り出す。創業当時、まだ13歳だった水希と父・健一が笑顔で映っている。 「お父さんはいつも、水希なら大丈夫って言ってくれた」 誰にも理解されない孤独。社員からは見下され、役員からは侮辱される日々。しかし水希には父から受け継いだ使命があった。この会社を守ること、そして父が大切にした従業員たちの未来を守ること。写真の父が優しく微笑んでいるように見えた。水希は写真を胸に抱き、深く息を吸った。そして再びキーボードに向かう。画面には13歳の時に開発したAI技術のコードが映っている。この事実を知るものはほとんどいない。 そんなある日、重要取引先の藤村テクノロジーズから連絡が入る。 「社長、藤村会長が重役会議に出席したいとのことです」 藤村誠一郎。業界の重鎮だ。5年前、父・健一と共に事業を始めた際の恩人でもある。そして、13歳の水希の技術を誰よりも高く評価してくれた人物。水希の心に一筋の光が差し込んだ。疲れきった顔に、初めて希望の色が浮かぶ。 「藤村会長なら、きっと分かってくれる」 翌日、重役会議の日。そして、あの侮辱の嵐が待っていた。 重役会議室。役員たちの侮辱が終わり、会議が始まった。 「では、今月の業績報告から始めよう」 北川専務が資料を配る。水希は黙って資料に目を通した。 「北川専務、この契約内容について説明してください」 「ああ、何か問題でも? 」 「取引条件が不利です。なぜこの内容で承認したんですか? 」 「社長は黙ってろ。経営のことは俺たちに任せておけ。大学生が経営に口出しとか、マジで笑えるんだけど。パパの会社で遊ぶな。おとなしく学校行ってろよ」 役員たちの嘲笑が響く。水希は静かに耐えていた。 「社長の指摘は正しいです。この契約は見直すべきです」 「高橋、お前は黙ってろ」 高橋は押し黙った。山崎副社長も何も言えずにうつむく。 「では、私から提案があります」 水希が新技術開発のプランを説明し始める。それは医療診断AIの新機能開発。実現すれば年商20億円も夢ではない画期的なものだった。 … Read more

27 August 2026

「お前は不妊だ。役立たずの嫁だ」――義母と夫は、毎日のように笑いながら私を責め立てた。あの日も「お前の実家なんてボロ屋だろ」と笑われた時、私は静かに言い放った。「今すぐ実家に帰ります。5000万の車で、1億の豪邸に」。夫は大笑いした。「負け惜しみも大概にしろ」と。だけど、私は全て知っていた。夫の「不妊」の真実も、彼が隠している借金も。そして、私の実家の本当の姿も。彼らが私をなじればなじるほど…

義母と夫は、私が子供を産めないことを、まるで私の罪のように毎日のように責め立てた。 「役立たずの嫁だな。うちの息子がもったいない」 「お前みたいな不妊の女をもらってやったんだ。感謝しろ」 義母はそう言い、夫は「母さんの言う通りだ」と頷くだけだった。私は高卒で、夫は名門大学を出て一流企業に勤めている。それは事実だ。義母はそのことばかりを持ち出しては、私の実家を馬鹿にした。 「農家の娘なんて、やっぱり教養がないわね」 「俺が働いてやってるんだ。文句があるなら出て行け」 夫は休日も私を無視して、愛車のベンツをいじっていた。私は黙って耐えるしかなかった。実家の両親に心配をかけたくなかったからだ。 ある日、義母と夫はまた私のことを馬鹿にして笑っていた。 「お前は本当に役立たずだな。家事もできないし、まともな仕事もできない。俺がいなかったら生きていけないくせに」 「おまけに実家はボロ屋で、ご両親は毎日泥まみれで働いているんでしょう。かわいそうにね」 「しかも不妊だしな。まったく、詐欺にあった気分だよ」 笑いながら心をえぐるような言葉を続ける2人。だが、この日はいつもと違った。私は静かに、しかしはっきりと口を開いた。 「今すぐ実家に帰ります。5000万の車で、1億の豪邸に」 2人は一瞬言葉を失い、次の瞬間、夫は大笑いした。 「は? 5000万の車? 1億の豪邸? 何言ってんだ、このバカ。俺のベンツだって700万だぞ。負け惜しみも大概にしろ」 そう言ってまた笑った。義母も「本当に負け惜しみがひどいわね」と続けた。私は何も言わず、ただ心の中で思った。もう、すべて終わりにしよう。この日をずっと待っていたのだと。 実は、私は以前から夫に言われていた「不妊」という言葉に疑いを持っていた。私たちは病院で検査を受けたことがある。結果を見たのは私だった。夫は無精子症で、原因は私ではなかった。だが、夫はそれを私に知られまいと、私の検査結果をすり替え、自分は何もないかのように装っていた。私は黙っていた。いつかこの時が来るまで、泳がせておけばいいと思ったのだ。 私は家を飛び出し、実家に電話をかけた。両親は驚いていたが、私がすべてを話すと、「よく耐えた」とだけ言ってくれた。 数日後、私は両親に頼んで、夫と義母がいる家に車で迎えに来てもらった。玄関を出ると、そこにはランボルギーニが停まっていた。作業着姿の両親が運転席から降りてくる。夫は目を丸くして、車を見つめていた。 「な、何だこれ…」 「あ、お父さん、お母さん。迎えに来てくれたんだね」 両親は夫と義母に丁寧に挨拶をした。 「いつも娘がお世話になっております。仕事着のままで失礼しますね」 夫は混乱しながらも、車を見て目を輝かせていた。 「こ、この車… ランボルギーニですよね? どうしたんですか?」 私の父が答えた。 「わしの昔からの夢だったんでな。還暦の記念に、娘が買ってくれたんじゃ」 夫と義母は信じられないという顔をした。 「そんな… 農家の収入で買えるわけがない。レンタルでしょう?」 私は笑った。 「レンタルじゃないよ。正確には、うちの実家の年収は、あなたたちが思っているよりずっと多いの。私が今まで黙っていたのは、あなたたちに実家の本当のことを言う価値もなかったから」 私はスマホを取り出し、ある動画を再生した。今まで夫と義母が私にしていた嫌がらせの数々だ。特に、実家から届いた野菜を2人が無言で捨てた映像は、はっきりと残っていた。 「これは…!」 「証拠は全部あるよ。いつか使えるように、家にこっそりカメラを仕込んでいたんだ」 2人は言葉を失った。私は続けた。 「あんたたちは、私のことを高卒で貧乏な農家の娘だと馬鹿にしていた。でも、本当に価値がないのはどっちなのか、よーく分かったでしょう?」 夫と義母は、何も言えずにうつむいた。私は両親と一緒にランボルギーニに乗り込み、家を出た。 翌日、夫と義母が田舎の実家にやって来た。今度はおとなしく謝るのかと思ったが、違った。 「やっぱりあの車は嘘だったんだろ? こんなボロ屋に住んでるくせに」 「そうよ。見せかけだけの虚勢を張って、恥ずかしくないの?」 夫は私の実家を指さして笑った。祖父から譲り受けた、古いけれど思い出の詰まった家だ。私は両親と顔を見合わせ、ため息をついた。 「そんなに言うなら、本当の家を見せてあげるよ」 私は両親と一緒に、彼らをある場所へ連れて行った。到着したのは、大きな豪邸だった。駐車場には、マイバッハやロールスロイスが何台も停まっている。夫は目を輝かせて、その車の数々に見とれていた。 「こ、これ… 全部誰の車なんだ?」 「祖父のコレクションだよ。この家も、両親が建てたんだ」 夫と義母はあ然としていた。父が説明した。 「わしらも最初からこんなに裕福だったわけじゃない。農家は天候に左右される。昔は本当に苦しかった。そんな時、娘が進学を諦めて働いてくれてな。それで何とかここまで来れたんだ。この家は、娘への恩返しでもあるんだよ」 … Read more

27 August 2026

海外赴任から帰ってきた息子が社長を務める会社で、役員会議に出た初日、新しく赴任してきた佐々木課長が俺の顔を見てこう言ったんだ。「あんた、部外者だろ。会議は社員だけで十分。じじいは出ていけ」と。俺はその場で何も言わなかったが、その日から数週間、彼の言動を密かに録画し続けた。パワハラ、セクハラ、そして会社の金を使った不正まで、すべて証拠を掴んだ。解雇を告げるための会議を開くその日、彼は何も知らず…

その日、営業部の重要会議で、俺は佐々木課長に面と向かって「会議は社員だけで十分。GGは出ていけ」と言われた。営業部長の火山が真っ青になるのが見えた。俺は広坂商事の会長、広坂刑事。66歳だ。 息子が社長に就任してから、俺は自宅でリモートで会社の様子を伺っていた。営業部には小さな防犯カメラが設置されていて、俺はそれをパソコンで監視するのが日課だった。そんなある日、息子から両親への海外旅行の提案があり、妻と初めてのハワイ旅行に出かけた。仕事一筋だった俺を、妻はいつも支えてくれた。息子の教育も、すべて妻が引き受けてくれた。ハワイから帰国し、孫たちにお土産を渡して、また平和な日々が戻ってきた。 しばらくして、俺は監視カメラで佐々木の様子に気づいた。佐々木はT大卒のエリートで、支店から本社の課長として赴任してきた男だ。最初の挨拶から、わざわざ大学名を強調するような、嫌味なタイプだった。息子と同じ42歳だという。佐々木は高卒社員を見下し、パワハラも辞さなかった。事務員にセクハラまがいの言葉をかけ、業務中にも関わらず社員にコーヒーを買いに行かせる。自分の飲むコーヒーを経費で落とそうとする。そして、佐々木の机を中心に捉えた小さなカメラからは、パソコンでゲームをしている姿が映し出されていた。全くの給料泥棒だ。 俺は佐々木に対する対策として、さらに小さなカメラを業者に依頼して設置した。そして、佐々木の机の内線に頻繁に電話がかかってくることに気づき、事務員に調べてもらうと、それは佐々木の妻からの電話だった。佐々木は週に3日も家に帰っていないという。俺は佐々木の妻に電話をし、顧問弁護士と探偵を紹介した。探偵の報告は、さらにひどいものだった。佐々木はほぼ毎日キャバクラに通い、得意先の独身女性のマンションに入り浸っていた。佐々木の妻は、ゆっくり弁護士を挟んで話をした末、離婚を決断した。内容証明を送り、慰謝料と子供たちの養育費を支払わせることで話はついた。 そして、俺は息子に佐々木の不正な領収書を調べさせた。佐々木以外の営業担当に確認すると、誰もそのスナックの存在すら知らなかった。経費の不正使用は、3年分でかなりの金額になっていた。俺は顧問弁護士に損害賠償の書類を書いてもらい、解雇するための会議を開くことにした。 その日、俺は会議室に足を運んだ。営業社員だけが集まる会議だった。俺は佐々木の隣にそっと座った。一通りの成績発表が終わり、プロジェクターが消え、部屋が明るくなる。すると佐々木が俺の顔をじっと見つめ、「あんた部外者じゃないのか。会議は営業の社員だけで十分。じじいは出ていけ」と言い放ったのだ。俺の息子である社長が、その言葉を聞いて、すぐに佐々木の前に現れた。 「出ていくのは君の方だ」 佐々木は何が何だかわからない様子だった。火山部長も真っ青だ。社長の息子がそう言った時、俺は静かに席を立ち、会議室の正面に立った。マイクを握り、自己紹介をした。 「私は当社の会長である広坂刑事です。皆さんのご活躍で当社は順調に業績が伸びております。ですが、どうやら1人だけ、活動というような活動をしていない社員もいるようです。本日はそのお話に参りました。また、社員の皆さんからのパワハラやセクハラの相談も、火山部長や社長の方できちんと考慮いたしました。ご説明いたします」 俺はそう言って、息子に目で合図した。プロジェクターに映し出されたのは、佐々木が業務中にゲームをしている場面。その次は、社員たちへの暴言やセクハラと思われる言葉の数々。そして、不当な領収書数十枚。それを見ながら、佐々木は冷汗をかき、体が震え出した。 「今見ていただいたのは、この営業部での佐々木課長の姿と、佐々木課長以外の営業社員が知らない、不正と思われるスナックの領収書です」 俺がそう言うと、佐々木は「それは私が接待で使ったものですが」と言い訳した。俺は「本当に接待でしょうか?こちらでは全て調査済みです。ほぼ毎日のように君がキャバクラに通っていることも、自宅にほとんど帰っていないことも。これは絶対に認められません」と突き放した。 「佐々木君、君には会社への損害賠償を命じます。そして、真面目に業務をしていない証拠がある限り、今後当社で働いてもらうわけにはいかない。君は本日をもって解雇とする。そして、真面目に働いている社員たちに今すぐ謝罪しなさい」 火山部長が佐々木を正面に引っ張り出すと、佐々木は膝から崩れ落ち、土下座を始めた。「社員の皆様、会社、とても失礼な言動を、誠に申し訳ございませんでした」と。 会議室は静まり返った。5分ほど経った頃、俺は「佐々木君、顔をあげて立ってください」と言ったが、佐々木は立ち上がれない。火山部長が無理やり立たせた。俺は「では、すぐ事務所へ帰り、デスクの私物を片付けてこの会社から出て行きなさい」と言った。歩くこともままならない佐々木を、火山部長が事務所まで連れて行った。会議室は、その後拍手の嵐になった。 俺は社員たちに、今後とも活躍を期待していること、そしてその日の飲み会を開くことを伝えて、会議室を後にした。その後、社員たちは飲み会を楽しみ、佐々木がいないことで、元のアットホームな職場に戻った。佐々木は、奥さんに離婚され、貯金もなく、どこかの金融会社で借金をして、会社への損害賠償金は無事振り込まれたが、奥さんには家を無料で明け渡し、今は居所が不明である。 一方、俺は、平和になった、父から継いだ会社を見守りながら、孫の成長を楽しみにして、元気に会長を続けている。

27 August 2026

「全員受け入れます。ここはまだ終わっていない」——その言葉を、私は手術室に向かって叫んだ。あの日、私は地方の小さな市民病院で、まさに崩壊しそうな現場に立っていた。三年前、大学病院を追われるように去った私の過去を知る者は、ここには誰もいなかったはずだった。だが、高速道路の大規模事故で運び込まれた三十八人を目の前に、私はすべての手順を思い出していた。指示を出す私の手は震えていなかった。その時、玄…

山を越えると、見慣れた景色が広がっていた。二十五年前に離れた故郷だ。国道沿いの古い商店街。その先に低い山並み。麓に白い建物がぽつんと見える。桜川市民病院。ここで俺は働くことになる。 俺の名前は大代誠。四十三歳、外科医だ。かつては大学病院で腕を振るっていたが、事情があって医療の世界から離れた。その事情をここで話すつもりはない。 病院の駐車場に車を止める。建物の壁はあちこちでひび割れ、看板の文字も色あせていた。受付の女性が顔を上げる。 「本日から勤務することになりました、大代と申します。院長にお取り次ぎ願えますか。」 受付の女性は驚いたように立ち上がり、慌てて奥へ入っていく。やがて廊下の奥から白い髪の男性が現れた。古田洋次郎院長。俺の恩師とは古くからの友人だと言う。 「遠いところをよく来てくださった。話は聞いておりますよ。」 「こちらこそ、受け入れていただいて感謝しています。精一杯努めさせていただきます。」 古田は俺の顔をじっと見つめ、小さく頷いた。それ以上は何も聞いてこない。恩師から何を聞いているのか、俺も尋ねなかった。 案内された医局は狭く、机は四つしかない。壁にかかった医師の名札は同じ名前ばかりが並んでいた。人手不足。それがこの病院の現実だった。 その時、隣の机で電子カルテを見ていた女性がゆっくりと立ち上がる。 「内科の佐藤まなです。よろしくお願いします。」 「大代です。しばらくお世話になります。人手が足りないと伺っているので、できる限りお手伝いします。」 まなは軽く会釈をした。 勤務を始めて二週間が過ぎた頃、同窓会の案内が届く。断る理由はいくらでもあったが、幹事の木村正司からの直筆の手紙が添えられていて、それを読んで足を運ぶことに決めた。木村は商店街の会長を務めているらしい。 会場は駅前の古い居酒屋。戸を開けると、赤い顔をした男たちが一斉にこちらを見る。 「おお、大代じゃないか。本当に戻ってきたのか。東京の大病院を首になったって噂だぞ。」 笑い声が上がる。俺は靴を脱ぎ、勧められた席に腰を下ろした。酒が回るにつれ、声は大きくなっていく。 「大代、お前、大学病院で何かやらかしたんだろう。だから地方に流されたんだ。」 「市民病院なんて、あと半年も持たないぞ。潰れる船に乗ってどうする?」 「都会で負けて田舎に逃げてきたってやつだな。」 俺は笑みを浮かべた。 「久しぶりに皆の顔が見られて、俺は嬉しいよ。町の空気は昔のままだな。」 「おい、聞いてるのか?負け犬扱いされてるんだぞ。」 「聞いてるよ。ただ俺は今の職場に不満はないんだ。院長も看護師さんたちも、みんな一生懸命やってる。それで十分だと思ってる。」 反論を待っていた男たちは、拍子抜けしたように顔を見合わせる。そこへ奥の席から静かに立ち上がった男がいた。六十がらみ、日焼けした顔、太い眉。木村正司だった。 「お前ら、いい加減にしろ。大代先生はな、今、この町の病院で働いてくださっとるんだ。笑う相手じゃない。」 場が一瞬静まる。 「先生、今日は来てくれてありがとうございました。俺は嬉しいですよ。」 「木村さん、こちらこそ手紙をありがとうございました。あれで足を運ぼうと思えたんです。」 宴がお開きになった後、俺は一人で夜道を歩く。病院に戻ると、廊下の奥にまだ明かりがついていた。戸を軽く叩く。 「ああ、大代先生か。入ってください。」 中に入ると、古田は壁の前に立っていた。その視線の先には額に入った古い設計図が飾ってある。色は抜け、紙は黄ばみ、四隅は少し破れていた。 「これはこの病院の設計図ですか?」 「ええ。ですが、実現しなかった計画のものです。」 「どなたが書かれたものでしょうか。」 「それは、いずれお話しできる日が来るかもしれませんな。」 俺はそれ以上問わない。古田は設計図に向き直り、しばらく動かずにいた。 事件は火曜日の午後に起こる。平日の待合室で、男性が急に胸を押さえて倒れ込んだ。看護師が駆け寄り、大声で応援を呼ぶ。俺はちょうど診察室から出たところだった。若手外科医の高橋陸が真っ先に飛んでくる。都会の病院への転職ばかり口にしている男だ。 「心筋梗塞ですかね。とりあえずCTですかね。」 俺は男性の顔色、呼吸、脈の触れ方を確認する。指先で腹部の一点を軽く押す。男性が短くうめいた。 「先に心電図を取りましょう。それと採血の準備を。血圧の左右差を測ってください。おそらく大動脈解離が入っています。」 「え?いや、まだ検査もしてないのに。」 「時間がない。動きながら確認します。」 看護師がすぐに動いた。心電図が取られ、血圧が測られる。左右差が三十以上ある。CTの結果、大動脈解離。数分の遅れが命を分ける状態だった。俺は循環器の病院へ連絡を入れ、搬送先を確保しながら点滴の指示と鎮痛、降圧の処方を淡々と出していく。高橋は隣で言われるままに動いていたが、途中から手が震えていた。 男性は無事に救急病院へ搬送され、命を取り留めたと後で連絡が入る。 処置が終わった後、廊下で高橋が笑う。 「運が良かったですね、大代先生。」 「まあ、たまたま当たったってことでしょう。」 「そうかもしれないな。ただ、次に同じ患者さんが来た時は君が最初に気づけるようにしておいた方がいい。左右の血圧差は基本だからな。」 高橋は鼻で笑い、返事もせずに立ち去る。副院長の三浦司が通りかかり、カルテを覗き込む。 「まあ、大事にならなくてよかったですな。うちで抱え込まなくて済んだ。」 「はい。搬送先が受けてくれて助かりました。」 三浦もそれ以上は関心を示さず、事務室の方へ歩いていった。 その日の夕方、医局で一人カルテを書いていると、まなが入ってきた。 「大代先生、今日の患者さんのことなんですが、解離の方ですか?」 … Read more

27 August 2026

「中卒無能の上司、2度と話しかけるな。」――俺が必死に面倒を見てきた部下は、そう言い放って大手企業への転職を決めた。高学歴を鼻にかけ、俺の指導を一切聞かず、やらかした重大なミスさえ俺のせいにして。引き継ぎが終わり、もう二度と会わないと思っていた。だが、その約2ヶ月後、商談の現場でまさかの再会を果たす。彼の嘘の履歴書が、その場で崩れ去る瞬間を、俺は目の当たりにすることになる。部下の傲慢な言葉が…

山田部長の結婚式の翌日、有給休暇中の自宅に一通の封筒が届いた。開けると、そこには退職届が入っていた。すでに「一身上の都合により」という退職理由まで記入され、日付と署名を残すだけの状態だった。添えられた上申書には、業績不振と年齢による生産性低下の責任を取り、自主退職を推奨する。応じなければ解雇や処分も辞さないと書かれている。 「やっぱりそうか。」 俺はそう呟いた。この展開を予想していたからだ。俺の名前は佐田。中堅部品メーカー、山田製作所で製造部長を15年間務めてきた。うちの強みはクラシックカーの復刻部品製造、特に1960年代の高級車エンジン部品の再現技術だ。この技術は父が確立したものだ。図面すら残っていない幻の名車の部品を、わずかな手がかりから再現する職人技。父は言っていた。「機械は生き物なんだ。その生き様を感じ取れなければ本物は作れない。」 父は母と一緒に、俺が二十歳の時に交通事故で亡くなった。俺は大学を中退し、父の親友だった山田社長のもとで働きながら、当時十歳だった妹を育て上げた。山田社長は俺を実の子供のように可愛がり、技術者として一から育ててくれた。「佐田さんの技術を途絶えさせてはいけない」と、父の手書きのノートも渡してくれた。そこにはマニュアルにない五十年の経験が詰まっていた。 昨日、妹の結婚式で父の形見の腕時計を手に、父の代わりを務めた。一人前の技術者に、一人前の大人に育ってくれた妹を誇りに思う。 しかし、会社には大きな問題があった。一年前、山田社長が突然の病で倒れ、療養に専念することになったのだ。後継者には、海外展開の実績がある川村が大株主たちの判断で選ばれた。だが、これが最悪の選択だった。 川村は就任早々、言い放った。 「クラシックカーなんてオーナーの道楽だ。もっと儲かる現行車種の量産部品にシフトする。」 工場の正面に貼られた父の言葉「技術は人の命を守るもの」を、川村は鼻で笑った。 「そんな古臭い考えは捨てろ。」 先週のことだ。1968年製高級車のオーナーからエンジン不調の相談を受けた。現代の計測機では原因が特定できない。しかし、俺はエンジン音を聞いた瞬間に分かった。ピストンリングの微妙な遊びが足りていないのだ。 「古い旋盤で0. 01ミリ単位で調整しながら削り出します。」 「何を言っている?そんな手間のかかる方法はやめろ。」 「エンジンは生き物なんです。当時の設計者はこの遊びを計算に入れて…」 「お前みたいな職人気質は時代遅れだ。さっさとやめろ。」 川村は効率化の名の下に、残業代のカット、配置転換、ベテラン技術者の追い出しを始めた。品質管理部門の解体も強行し、検査工程を簡略化したことでクレームが増えても、「どこの会社でも同じだ」と取り合わない。俺は父の理念を守ろうと川村と対立し、次第に疎まれるようになった。 そんな時に妹の結婚が決まった。俺は両家の最終打ち合わせと式場への荷物運びのため、3日間の有給を申請した。すると川村は「いい年して結婚式ごときに3日も休むな」と露骨に不快感を示した。結局、人事部が休暇を認めてくれたのだが、その休暇2日目に、この退職届が届いたというわけだ。 退職届を速攻で受理し、退職することにした。実は、計画があった。隣の古い工場、藤井工場長との間で何度も密談を重ねていたのだ。あの工場は建物こそボロボロだが、腕の確かな職人たちが集まっている。10年前、経営難の際に、父の一番弟子だった藤井工場長が土地、建物、機械一式を買い取ったのだ。正式には独立した会社だが、長年の信頼関係で、山田製作所の重要な下請けとしてクラシックカーの部品を作り続けていた。そこには1960年代当時の工具が今でも大切に保管されている。 「藤井さん、父さんの技術を守らせてください。僕が仲間を連れて戻ります。」 相談を持ちかけた日、藤井工場長は静かに頷いた。山田社長は、経営難の際にかなりの安価で、クラシックカーの心臓部であるエンジンを支える加工機材や補助工具を全て藤井工場長に譲り、さらに協力会社として関係を継続させたのだという。「ここなら本物の技術は守れる。いつかその価値が分かる時が来る」と、山田社長の判断は正しかった。 俺は藤井工場長に熱く訴えた。山田製作所が量産型部品生産にシフトするなら、こちらはクラシック専門の高い技術力を持った会社として生まれ変わるべきだと。 「大量生産はできなくても絶対の品質を約束できる。それがここの存在意義だ。」 藤井社長は俺を技術部門の統括責任者として迎え、経営にも参画させる約束をしてくれた。工場の再建中、川村に辞めさせられたり、川村の方針に耐えかねて自主退職した職人たちが、次々と藤井エンジニアリングへやってきた。職人たちの目が古い機械を見て輝きを取り戻していく。「ここなら本物の仕事ができる。もう一度誇りを持って部品を作れる」と。 ある日、1965年製高級車のオーナーから依頼が舞い込んだ。川村体制の山田製作所が新しい機械で作ったピストンリングを納品したが、エンジンの不調が始まったという相談だった。俺たちは原因が「遊び」が足りていないせいだとすぐに分かった。父の図面と当時の加工データをもとに、旧式の機械で一つずつ削り出し、部品を完成させた。1週間後、オーナーから興奮気味の声で連絡が入った。 「エンジンの音が変わった。これだ。この音を待っていたんだ。」 その評判はクラシックカーの愛好家たちの間に広がり、依頼が次々と入るようになった。そしてついに、あの大手自動車メーカーからの依頼が来る。1960年代の名車シリーズを純正レストア部品付きで復刻販売するプロジェクトで、その心臓部となるエンジン部品の製造を俺たちに任せたいという。かつて父の指導を受けた技術者が、大手メーカーの開発部門にいたのだ。 試作品を作るのに3ヶ月。全員が技術の限界に挑戦し、父のノートを何度も読み返し、古い機械の特性を最大限に生かしながら現代の品質基準も満たすよう、試行錯誤を重ねた。そしてついに、要求された精度をはるかに上回る試作品を完成させた。 大手メーカーの技術者が実地検査に訪れた日、工場中が緊張に包まれた。検査の結果、技術者の表情が変わった。 「これはすごい。図面の要求精度をはるかに超えている。」 工場内に歓声が上がる。大手メーカーの技術者たちは、プロジェクトの契約書にサインをしようとした、その時だった。 「何が品質だ?こんなボロ工場が業界の価格を下げやがって。」 突然の怒号に工場が凍りつく。川村が数人の作業員を引き連れて入ってきたのだ。この契約を潰すために直接乗り込んできたのは明らかだ。川村は大手メーカーの担当者たちに向かって、必死に食い下がる。 「このボロ工場の製品なんて不良品の山だ。本社にご迷惑をおかけするところでした。今すぐこの契約は中止するべきです。」 藤井社長が静かに、しかし毅然とした態度で前に立ちはだかった。 「川村さん、ここは独立した会社です。あなたに何の権限もありません。」 「黙れ!この工場の設備は全て、山田製作所の技術を盗んだものです。こんな違法業者と取引なんて、本社の信用にも関わりますよ。」 俺は父のノートを大切に抱えながら一歩前に出る。 「嘘をつくな。これが全ての証拠だ。」 俺はノートを開き、丁寧にページをめくる。そこには父の貴重な字で技術の全てが記されていた。 「これは父が残した技術ノートです。50年前からの全ての製造データ、加工条件、そして当時の技術者たちの署名まで克明に記録されています。この技術はうちの工場が正当に受け継いだものなんです。」 大手メーカーの技術者たちが食い入るようにノートを見つめる。 「これはまさに1960年代の高級車の製造データですね。しかも当時の有名な技術者のサインまである。偽造できるようなものではありません。」 「そんなものは偽造だ。捏造に決まっている。」川村の声が裏返る。その目には明らかな動揺が浮かんでいた。 「なら、これはどう説明なさいますか?」 藤井社長が一枚の古い写真を取り出した。少し色あせているが、そこには確かな証拠が映っている。 「30年前、佐田さんの父と私がこの工場で技術を確立した時のものです。ここに映っているのは、当時の山田社長。そして佐田さんの父、私。この技術の正当な継承者たちです。」 「山田…まさか。」川村の顔から血の気が引く。その時、工場の入り口から静かな、しかし異厳のある声が響いた。 「全て私が説明しましょう。」 そこに立っていたのは、病気療養中のはずの山田会長だった。 「もういい加減にしなさい、川村君。筆頭株主として、あなたの所行は全て把握していました。不当な給与カット。そして…」山田会長は一瞬言葉を切り、鋭い眼差しで川村を見つめる。「会社の資金流用まで、全てです。」 川村の顔が青ざめる。 「まさか、あなたは体調不良で…」 「ええ、でも3ヶ月前に退院しました。その間、役員たちから全ての報告を受けていました。でもあえて黙っていた。あなたがどこまで傲慢になるのか、それとも少しでも技術者の心を理解できるのか。見極めるためにね。」 大手メーカーの技術部長が一歩前に出た。その表情は厳しい。 … Read more

27 August 2026

父の形見の計算機を握りしめた私の前で、人事部長が薄笑いを浮かべて言った。「悪いけど、君みたいな地味な子は俺のタイプじゃないんだ。」3兆円の価値がある特許の持ち主だと知らずに、彼は私の経歴書を指で弾き飛ばし、亡き父を「一発当てようとして死んだ研究者」と笑った。会議室の笑い声が耳に刺さる中、私は背筋を伸ばして立ち上がった。この屈辱を、涙ではなく結果で返すと決めて。彼らはまだ知らない。私が唯一の答…

会議室にその声が響き渡った瞬間、私は全てを悟った。 「悪いけど、君みたいな地味な子は俺のタイプじゃないんだ。」 人事部長の蒲田は、私の経歴書を指先で弾き飛ばした。周りの社員たちがクスクスと笑う。まるで公開処刑だった。でも、もう遅い。この会社の未来は、たった1枚の特許に握られている。彼らが今日、この場でゴミのように捨てたのは、社運そのものだった。 3兆円。その唯一の保有者が、今まさに侮辱されている女だと、この場の誰も気づいていない。 父の形見の計算機をそっと握りしめ、私は静かに席を立った。独占契約の期限まで、あと1ヶ月しか残されていない。 会議室の空気は、最初から冷え切っていた。本来、この日は独占ライセンス契約と技術顧問就任について、相模マテリアルが私に頭を下げるための最終協議のはずだった。ところが、席についていたのは開発部の人間ではなく、人事部長の蒲田、ただ1人だった。 「顧問として迎えるかどうかは、人事が最終判断する決まりでね。」 そう言って彼は、山のような契約書をまるで新卒の履歴書でも見るかのように眺め始めた。長机越しに、蒲田は私の経歴書に目も落とさず、全身を舐めるように眺める。 「経歴は?…まあいいや。それより君、もう少し華奢に見えるようにできないの?」 私は膝の上で手を揃え、切り出した。 「本日は、本社の全固体電池の量産計画についてお話しできればと思っています。」 その瞬間、蒲田の眉が面倒臭そうに寄った。 「ああ、そういう小難しい話はいいから。技術の中身は向こうの部署が勝手にやるんだよ。」 彼は私が机に置いた古びた計算機に目を止めると、指先で軽く弾いた。 「何これ?骨董品?今時電卓も使えないのかって思われるよ。」 背後の若い社員たちが、またクスクスと笑う。私は計算機にそっと手を戻した。父が生涯手放さなかった、たった1つの形見だった。 「けど、君みたいな地味な子は俺のタイプじゃないんだ。」 蒲田は経歴書を裏返し、こう言い放った。 「顧問就任の采配を握ってるのは人事だ。会社の顔になれない人とは、契約もお断りだよ。」 3兆円の未来を、彼はたった一言で捨てた。私は静かに立ち上がり、一礼して扉へ向かった。背中に、蒲田の満足げな声が刺さる。 「ああいう地味なのが一番めんどくさいんだよな。」 扉が閉まる音を聞きながら、私は胸の中で一度だけ父の名を呼んだ。 桜庭アンナ、27歳。それが私の名前だ。世間では誰も私の顔を知らないけれど、電池業界の人間なら、私の持つ特許の番号だけは喉から手が出るほど欲しがっている。父、桜庭一郎は、町工場の片隅で素材だけを見つめ続けた研究者だった。全固体電池の心臓部、固体電解質。発火せず、寒さにも強く、5分で満充電。父は障害を超えて追い続けた。大企業は誰も相手にしなかった。「そんなものは実現しない。」学会でそう笑われても、父は一度も机を離れなかった。 母は私が10歳の時に病気で亡くなり、それからは父と2人きりだった。研究費のために家財を売り、それでも父は穏やかに笑っていた。 「必ず世界を変える素材をお前と作るんだ。」と。 私が幼い頃から、父の膝の上にはいつもあの計算機があった。 「答えはいつも数字の向こう側にあるんだ。」 その背中を見て、私は自然と同じ道を歩いていた。父が倒れたのは、完成まであと一歩という夜だった。病室で父は震える手で私に計算機を握らせた。 「最後の小さな条件を…」 私は父の代わりに、この手でそれを突き止めたのだ。こうして生まれた固体電解質は「SG9」と名付けられ、世界中の自動車メーカーが奪い合う技術になった。そのライセンス価値、実に3兆円。けれど私にとってそれは金額ではない。父が、もう誰にも笑われなくなった、たった1つの証だった。だから私はこの特許を託す相手を、数字ではなく人の目で選ぶと決めていた。 相模マテリアルは、かつて父の論文を唯一評価してくれた会社だ。その恩もあり、私は独占契約と技術顧問就任の打診を受け、自ら最終協議に足を運んだ。本来、相手を見極める側にいたのは、この私だったのだ。 相模マテリアルは崖っぷちに立たされていた。社運を賭けた全固体電池の量産ライン。その完成予定は、わずか3ヶ月後に迫っていた。だが、心臓部の固体電解質だけは、どうしても自社技術で再現できずにいた。唯一の答えが、私の持つSG9だったのだ。何百人もの技術者が挑み、誰一人として再現できなかった。それが、父と私だけがたどり着いた最後の一歩だった。 独占ライセンスさえ結べれば、相模は世界の頂点に立てる。逆に他社へ渡せば、この会社に明日はない。その事実を誰よりも理解していたのが、開発部の若手研究員、最鋭だった。 「桜庭一郎先生の理論は10年先を言っていた。娘さんが完成させたなら、本物です。」 最鋭は経営会議で机を叩いてそう訴えたという。私を最終協議に招いたのも、最鋭の必死の推薦があったからだ。本来なら開発部と役員が頭を下げて迎えるはずの席だった。ところが、人事部長の蒲田が「顧問採用の采配は人事が決める」という理屈で、強引に協議の椅子へ自ら座り込んだ。技術も契約の重みも分からない男に、会社の運命が委ねられた瞬間だった。 一方的に話を打ち切られ、私が受付を出ると、廊下の先に最鋭が立っていた。息を切らし、今にも駆け出しそうな顔で。 「桜庭さん、契約の件、前向きに検討してください!うちには先生の技術が必要なんです。」 まっすぐな目だった。 「先生が生きていたら、きっと相模を選んでくれたはずです。」 父の論文を語る時、彼の声は少しだけ震えていた。私は首を横に振ることも頷くこともしなかった。ただ、胸の奥に小さな痛みが走った。この誠実な青年は、たった今、上司が何をしたのかをまだ知らないのだ。 その時、会議室の扉が開いた。蒲田が観光コーヒー片手に出てきて、最鋭と私を見て顔をしかめた。 「おいおい、最鋭、何油を売ってんだ。その件の話はもう終わりだ。契約はなしだ。」 最鋭の顔から血の気が引いた。 「部長、彼女がどなたか分かっていて言っているんですか?」 「知ってるさ。どこぞの町工場の娘だろう。」 蒲田は鼻で笑い、私の方に顎をしゃくった。 「調べたよ。父親は一発当てようとして死んだ、しがない研究者だってな。娘は親の遺産にすがって食ってるだけのお嬢さんだ。」 心臓を冷たく握りしめられた気がした。指がすり切れるまで数字と戦い、誰かを見下したことなど生涯一度もなかった父を、この男は「一発当てようとして死んだ」と言い切った。 「そういう身の程知らずが、うちみたいな一流企業に来るんだよな。」 蒲田はコーヒーを啜り、くだらないという顔で続けた。 「悪いこと言わないから、身の丈にあった会社と組みな。地味な子には地味な会社がお似合いだよ。」 「部長、あなたは今、この会社の未来を捨てたんだ。」 最鋭の声は怒りで枯れていた。だが、蒲田は聞く耳を持たず、ヒラヒラと手を振るだけだった。私はその腕にそっと手を添え、彼を制した。ここで声を荒げれば、父の名誉がさらに汚れるだけだ。 「ご丁寧にありがとうございました。」 私は視線だけを伏せ、背筋を伸ばして歩き出した。けれど、握りしめた計算機の角が手のひらに食い込んでいた。この屈辱は、涙ではなく結果で返す。父が残したこの技術の価値を、彼らはやがて骨の髄まで思い知るだろう。父さん、あなたを笑ったこの会社が、次にどんな顔をするのか。私は静かにその日を待つと決めた。最鋭だけが唇を噛みしめて、私の背中を見送っていた。 … Read more

27 August 2026

ちょうど1年ぶりに、かつての職場のロビーで元上司と鉢合わせした。「あんた、本当にボロい工場を継いだの?…

かつての上司が、1年ぶりに再会した僕の近況を聞いて、高笑いした。 「あんた、古臭いボロ工場を本当に継いだんだ。何の取り柄もないあんたには、汗と誇りにまみれてちまちま作業してるのもお似合いだと思うわよ。あら、何か匂うわね。あんたの油の匂いかしら」 そう言って、彼女は鼻を押さえてニヤニヤと笑った。 「ていうか、あんたみたいな貧乏人が入ってきていい場所じゃないのよ。わかったなら、さっさと帰りなさい」 まるで犬の子でも払うように手を動かして、僕を追い出そうとする。 僕は呆れながらも、にっこりと笑ってみせた。 「わかりました。では、帰らせていただきますね」 「ええ、2度と私の前に現れないでちょうだい」 彼女は自分が何をしているのか、わかっていないらしい。僕がそれを察したところで、彼女に同情してあげる義理はない。彼女には、しっかりと自分で責任を取ってもらうことにした。 僕の名前は野村浩。大学卒業後、大手メーカーに入社し、製品開発部で働いている。実家が町工場を営んでいた影響で、昔から物づくりに興味があった。だから、自分の性に合っている開発部で仕事ができることを嬉しく思っている。仕事には不満はなかったのだが、半年ほど前に人事移動で新しい女性の係長がやってきてからというもの、僕は職場に向かうのが少し憂鬱になってしまった。 「野村君、急ぎでこれをジューブコピーして。あと、この書類のデータをまとめて送っといて。今日の午後で使うから、会議室も抑えといて。もちろん、準備も昼休み中にしっかり終えといてね」 今朝も出勤早々、篠原係長から早速呼びつけられる。誰にでもできる雑用から、本来なら彼女の仕事であるはずのものまで、その内容は多岐に渡る。僕も、まあこれだけ毎日他人に仕事を振れるものだと感心してしまうほどだ。 すると、思わず呆けたことを考えていた気配が伝わってしまったのか、篠原係長が不自然に濃いまつ毛を瞬かせて、苛立たしげに僕を見た。 「ちょっと、野村君。聞いてる?」 「は? はい。コピーと書類データ、それから会議室の準備、あとはファイルと伝票の整理ですね」 慌てて答えた僕に、彼女は鼻白んだように目を細めると、下駄でも落としそうな勢いで睨みつけてくる。 「聞いてるんだったら、返事くらいしなさいよ。本当にあんたはどん臭い上に要領が悪いったら。それくらい社会人としては常識でしょう。あんた、何年この部署にいると思ってんの?」 高い彼女の怒鳴り声が、今日もフロア中に響いた。 この篠原係長は、この部署に配属された当初から、やけに僕への当たりが強かった。多分、華やかなことや目立つことが大好きな彼女からしたら、大人しくて真面目と言えば聞こえはいいが、要は口下手でどん臭く、おべっか一つ言えない僕は、どうにも苛立つ存在なのだろうと思う。と言いつつも、彼女がとても仕事ができるかと問われれば、特にそうでもない。実は篠原係長は古参社員なのだが、この会社の役員に親戚がいて、そのコネと学歴だけで、大した実績もないまま若くして役職についているのだった。 「すみません」 小さく頭を下げる僕の目の前で、青筋を浮かべた篠原係長が、わざとらしく大きなため息をついた。 「謝りゃいいとでも思ってんの? それくらい猿でもできるでしょうよ。まあ、名前も聞いたことないようなレベルの低い大学出てるあんたよりは、芸ができる分、猿の方が上か」 彼女は上品とは言えない笑い声をあげて、僕を馬鹿にしてくる。さらに続けて、こんなことを言ってきた。 「さすがボロ町の息子だわ。本当に品がないったら。で、勘違いしてるかもしれないけど、あんたとあんたの実家だけ昭和初期にでも生きてるの?」 いかにも嫌味ったらしい言い方で見下してくる彼女に、僕は無言で唇を噛んだ。確かに僕の実家は祖父の代から続く小さな町工場だ。古いし、ボロいと言われればその通りなのだが、僕は祖父や両親が作業着を汚して汗を流し、懸命に働く姿を誇りに思っている。それを何も知らない外の人間にバカにされる言われはどこにもない。けれど、ここで何か言い返したら、彼女の機嫌がさらに悪くなるのは目に見えている。 「何よ、文句でもあんの?」 押し黙る僕を、彼女は一瞥して別の視線を送ってくる。 だが、それはつい先ほど、同僚が始業時間を少し過ぎてフロアへ姿を現すと、打って変わった猫撫で声で彼を呼んだ。 「あら、おはよう。どうしたの?」 「すみません、ちょっと具合が悪くて起きられなくて」 体調が悪いなどと、明らかに嘘だとわかるほど艶々した顔をした同僚に、しかし篠原係長は、僕に見せていた険しい顔を微塵も感じさせない笑顔全開で優しく答えている。 「あら、大丈夫なの? 無理はしないでね。また具合が悪くなったら、遠慮なく言って」 ちなみにこの同僚は遅刻常習犯なのだが、それでも彼女は彼を咎めるわけでもなく、いつもこのようにして甘やかしてばかりなのである。先日、僕が本当に体調不良で病院に行くために遅刻してきた時には、事前に連絡していたにも関わらず、まるで親の敵のように怒られたというのに。 篠原係長はイケメンで高学歴なこの同僚を、あからさまに贔屓しているのだ。フロアの他の社員もそんな彼女の態度を白けた顔で見ているのだが、巻き込まれまいとしているのか、表立っては誰も何も言わないのがこの部署の常だった。 もはや僕が見えていないかのように、2人のベタベタとした会話は続いている。 「体調が悪い中、頑張って職場に来たんだから、少しくらいゆっくりしてて」 「いやあ、でも仕事が今日締め切りなんで」 「もう、頑張り屋さんなんだから」 どこから出しているのかと思うほどの高い声でそう言うと、彼女はやっとその存在を思い出したかのようにして僕を見向いた。 「ほら、野村君、彼の仕事、代わりにやってあげなさいよ」 「え、でも」 先ほど押し付けられた雑用と自分の仕事で手一杯な僕は、さすがに声をあげる。だが、その小さな抗議を、彼女は速攻で叩き潰した。 「はあ? あんた、雑用しかしてないじゃない。それでお給料もらってるの? おかしいと思わないの? あと、体調悪いって言ってる同僚の手伝いくらい、率先してやりなさいよ。本当に気が効かないわね」 鬼気迫るその言い草に、僕は目が点になったが、そんなこちらのことにはもう興味をなくしたように、彼女は愛想笑いを浮かべる同僚にうっとりしている。ああ、もう、これは何を言ってもダメだな。僕は彼らに聞こえないように、口の中でため息をついた。僕とてこんな状況に不満がないわけではない。けれど、口下手な僕が何か言ったところで、事態は好転しないどころか悪化させてしまうのが落ちだ。そう思い、僕はいつも言葉を飲み込んでしまっている。そうして、とにかく押し付けられた仕事を終わらせるべく、僕は慌ただしく自席へ戻っていくのだった。 そんな日々の中、一つ嬉しいことが起こった。僕がリーダーを務めるチームで開発中の試作品が、視察にやってきた役員の目に留まり、褒められたのだ。日頃から滅多に部下を褒めない人として知られていたその役員からのお墨付きに、チームは一気に湧き立つ。 「すごいじゃないか、野村。あの人に褒められるなんて」 「そうよ。頑張ってきた甲斐があったわね」 「いや、僕だけの力じゃないから。チームのみんなのおかげだよ」 役員が去った後、同僚たちが口々にそう言って僕を囲んだ。実際、役員の目に留まった試作品は、チーム全員が意見を出し合って作ったものだ。僕なんて、若いメンバーの中で年齢だけでリーダーを任されているようなものだと思っている。それでも周囲からの心のこもった激励は嬉しいものである。 … Read more

27 August 2026